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西方指南抄

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

ネット上の「大藏經テキストデータベース」を利用し、『真宗聖教全書』に依ってUPしてあったものを『浄土真宗聖典全書』聖教データベース]より校正し転載。原文→ノート:西方指南抄
『西方指南抄』の題号は『選択本願念仏集』後述の「善導『観経疏』者是西方指南行者目足也(善導の『観経の疏』はこれ西方の指南、行者の目足なり)」に依るとされる。

原文が旧字体なので、Wikiリンクやページ検索の利便用に、このページでは旧字体を新字体に変換した。各サブタイトルは『浄土真宗聖典全書』の解説などを参考に適宜、林遊に於いて付した。また語句のリンクや脚注、漢文読み下しなども林遊が付したものであり浄土真宗本願寺の見解ではない。→西方指南抄の解説
原文➡トーク:西方指南抄

目 次

西方指南抄上[本]

(一)

法然聖人御説法事

承元の法難(1207)によって斬首された安楽房遵西の父である中原師秀 外記禅門の請により行われた説法。師秀(もろひで)が仏像を安置(1194?)し逆修法会を行ったときに法然聖人が説法されたものといわれる。『漢語灯録』所収の『逆修説法』はその異本。『師秀説草」という異本もある。この書は、浄土三部経を中心に相承論や選択本願念仏論がのべられている。文治六年(1190年)に東大寺で講説したときの『三部経釈』から『逆修説法』を経て、『選択集』(1198)へと法然聖人の思想が展開した経緯を示す法語ともされる。なお、「法然聖人御説法事」とあるように、法然聖人を「聖人」と表現されているのは親鸞聖人の特徴である。江戸時代以降、浄土真宗では、浄土宗(鎮西義)にならって上人号で法然聖人を呼んでいるが、如何なものかと愚昧な一門徒は思う。
仏身

経証の中に、仏の功徳をとけるに无量の身あり。あるいは総じて一身をとき、あるいは二身をとき、あるいは半三身[1] をとき、乃至『華厳経』には十身[2]功徳とけり。いま(しばらく)真身化身の二身をもて、弥陀如来の功徳を讚嘆したてまつらむ。この真化二身をわかつこと、『双巻経』の三輩の文の中にみえたり。まづ真身といふは、真実の身なり。弥陀如来の因位のとき、世自在王仏のみもとにして四十八願をおこしてのち、兆載永劫のあひだ、布施・持戒・忍辱・精進等の六度万行を修して、あらはしえたまへるところは、修因感果[3]の身なり。『観経』(意)にときていはく、

「その身量、六十万億那由他恒河沙由旬なり。眉間の白毫、右にめぐりて五須弥山のごとしと。その一須弥山のたかさ、出海・入海おのおの八万四千那由他なり。また青蓮慈悲の御まなこは、四大海水のごとくして清白分明なり。身のもろもろの毛孔より光明をはなちたまふこと、須弥山のごとし。うなじにめぐれる円光は、百億の三千大千世界のごとし。かくのごとくして八万四千の相まします。一一の相におのおの八万四千の好あり、一一の好にまた八万四千の光明まします。その一一の光明、あまねく十方世界の念仏の衆生を摂取してすてたまはず。御身のいろは、夜摩天閻浮檀金のいろのごとし」

