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具縛の凡愚屠沽の下類

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

具縛の凡愚・屠沽の下類から転送)

ぐばくのぼんぐ・とこのげるい

 「信巻」(本)に引かれた『阿弥陀経義疏』にある語で、戒度の『阿弥陀経聞持記』に、この語を釈して、「具縛の凡愚」とは「二惑の煩悩をすべて持っている者」、「屠沽の下類者」とは、「屠」は「生きものを殺す者」、「沽」は「酒を商う者」で悪人としている。→補註4 (信巻 P.247, 唯文 P.707)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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『阿弥陀経義疏』(*)の引文。

【56】またいはく(同*)、「念仏法門は、愚智豪賤を簡ばず、久近善悪を論ぜず、ただ決誓猛信を取れば臨終悪相なれども、十念に往生す。これすなはち具縛の凡愚、屠沽の下類、刹那に超越する成仏の法なり。世間甚難信といふべきなり」と。(信巻 P.247)

『唯信鈔文意』での用例。

自力のこころをすつといふは、やうやうさまざまの大小の聖人・善悪の凡夫の、みづからが身をよしとおもふこころをすて、身をたのまず、あしきこころをかへりみず、ひとすぢに具縛の凡愚・屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら無上大涅槃にいたるなり。具縛はよろづの煩悩にしばられたるわれらなり、煩は身をわづらはす、悩はこころをなやますといふ。屠はよろづのいきたるものをころし、ほふるものなり、これはれふしといふものなり。沽はよろづのものをうりかふものなり、これはあき人なり。これらを下類といふなり。(唯文 P.707)