といへり。

これ弥陀一仏にかぎらず、一切諸仏はみな黄金のいろなり。もろもろのいろの中には白色をもて本とすとまふせば、仏の御いろも白色なるべしといゑども、そのいろなほ損ずるいろなり。たゞ黄金のみあて不変のいろなり。このゆへに、十方三世の一切の諸仏、みな常住不変の相をあらわさむがために、黄金のいろを現じたまへるなり。これ『観仏三昧経』のこゝろなり。たゞし真言宗の中に五種の法あり。その本尊の身色、法にしたがふて各別なり。しかれども暫時方便の化身なり、仏の本色にはあらず。このゆへに、仏像をつくるにも、白檀の綵色(さいしき)なれども功徳をえざるにあらずといへども、金色につくりつれば、すなわち決定往生の業因なり。即生の功徳、略を存ずるにかくのごとし。「即生乃至三生に必得往生」 「隠/顕」
即ち生じ乃至三生に必ず往生を得。
[4]といへり。これ弥陀如来の真身の功徳、略を存ずるにかくのごとし。
次に化身といふは、无而欻有を化といふ。すなわち機にしたがふときに応じて身量を現ずること、大小不同なり。『経』(観経)に、「あるいは大身を現じて虚空にみつ、あるいは小身を現じて丈六、八尺」といへり。化身につきて多種あり。まづ円光の化仏。『経』(観経)にいはく、「円光のなかにおいて、百万億那由他恒河沙の化仏まします。一一の化仏に衆多无数の化菩薩をもて、侍者とせり」といへり。つぎに摂取不捨化仏。「光明徧照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨」 「隠/顕」
光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。
(観経)といふは、この真仏の摂取なり。このほかに化仏の摂取あり。(さんじゅう)六万億の化仏、おのおの真仏とともに十方世界の念仏衆生を摂取したまふといへり。次に来迎引接の化仏。九品の来迎におのおの化仏まします、品にしたがふて多少あり。上品上生の来迎には、真仏のほかに无数の化仏まします。上品中生には、千の化仏まします。上品下生には、五百の化仏まします。乃至かくのごとく次第におとりて、下品上生には、真仏は来迎したまはず、たゞ化仏と化観音・勢至とをつかはす。その化仏の身量、あるいは丈六、あるいは八尺なり。化菩薩の身量もそれにしたがふて、下品中生は、「天華の上に化仏・菩薩ましまして、来迎したまふ」(観経意)といへり。下品下生は、「命終してのち、金蓮華をみる。猶如日輪住其人前」「隠/顕」
命終してのち、金蓮華をみる。なほ日輪のごとくしてその人の前に住せん。
(観経)といへり。文のごとくは、化仏の来迎もなきやうにみえたれども、善導の御心は、『観経の疏』(散善義)の十一門の義によらば、第九門に「命終のとき、聖衆の迎接したまふ不同、去時の遅疾をあかす」といへり。また「いまこの十一門の義は、九品の文に約対せり。一一の品のなかに、みなこの十一あり」といへり。しかれば、下品下生にも来迎あるべきなり。しかるを五逆の罪人、そのつみおもきによりて、まさしく化仏・菩薩をみることあたはず、たゞわが座すべきところの金蓮華ばかりをみるなり。あるいはまた文に隠顕あるなり。次にまた十方の行者の本尊のために、小身を現じたまへる化仏あり。天竺の鶏頭摩寺(けいずまじ)五通の菩薩、神足通をして極楽世界にまうでて、仏にまふしてまうさく、娑婆世界の衆生、往生の行を修せむとするに、その本尊なし。仏、ねがわくは、ために身相を現じたまへと。仏、すなわち菩薩の請におもむきて、樹の上に化仏五十体を現じたまへり。菩薩、すなわちこれをうつして、よにひろめたり。鶏頭摩寺の五通の菩薩の曼陀羅といへる、すなわちこれなり。また智光の曼陀羅[5]とて、世間に流布したる本尊あり。その因縁は人つねにしりたることなり、つぶさにまふすべからず。『日本往生伝』をみるべし。また新生の菩薩を教化し、説法せむがために、化して小身を現じたまへることまします。これはこれ、弥陀如来の化身の功徳、また略してかくのごとし。
来迎
いまこの造立せられたまへる仏は、祇園精舎の風[6]をつたへて三尺の立像をうつし、最後終焉のゆふべを()して来迎引接につくれり。おほよそ仏像を造画するに種種の相あり。あるいは説法講堂の像あり、あるいは池水沐浴の像あり、あるいは菩提樹下成等正覚の像あり、あるいは光明遍照摂取不捨の像あり。かくのごときの形像を、もしはつくり、もしは画したてまつる。みな往生の業なれども、来迎引接の形像は、なほその便宜をえたるなり。かの尽虚空界の荘厳をみ、転妙法輪の音声をきゝ、七宝講堂のみぎりにのぞみ、八功徳池のはまにあそび、おほよそかくのごとく種種微妙の依正二報をまのあたり視聴せむことは、まづ終焉のゆふべに聖衆の来迎にあづかりて、決定してかのくにに往生してのうえのことに候。しかれば、ふかく往生極楽のこゝろざしあらむ人は、来迎引接の形像をつくりたてまつりて、すなわち来迎引接の誓願をあおぐべきものなり。その来迎引接の願といふは、すなわちこの四十八願の中の第十九の願なり。人師れを釈するに、おほくの義あり。まづ臨終正念のために来迎したまへり。おもはく[7]、病苦みをせめて、まさしく死せむとするときには、かならず境界・自体・当生の三種の愛心をおこすなり。しかるに阿弥陀如来、大光明をはなちて行者のまへに現じたまふとき、未曽有の事なるがゆへに、帰敬の心のほかに他念なくして、三種の愛心をほろぼして、さらにおこることなし。かつはまた仏、行者にちかづきたまひて、加持護念したまふがゆへなり。『称讚浄土経』(意)に「慈悲加祐して、こゝろをしてみだらざらしむ。すでに命をすておはりて、すなわち往生をえ、不退転に住す」といへり。『阿弥陀経』に「阿弥陀仏、もろもろの聖衆とそのまへに現ぜむ。この人おわらむとき、心顚倒せずして、すなわち阿弥陀仏国土に往生をえむ」ととけり。「令心不乱」「隠/顕」
心をして乱れざらしむ。
と「心不顚倒」「隠/顕」
心顛倒せずして
とは、すなわち正念に住せしむる義なり。しかれば、臨終正念なるがゆへに来迎したまふにはあらず、来迎したまふがゆへに臨終正念なりといふ義、あきらかなり。在生のあひだ往生の行成就せむひとは、臨終にかならず聖衆来迎をうべし。来迎をうるとき、たちまちに正念に住すべしといふこゝろなり。しかるにいまのときの行者、おほくこのむねをわきまえずして、ひとへに尋常の行においては怯弱生じて、はるかに臨終のときを期して正念をいのる、もとも僻韻なり。しかれば、よくよくこのむねをこゝろえて、尋常の行業において怯弱のこゝろをおこさずして、臨終正念において決定のおもひをなすべきなり。これはこれ、至要の義なり。きかむ人、こゝろをとゞむべし。この臨終正念のために来迎すといふ義は、静慮院の静照法橋の釈なり。[8]

次に道の先達のために来迎したまふといへり。あるいは『往生伝』(往生浄土伝巻中)に、沙門志法が遺書にいはく、

「我在生死海 幸値聖船筏 我所顕真聖 来迎卑穢質
若忻求浄土 必造画形像 臨終現其前 示道路摂心
念念罪漸尽 随業生九品 其所顕聖衆 先讚新生輩
仏道楽増進」「隠/顕」
我れ生死海にありて幸いに聖船筏にもうあえり。我があらわすところの真聖、卑穢の質を来迎したまう。もし浄土を欣求せば必ず形像を造画すべし。臨終に其の前に現じて道路を示さん、心を摂して念念すれば罪ようやく尽く、業に随いて九品に生ぜむ。其れ顕はすところの聖衆、さきだちて新生の輩(ともがら)をほむ、仏道の楽を増進せん。
{云云}

これすなわち、この界にして造画するところの形像、先達となりて浄土におくりたまふ証拠なり。また『薬師経』(玄奘訳)をみるに、浄土をねがふともがら、行業いまださだまらずして、往生のみちにまどふことあり。すなわち文にいはく、

「よく受持八分斎戒あらむ。あるいは一年をへ、あるいはまた三月受持せむ。まなぶところ、この善根をもて西方極楽世界无量寿仏のみもとにむまれむと願じて、正法を聴聞すれども、いまださだまらざるもの、もし世尊薬師瑠璃光如来の名号をきかむ。命終のときにのぞみて、八菩薩あて神通に乗じてきたりて、その道路をしめさむ。すなわちかの界にして、種種の雑色衆宝華の中に自然に化生す」[9]

といへり。もしかの八菩薩その道路をしめさずは、ひとり往生することえがたきにや。これをもておもふにも、弥陀如来もろもろの聖衆とともに行者のまへに現じてきたりて迎接したまふも、みちびきて道路をしめしたまはむがためなりといふ義、まことにいはれたることなり。娑婆世界のならひも、みちをゆくにはかならず先達といふものを具する事なり。これによて御廟の僧正[10]は、この来迎の願おば現前導生の願となづけたまへり。
次に対治魔事のために来迎すといふ義あり。道さかりなれば、魔さかりなりとまふして、仏道修行するには、かならず魔の障難のあひそふなり。真言宗の中には、「誓心決定すれば、魔宮振動す」(発菩提心論)といへり。天台『止観』(巻八下意)の中には、「四種三昧を修行するに、十種の境界おこる中に魔事境来」といへり。また菩薩、三祇百劫の行すでになりて正覚をとなふるときも、第六天の魔王きたりて種種に障㝵せり。いかにいはむや、凡夫具縛の行者、たとひ往生の行業を修すといふとも、魔の障難を対治せずは、往生の素懐をとげむことかたし。しかるに阿弥陀如来、无数の化仏・菩薩聖衆に囲繞せられて、光明赫奕として行者のまへに現じたまふときには、魔王もこゝにちかづき、これを障㝵することあたはず。しかればすなわち、来迎引接は魔障を対治せむがためなり。来迎の義、略を存ずるにかくのごとし。これらの義につきておもひ候にも、おなじく仏像をつくらむには、来迎の像をつくるべきとおぼえ候なり。仏の功徳、大概かくのごとし。

浄土三部経

次に三部経は、いま三部経となづくることは、はじめてまふすにあらず、その証これおほし。いはく大日三部経は、『大日の経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経』等これなり。弥勒の三部経、『上生経』・『下生経』・『成仏経』等これなり。鎮護国家の三部経は、『法華経』・『仁王経』・『金光明経』等これなり。法華の三部経、『无量義経』・『法華経』・『普賢経』等これなり。これすなわち、三部経となづくる証拠なり。いまこの弥陀の三部経は、ある人師のいはく、「浄土の教に三部あり。いはく『双巻无量寿経』・『観无量寿経』・『阿弥陀経』等これなり」。これによて、いま浄土の三部経となづくるなり。あるいはまた弥陀の三部経ともなづく。またある師のいはく、「かの三部経に『鼓音声経』をくわえて四部となづく」(慈恩小経疏意)といへり。おほよそ諸経の中に、あるいは往生浄土の法をとくあり、あるいはとかぬ経あり。『華厳経』にはこれをとけり、すなわち『四十華厳』の中の普賢の十願これなり。『大般若経』の中にすべてこれをとかず。『法華経』(巻六)の中にこれをとけり、すなわち「薬王品」の「即往安楽世界」の文これなり。『涅槃経』にはこれをとかず。また真言宗の中には、『大日経』・『金剛頂経』に蓮華部にこれとくといゑども、大日の分身なり、(わけ)てとけるにはあらず。もろもろの小乗経にはすべて浄土をとかず。しかるに往生浄土をとくことは、この三部経にはしかず。かるがゆへに浄土の一宗には、この三部経をもてその所縁とせり。

浄土宗名
またこの浄土の法門において宗の名をたつること、はじめてまふすにあらず、その証拠これおほし。少々これをいださば、元暁の『遊心安楽道』に、「浄土宗意、本為凡夫、兼為聖人也」「隠/顕」
浄土宗の意、本凡夫のためなり、兼ねては聖人のためなり
といへる、その証なり。かの元暁は華厳宗の祖師なり。慈恩の『西方要決』に、「依此一宗」といえるなり、またその証なり。かの慈恩は法相宗の祖師なり。迦才の『浄土論』(序)には、「此一宗窃要路たり」「隠/顕」
この一宗ひそかに要路たり
といへる、またその証なり。善導『観経の疏』(散善義)に、「真宗叵遇」「隠/顕」
真宗遇いがたし
といへる、またその証なり。かの迦才・善導は、ともにこの浄土一宗をもはらに信ずる人なり。自宗・他宗の釈すでにかくのごとし。しかのみならず、宗の名をたつることは、天台・法相等の諸宗、みな師資相承による。しかるに浄土宗に師資相承血脈次第あり。いはく菩提流支三蔵・恵寵法師・道場法師・曇鸞法師・法上法師・道綽禅師・善導禅師・懐感禅師・小康法師等なり。菩提流支より法上にいたるまでは、道綽の『安楽集』にいだせり。自他宗の人師、すでに浄土一宗となづけたり。浄土宗の祖師、また次第に相承せり。これによて、いま相伝して浄土宗となづくるものなり。しかるを、このむねをしらざるともがらは、むかしよりいまだ八宗のほかに浄土宗といふことをきかずと難破することも候へば、いさゝかまふしひらき候なり。おほよそ諸宗の法門、浅深あり、広狭あり。すなわち真言・天台等の諸大乗宗は、ひろくしてふかし。倶舎・成実等の小乗宗は、ひろくしてあさし。この浄土宗は、せばくしてあさし。しかれば、かの諸宗は、いまのときにおいて機と教と相応せず。教はふかし機はあさし。教はひろくして機はせばきがゆへなり。たとへば韻たかくしては、和することすくなきがごとし。またちゐさき器に大なるものをいるゝがごとし。たゞこの浄土の一宗のみ、機と教と相応せる法門なり。かるがゆへにこれを修せば、かならず成就すべきなり。しかればすなわち、かの不相応の教においては、いたはしく身心をついやすことなかれ。たゞこの相応の法に帰して、すみやかに生死をいづべきなり。
大経
今日講讚せられたまへるところは、この三部の中の『双巻无量寿経』と『阿弥陀経』となり。 まづ『无量寿経』には、はじめに弥陀如来の因位の本願をとく、次にはかの仏の果位の二報荘厳をとけり。しかれば、この『経』には阿弥陀仏の修因感果の功徳をとくなり。{乃至}一一の本誓悲願、一一の願成就の文にあきらかなり。つぶさに釈するにいとまあらず。その中に衆生往生の因果をとくといふは、すなわち念仏往生の願成就の「諸有衆生 聞其名号(しょうしゅじょう-もんごみょうごう)「隠/顕」
あらゆる衆生、その名号を聞きて
(大経巻下)の文、および三輩の文これなり。もし善導の御こゝろによらば、この三輩の業因について正雑の二行をたてたまへり。正行についてまた二あり、正定・助業なり。三輩ともに「一向専念」(大経巻下)といへる、すなわち正定業なり、かの仏の本願に順ずるがゆへに。またそのほかに助業あり、雑行あり。{乃至}おほよそこの三輩の中におのおの菩提心等の余善をとくといゑども、上の本願をのぞむには、もはら弥陀の名号を称念せしむるにあり。かるがゆへに「一向専念」といへり。上の本願といふは、四十八願の中の第十八の念仏往生の願をさすなり。一向のことば、二、三向に対する義なり。もし念仏のほかにならべて余善を修せば、一向の義にそむくべきなり。往生をもとめむ人は、もはらこの『経』によて、かならずこのむねをこゝろうべきなり。
阿弥陀経

次に『阿弥陀経』は、はじめには極楽世界の依正二報をとく、次には一日七日の念仏を修して往生することをとけり、のちには六方の諸仏念仏の一行において証誠護念したまふむねをとけり。すなわちこの『経』には余行をとかずして、えらびて念仏の一行をとけり。{乃至}おほよそ念仏往生は、これ弥陀如来の本願の行なり、教主釈尊選要の法なり、六方諸仏証誠の説なり。余行はしからず。そのむね、『経』の文および諸師の釈つぶさなり。{乃至}
また経を釈するに、仏の功徳もあらはれ、仏を讚ずれば、経の功徳もあらわるゝなり。また疏は経のこゝろを釈したるものなれば、疏を釈せむに、経のこゝろあらはるべし。みなこれおなじものなり、まちまちに釈するにあたはず。{乃至}

観経

いまこの『観无量寿経』に二のこゝろあり。はじめには定散二善を修して往生することをあかし、つぎには名号を称して往生することをあかす。{乃至}『清浄覚経』(巻四意)の信不信の因縁の文をひけり。この文のこゝろは、「浄土の法門をとくをきゝて、信向してみのけいよだつものは、過去にもこの法門をきゝて、いまかさねてきく人なり。いま信ずるがゆへに、決定して浄土に往生すべし。またきけどもきかざるがごとくにて、すべて信ぜぬものは、はじめて三悪道よりきたりて、罪障いまだつきずして、こゝろに信向なきなり。いま信ぜぬがゆへに、また生死をいづることあるべからず」といへるなり。詮ずるところは、往生人のこの法おば信じ候なり。{乃至}
天台等のこゝろは、十三観の上に九品の三輩観をくわへて、十六想観となづく。この定散二善をわかちて、十三観を定善となづけ、三福九品を散善となづくることは、善導一師の御こゝろなり。{乃至}
(そもそも)近来の僧尼を、破戒の僧、破戒尼といふべからず。持戒の人、破戒を制することは正法・像法のときなり。末法には無戒名字の比丘なり。伝教大師『末法灯明記』云、「末法の中に持戒の者ありといはば、これ怪異なり、市に虎あらむがごとし。たれかこれを信ずべき」といへり。またいはく、「末法の中には、たゞ言教のみあて行証なし。もし戒法あらば破戒あるべし。すでに戒法なし、いづれの戒おか破せむによて破戒あらむ。破戒なほなし、いかにいはむや持戒おや」といへり。まことに受戒の作法は、中国には持戒の僧十人を請じて戒師とす。辺地には五人を請じて戒師として、戒おばうくるなり。しかるにこのごろは、持戒の僧一人もとめいださむに、えがたきなり。しかれば、うけての上にこそ破戒とことばもあれば、末代の近来は破戒なほなし、たゞ无戒の比丘なりとまふすなり。この『経』に破戒をとくことは、正像に約してときたまへるなり。{乃至}

念仏往生

次に名号を称して往生することをあかすといふは、「仏、阿難につげたまはく、なんぢよくこの語をたもて。この語たもてといふは、すなわちこれ无量寿仏のみなをたもてとなり」(観経)とのたまへり。善導これを釈していはく、「仏告阿難汝好持是語といふより已下は、まさしく弥陀の名号を付属して、遐代に流通することをあかす。かみよりこのかた、定散両門の益とくといゑども、仏の本願をのぞむには、こゝろ、衆生をして一向にもはら弥陀仏のみなを称するにあり」(散善義)とのたまへり。おほよそこの『経』の中には、定散の諸行をとくといゑども、その定散をもては付属したまはず、たゞ念仏の一行をもて阿難に付属して、未来に流通するなり。「遐代に流通す」といふは、はるかに法滅の百歳までをさす。すなわち末法万年ののち、仏法みな滅して三宝の名字もきかざらむとき、たゞこの念仏の一行のみとゞまりて百歳ましますべしとなり。しかれば、聖道門の法文もみな滅し、十方浄土の往生もまた滅し、上生都率もまたうせ、諸行往生もみなうせたらむとき、たゞこの念仏往生の一門のみとゞまりて、そのときも一念にかならず往生すべしといへり。かるがゆへにこれをさして、とおき世とはいふなり。これすなわち遠をあげて、近を摂するなり。「仏の本願をのぞむ」といふは、弥陀如来の四十八願の中の第十八の願をおしふるなり。いま教主釈尊、定散二善の諸行をすてゝ念仏の一行を付属したまふことも、弥陀の本願の行なるがゆへなり。「一向専念」といふは、『双巻経』にとくところの三輩のもんの中の一向専念をおしふるなり。一向のことば、余をすつることばなり。この『経』には、はじめにひろく定散をとくといゑども、のちには一向に念仏をえらびて付属し流通したまへるなり。しかれば、とおくは弥陀の本願にしたがひ、ちかくは釈尊の付属をうけむとおもはゞ、一向に念仏の一行を修して往生をもとむべきなり。

おほよそ念仏往生諸行往生にすぐれたること、おほくの義あり。一には、因位の本願なり。いはく弥陀如来の因位、法蔵菩薩のとき、四十八の誓願をおこして、浄土をまふけて仏にならむと願じたまひしとき、衆生往生の行をたてゝえらびさだめたまひしに、余行おばえらびすてゝ、たゞ念仏の一行を選定して往生の行にたてたまへり。これを選択の願といふことは、『大阿弥陀経』の説なり。二には、光明摂取なり。これは阿弥陀仏因位の本願を称念して、相好の光明をもて念仏の衆生を摂取してすてたまはずして、往生せさせたまふなり。余の行者おば摂取したまはず。三には、弥陀みづからのたまはく、「これはこれ跋陀和(ばっだわ)菩薩極楽世界にまうでゝ、いづれの行を修してかこのくにゝ往生し候べきと、阿弥陀仏にとひたてまつりしかば、仏こたえてのたまはく、わがくにに生ぜむとおもはゞ、わが名を念じて休息することなかれ、すなわち往生することをえてむ」(一巻本般舟経問事品意)とのたまへり。余行おばすゝめたまはず。四には、釈迦の付属にいはく、いまこの『経』に念仏を付属流通したまへり。余行おば付属せず。五には、諸仏証誠。これは『阿弥陀経』にときたまへるところなり。釈迦仏えらびて念仏往生のむねをときたまへば、六方の諸仏おのおのおなじくほめ、おなじくすゝめて、広長のみしたをのべて、あまねく三千大千世界におほふて証誠したまへり。これすなわち一切衆生をして、念仏して往生することは決定してうたがふべからずと信ぜしめむ料なり。余行おばかくのごとく証誠したまはず。六には、法滅の往生。いはく、「万年三宝滅、斯経住百年。爾時聞一念、皆当得生彼」「隠/顕」
万年にして三宝滅せんに、この『経』住すること百年せん。その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
(礼讚)といふて、末法万年ののち、たゞ念仏の一行のみとゞまりて、往生すべしといへることなり。余行はしからず。しかのみならず、下品下生の十悪の罪人、臨終のとき聞経と称仏と、二善をならべたりといゑども、化仏来迎してほめたまふに、「汝称仏名故諸罪消滅。我来迎汝」「隠/顕」
なんぢ仏名を称するがゆゑにもろもろの罪消滅す。われ来りてなんぢを迎ふ
[11](観経)とほめて、いまだ聞経の事おばほめたまはず。また『双巻経』に三輩往生の業をとく中に、菩提心および起立塔像等の余の行おもとくといゑども、流通のところにいたりて、「其有得聞彼仏名号、歓喜踊躍乃至一念。当知此人為得大利。則是具足无上功徳」「隠/顕」
それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなり。
(大経巻下)とほめて、余行をさして无上功徳とはほめたまはず。念仏往生の旨要をとるに、これにありと。

又云、仏の功徳は百千万劫のあひだ、昼夜にとくともきわめつくすべからず。これによて、教主釈尊、かの阿弥陀仏の功徳を称揚したまふにも、要の中の要をとりて、略してこの三部妙典をときたまへり。仏すでに略したまへり、当座の愚僧いかゞくはしくするにたえむ。たゞ善根成就のために、かたのごとく讚嘆したてまつるべし。阿弥陀如来の内証外用の功徳无量なりといゑども、要をとるに、名号の功徳にはしかず。このゆへにかの阿弥陀仏も、ことにわが名号をして衆生を済度し、また釈迦大師も、おほくかのほとけの名号をほめて未来に流通したまへり。
しかれば、いまその名号について讚嘆したてまつらば、阿弥陀といふは、これ天竺の梵語なり。こゝには翻訳して无量寿仏といふ。また无量光といへり。または无辺光仏・无㝵光仏・无対光仏・炎王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・不断光仏・難思光仏・无称光仏・超日月光仏といへり。こゝにしりぬ、名号の中に光明と寿命との二の義をそなえたりといふことを。かの仏の功徳の中には、寿命を本とし、光明をすぐれたりとするゆへなり。しかれば、また光明・寿命の二の功徳をほめたてまつるべし。

光明功徳

まづ光明の功徳をあかさば、はじめに无量光は、『経』(観経)にのたまはく、

「无量寿仏に八万四千の相あり。一一の相におのおの八万四千の随形好あり。一一の好にまた八万四千の光明あり。一一の光明あまねく十方世界をてらす。念仏の衆生を摂取して、すてたまはず」

といへり。恵心、これをかむがへていはく、「一一の相の中におのおの七百五倶胝六百万の光明を具せり、熾然赫奕たり」(要集巻中意)といへり。一相よりいづるところの光明かくのごとし、いはむや八万四千の相おや。まことに算数(さんじゅ)のおよぶところにあらず。かるがゆへに无量光といふ。 つぎに无辺光といふは、かの仏の光明、そのかずかくのごとし。无量のみにあらず、てらすところもまた辺際あることなきがゆへに无辺光といふ。 つぎに无㝵光は、この界の日月灯燭等のごときは、ひとへなりといゑども、ものをへだてつれば、そのひかりとほることなし。もしかの仏の光明、ものにさえらるれば、この界の衆生、たとひ念仏すといふとも、その光摂をかぶることをうべからず。そのゆへは、かの極楽世界とこの娑婆世界とのあひだ、十万億の三千大千世界をへだてたり。その一一の三千大千世界におのおの四重の鉄囲山あり。いはゆるまづ一四天下をめぐれる鉄囲山あり、たかさ須弥山とひとし。つぎに少千界をめぐれる鉄囲山あり、たかさ第六天にいたる。つぎに中千界をめぐれる鉄囲山あり、たかさ色界の初禅にいたる。次に大千界をめぐれる鉄囲山あり、たかさ第二禅にいたれり。しかればすなわち、もし无㝵光にあたらずは一世界をすらなほとほるべからず。いかにいはむや、十万億の世界おや。しかるにかの仏の光明、かれこれそこばくの大小諸山をとほりてらして、この界の念仏衆生を摂取したまふに障㝵あることなし。余の十方世界を照摂したまふことも、またかくのごとし。かるがゆへに无㝵光といふ。 次に清浄光は、人師釈していはく、「无貪の善根より生ずるところのひかりなり」(述文賛巻中意)。貪に二あり、婬貪・財貪なり。清浄といふは、たゞ汚穢不浄を除却するにはあらず、その二の貪を断除するなり。貪を不浄となづくるゆへなり。もし戒に約せば、不婬戒と不慳貪戒とにあたれり。しかれば法蔵比丘、むかし不婬・不慳貪所生の光といふ。この光にふるゝものは、かならず貪欲のつみを滅す。もし人あて、貪欲さかりにして不婬・不慳貪の戒をたもつことえざれども、こゝろをいたしてもはらこの阿弥陀仏の名号を称念すれば、すなわちかの仏、无貪清浄の光をはなちて照触摂取したまふゆへに、婬貪・財貪の不浄のぞこる。无戒・破戒の罪𠍴滅して、无貪善根の身となりて、持戒清浄の人とひとしきなり。 次に歓喜光は、これはこれ无瞋善根所生の光。ひさしく不瞋恚戒をたもちて、この光をえたまへり。かるがゆへに无瞋所生の光といふ。この光にふるゝものは、瞋恚のつみを滅す。しかれば、憎盛の人なりといふとも、もはら念仏を修すれば、かの歓喜光をもて摂取したまふゆへに、瞋恚のつみ滅して、忍辱のひととおなじ。これまたさきの清浄光の貪欲のつみ滅するがごとし。 次に智慧光は、これはこれ无痴の善根所生の光なり。ひさしく一切智慧をまなうで、愚痴の煩悩をたちつくして、この光をえたまへるがゆへに、无痴所生の光といふ。この光はまた愚痴のつみを滅す。しかれば、无智の念仏者なりといふとも、かの智慧の光をしててらし摂たまふがゆへに、すなわち愚痴の𠍴を滅して、智慧は勝劣あることなし。またこの光のごとくしりぬべし。かくのごとくして十二光の名ましますといふとも、要をとるにこれにあり。

(おほよそ)かの仏の光明功徳の中には、かくのごときの義をそなえたり。くはしくあかさば多種あるべし。おほきにわかちて二あり。一には常光、二には神通光なり。 はじめに常光といふは、諸仏の常光、おのおの意楽にしたがふて、遠近・長短あり。あるいは常光おもて、おのおの一尋相といへり。釈迦仏の常光のごとき、これなり。あるいは七尺をてらし、あるいは一里をてらし、あるいは一由旬をてらし、あるいは二・三・四・五、乃至百千由旬をてらし、あるいは一四天下をてらし、あるいは一仏世界をてらし、あるいは二仏・三仏、乃至百千仏の世界をてらせり。この阿弥陀仏の常光は、八方上下无央数の諸仏の国土において、てらさずといふところなし。八方上下は、極楽について方角をおしふるなり。この常光について異説あり。すなわち『平等覚経』には、別して頭光をおしえたり。『観経』にはすべて身光といへり。かくのごとき異説あり、『往生要集』に(かん)がへたり、みるべし。常光といふは、長時不断にてらす光なり。 次に神通光といふは、ことに別時にてらす光なり。釈迦如来の『法華経』をとかむとしたまひしとき、東方万八千の土をてらしたまふしがごときは、すなわち神通光なり。阿弥陀仏の神通光は、摂取不捨の光明なり。念仏衆生あるときはてらし、念仏の衆生なきときはてらすことなきがゆへなり。善導和尚『観経の疏』(定善義)にこの摂取の光明を釈したまへるしたに、「光照の遠近をあかす」といへり。この念仏衆生の居所の遠近について、摂取の光明も遠近あるべしといふ義なり。たとひ一ついゑのうちに住したりとも、東によりてゐたらむ人の念仏まふさむには、摂取の光明とおくてらし、西によりてゐたらむ人の念仏まふさむには、光明ちかくてらすべし。これをもてこゝろうれば、一つ城のうち、一国のうち、一閻浮提のうち、三千世界の内、乃至他方各別の世界まで、かくのごとしとしるべし。しかれば、念仏衆生について光照の遠近ありと釈したまへる、まことにいわれたることとこそおぼえ候へ。これすなわち阿弥陀仏の神通光なり。諸仏の功徳はいづれの功徳もみな法界に遍すといゑども、余の功徳はその相あらわるゝことなし。たゞ光明のみ、まさしく法界に遍する相をあらわせる功徳なり。かるがゆへに、もろもろの功徳の中には光明をもて最勝なりと釈したるなり。また諸仏の光明の中には弥陀如来の光明なほまたすぐれたまへり。このゆへに教主釈尊ほめてのたまはく、「无量寿仏威神光明、最尊第一、諸仏光明所不能及」「隠/顕」
無量寿仏の威神光明は、最尊第一なり。諸仏の光明、及ぶことあたはざるところなり。
(大経巻上)とのたまへり。またいはく、「我説无量寿仏光明威神巍巍殊妙、昼夜一劫、尚未能尽」「隠/顕」
われ、無量寿仏の光明の威神、巍々殊妙なるを説かんに、昼夜一劫すとも、なほいまだ尽すことあたはじ
(大経巻上)とのたまへり。これはこれ、かの仏の光明と余の仏の光明とを相対してその勝劣を校量せむに、弥陀仏におよばざる仏をかずえむに、よる・ひる一劫すとも、そのかずをしりつくすべからずとのたまへるなり。かくのごとく殊勝の光をえたまふことは、すなわち願行にこたへたり。いはく、かの仏、法蔵比丘のむかし、世自在王仏のみもとにして、二百一十億の諸仏の光明をみたてまつりて、選択思惟して願じていはく、「設我得仏、光明有能限量、下至不照百千億那由他諸仏国者、不取正覚」「隠/顕」
たとひわれ仏を得たらんに、光明よく限量ありて、下、百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ。
(大経巻上)とのたまへり。この願をおこしてのち、兆載永劫のあひだ積功累徳して、願行ともにあらわして、この光をえたまへり。仏の在世に灯指比丘といふ人ありき。(うまれ)しとき、指より光をはなちて十里をてらすことありき。のちに仏の御弟子となりて、出家して羅漢果をえたり。指より光をはなつ因縁によりて、なづけて灯指比丘といへり。過去九十一劫のむかし、毗婆尸仏のときに、ふるき仏像の指の損じたまひたるを修理したてまつりたりし功徳によりて、すなわち指より光をはなつ報をうけたるなり。また梵摩比丘といふ人ありき。身より光をはなちて一由旬をてらせり。これ過去に仏に灯明をたてまつりたりしがゆへなり。また仏の御弟子阿那律は、仏の説法の座に睡眠したることありき。仏、これを種種に弾呵したまふ。阿那律、すなわち懺悔のこゝろをおこして睡眠断ず。七日をへてのち、その目開ながら、そのまなこみずなりぬ。これを医師にとうに、医師こたえていはく、人は食をもて命とす、眼はねぶりをもて食とす。もし人七日食せざらむに、命あにつきざらむや。しかればすなわち、医療のおよぶところにあらず。命つきぬる人に医療よしなきがごとしといへり。そのとき仏、これをあわれみて天眼の法をおしえたまふ。すなわちこれを修して、かへりて天眼通をえたり。すなわち天眼第一阿那律といへるこれなり。過去に仏のものをぬすまむとおもふて塔の中にいたるに、灯明すでにきえなむとするをみて、弓のはず[12]をもてこれをかきあぐ。そのときに、忽然として改悔のこゝろをおこして、あまさへ无上道心をおこしたりき。それよりこのかた、生生世世に无量の福をえたり。いま釈迦出世のとき、ついに得脱して、またかくのごとく天眼通をえたり。これすなわち、かの灯明をかゝげたりし功徳によてなり。{乃至}
寿命功徳

次に寿命の功徳といふは、諸仏寿命、意楽にしたがふて長短あり。これによて恵心僧都、四句をつくれり。「あるいは能化の仏は命ながく、所化の衆生は命みじかきあり。華光如来のごとし。仏の命は十二小劫、衆生の命は八小劫なり。あるいは能化の仏は命みじかく、所化の衆生は命ながきあり。月面如来のごとし。仏の命一日一夜、衆生の命は五十歳なり。あるいは能化・所化ともに命みじかきあり。釈迦如来のごとし。仏も衆生もともに八十歳なり。あるいは能化・所化ともに命ながきあり。阿弥陀如来のごとし。仏も衆生もともに无量歳なり」(小経略記意)。かるがゆへに『経』(大経巻上)にのたまはく、

「仏告阿難、无量寿仏寿命長久不可勝計。汝寧知乎、仮使十方世界无量衆生皆得人身、悉令成就声聞・縁覚、都共推算計禅思一心竭其智力於百千万劫、悉共推算計其寿命長遠之数、不能窮尽知其限極。声聞・菩薩・天人之衆寿命長短亦復如是。非算数譬喩所能知也」「隠/顕」
仏、阿難に語りたまはく、「無量寿仏は寿命長久にして称計すべからず。なんぢむしろ知れりや。たとひ十方世界の無量の衆生、みな人身を得て、ことごとく声聞・縁覚を成就せしめて、すべてともに集会し、禅思一心にその智力を竭して、百千万劫においてことごとくともに推算してその寿命の長遠の数を計らんに、窮尽してその限極を知ることあたはじ。声聞・菩薩・天・人の衆の寿命の長短も、またまたかくのごとし。算数譬喩のよく知るところにあらざるなり。
とのたまへり。たゞもし神通の大菩薩等のかずへたまはむには、一大恒沙劫なりと、『大論』のこゝろをもて、恵心(かんがえ)たり。この数、二乗凡夫のかずへてしるべきかずにあらず。かるがゆへに无量とはいへるなり。すべて仏の功徳を論ずるに、能持・所持の二の義あり。寿命をもて能持といひ、自余のもろもろの功徳おばことごとく所持といふなり。寿命はよくもろもろの功徳をたもつ。一切の万徳、みなことごとく寿命にたもたるゝがゆへなり。これは当座の導師がわたくしの義なり。すなわちかの仏の相好・光明・説法・利生等の一切功徳、および国土の一切荘厳等のもろもろの快楽のことら、たゞかの仏の命のながくましますがゆへの事なり。もし命なくは、かれらの功徳・荘厳等なにゝよりてかとゞまるべき。しかれば、四十八願の中にも、寿命无量の願に自余の諸願おばおさめたるなり。たとひ第十八の念仏往生の願、ひろく諸機を摂して済度するににたりといゑども、仏の御命もしみじかくは、その願なほひろまらじ。そのゆへは、もし百歳千歳、もしは一劫二劫にてもましまさましかば、いまのときの衆生はことごとくその願にもれなまし。かの仏成仏してのち、十劫をすぎたるがゆへなり。これをもてこれをおもへば、済度利生の方便は寿命の長遠なるにすぎたるはなく、大慈大悲の誓願も寿命の无量なるにあらわるゝものなり。これ娑婆世界の人も、命をもて第一のたからとす。七珍万宝をくらの内にみてたれども、綾羅錦繡をはこのそこにたくわえたるも、命のいきたるほどぞわが宝にてもある、まなこ閉ぬるのちはみな人のものなり。しかれば、{乃至}弥陀如来の寿命无量の願をおこしたまひけむも、御身のため長寿の果報をもとめたまふにはあらず。済度利生のひさしかるべきために、また衆生をして忻求のこゝろをおこさしめむがためなり。一切衆生はみな命ながゝらむことをねがふがゆへなり。凡かの仏の功徳の中には、寿命无量の徳をそなへたまふにすぎたることは候はぬなり。このゆへに『双巻経』の題にも「无量寿経」といへども、无量光経とはいはず。隋朝よりさきの旧訳には、みな経の中に宗とあることをえらびて、詮をぬき略を存じてその題目とするなり。すなわちこの『経』の詮には、阿弥陀如来の功徳をとけるなり。その功徳の中には、光明无量・寿命无量の二の義をそなへたり。その中にはまた寿命なを最勝なるゆへに、「无量寿経」となづくるなり。また釈迦如来の功徳の中にも、久遠実成の宗をあらわせるをもて殊勝甚深のこととせり。すなわち『法華経』に「寿量品」とてとかれたり。廿八品の中には、この品をもてすぐれたりとす。まさにしるべし、諸仏の功徳にも寿命をもて第一の功徳とし、衆生のたからにも命をもて第一のたからとすといふことを。その命ながき果報をうることは、衆生に飲食をあたへ、またものゝ命をころさゞるを業因とするなり。因と果と相応することなれば、食はすなわち命をつぐがゆへに、食をあたふるはすなわち命をあたふるなり。不殺生戒をたもつもまた衆生の命をたすくるなり。かるがゆへに、飲食をもて衆生に施与し、慈悲に住して不殺生戒をたもてば、かならず長命の果報をえたり。しかるにかの阿弥陀如来は、すなわち願行あひたすけて、この寿命无量の徳おば成就したまへるなり。願といふは、四十八願の中の第十三の願にいはく、「設我得仏、寿命有能限量、下至百千億那由他劫者、不取正覚」「隠/顕」
たとひわれ仏を得たらんに、寿命よく限量ありて、下、百千億那由他劫に至らば、正覚を取らじ。
(大経巻上)とのたまへり。行といふは、かの願をたてたまふてのち无央数劫のあひだ、また不殺生戒をたもてり。また一切の凡聖において、飲食・医薬を供養し施与したまへるなり。これは阿弥陀如来の寿命の功徳なり。{乃至}
弥陀入滅

かの仏、かくのごとく寿命无量なりといゑども、また涅槃隠没の期まします。これについて、あわれなることこそ候へ。道綽禅師、念仏の衆生において始終両益ありと釈したまへる。その終益をあかすに、すなわち『観音授記経』(意)をひきていはく、「阿弥陀仏、住世の命、兆載永劫のゝち滅度したまひて、たゞ観音・勢至、衆生を接引したまふことあるべし。そのときに、一向にもはら念仏して往生したる衆生のみ、つねに仏をみたてまつる、滅したまはぬがごとし。余行往生の衆生は、みたてまつることあらず」といへり。往生をえてむ上に、そのときまでのことはあまりごとぞ、とてもかくてもありなむとおぼえぬべく候へども、そのときにのぞみては、かなしかるべきことにてこそ候へ。かの釈迦入滅のありさまにても、おしはかられ候なり。証果の羅漢、深位の大士も、非滅・現滅[13]のことはりをしりながら、当時別離のかなしみにたえず、天にあおぎ地にふし、哀哭し悲泣しき。いはむや未証の衆生おや、浅識の凡愚おや、乃至龍神八部五十二類も、凡涅槃の一会悲歎のなみだをながさずといふことなし。しかのみならず、娑羅林のこずゑ、抜提河の水、すべて山川・渓谷・草木・樹林も、みな哀傷のいろをあらはしき。しかれば、過去をきゝて未来をおもひ、穢土になずらへて浄土をしるに、かの阿弥陀仏の衆宝荘厳の国土をかくし、涅槃寂滅の道場にいりたまひてのち、八万四千の相好ふたゝび現ずることなく、无量无辺の光明はながくてらすことなくは、かの()の聖衆人天等、悲哀のおもひ、恋慕のこゝろざし、いかばかりかは候べき。七宝自然のはやしなりとも、八功如意の水なりとも、名華・輭草のいろも、鳧鴈・鴛鴦のこゑも、いかゞそのときをしらざらむや。浄穢は土ことなりといゑども、世尊の滅度すでにことなることなし。迷悟はこゝろかわるといゑども、所化の悲恋なんぞかわることあらむや。この娑婆世界の凡夫、具縛の人の心事、相応せず。意楽各別にて、つねに違背し、たがひに厭悪をするだにも、あるいは夫妻のちぎりおもむすび、あるいは朋友のことばおもなして、しばらくもなづさひ[14]、また馴ぬれば、遠近のさかひをへだて、前後の生をあらため、かくのごとく生おも死おもわかれをつぐるときには、なごりをおしむこゝろたちまちにもよおし、かなしみにたえず、なみだおさへがたきことにてこそは候へ。いかにいはむや、かの仏、内には慈悲哀愍のこゝろをのみたくはへてましませば、なれたてまつるにしたがふて、いよいよむつまじく、外には見者无厭の徳をそなへてましませば、みまいらするごとに、いやめづら[15]なるおや。まことに无量永劫があひだ、あさゆふに万徳円満のみかほをおがみたてまつり、昼夜に四弁无窮[16]の御音になれたてまつりて、恭敬瞻仰し、随逐給仕して、すぎたらむここちに、ながくみたてまつらざらむことになりたらむばかり、かなしかるべきことや候べき。无有衆苦のさかひ、離諸妄想のところなりといふとも、このこと一事は、さこそおぼへ候らめとぞおぼえ候。それにもとのごとくみたてまつりて、あらたまることなからむことは、まことにあはれにありがたきこととこそおぼへ候へ。これすなわち、念仏一行、かの仏の本願なるがゆへなり。おなじく往生をねがはむ人は、専修念仏の一門よりいるべきなり。

康元元丁巳正月二日書之
愚禿親鸞{八十五歳}


西方指南抄上[末]

 

 

大経

次に『双巻无量寿経』。「浄土三部経」の中には、この『経』を根本とするなり。其故は、一切の諸善は願を根本とす[17] 。而(しかれ)ば此『経』には弥陀如来の因位の願をときていはく、乃往過去久遠无量无央数劫に仏ましましき、世自在王仏とまふしき。そのとき一人の国王ありき。仏の説法をきゝて、无上道心をおこして、国をすて王をすてゝ、家をいでゝ沙門となれり。なづけて法蔵比丘といふ。すなわち世自在王仏の所詣て、右にめぐること三帀して、頂跪合掌して仏をほめたてまつりてまふしてまふさく、われ浄土をまうけて衆生を度せむとおもふ。ねがわくは、わがために経法をときたまへと。そのとき世自在王仏、法蔵比丘のために二百一十億の諸仏の浄土の人天の善悪、国土の麁妙をとき、また現じてこれをあたへたまふ。法蔵比丘、仏の所説をきゝ、また厳浄の国土をことごとくみおはりてのち、五劫のあひだ思惟し取捨して、二百一十億の浄土の中よりえらびとりて、四十八の誓願をまふけたり。この二百一十億の諸仏のくにの中より、善悪の中には悪をすてゝ善をとり、麁妙の中には麁をすてゝ妙をとる。かくのごとく取捨し選択して、この四十八願をおこせるがゆへに、この『経』の同本訳の『大阿弥陀経』には、この願を選択の願[18] ととかれたり。その選択のやう、おろおろまふしひらき候はむ。

まづはじめの无三悪趣の願は、かの諸仏の国土の中に、三悪道あるおばえらびすてゝ、三悪道なきおばえらびとりてわが願とせり。次に不更悪趣の願は、かの諸仏のくにの中に、たとひ三悪道なしといゑども、かのくにの衆生、また他方の三悪道におつることあるくにおばえらびすてゝ、すべて三悪道にかへらざるくにをえらびとりてわが願とせるなり。次に悉皆金色の願、次に无有好醜の願、一一の願みなかくのごとしとしるべし。第十八の念仏往生の願は、かの二百一十億の諸仏の国土の中に、あるいは布施をもて往生の行とするくにあり、あるいは持戒および禅定・智慧等、乃至発菩提心、持経・持呪等、孝養父母奉事師長等、かくのごときの種種の行をもて、おのおの往生の行とするくにあり、あるいはまた、もはらそのくにの教主の名号を称念するをもて、往生の行とするくにもあり。しかるにかの法蔵比丘、余行をもて往生の行とする国おばえらびすてゝ、たゞ名号を称念して往生の行とする国をえらびとりて、わが国土の往生の行も、かくのごとくならむとたてたまへるなり。次に来迎引接の願、次に係念定生の願、みなかくのごとくえらびとりて願じたまへり。凡はじめ无三悪趣の願より、おはり得三法忍の願にいたるまで思惟し選択するあひだ、五劫おばおくりたるなり。かくのごとく選択し摂取してのちに、仏のみもとに詣して、一一にこれをとく。その四十八願ときおはりてのち、また偈をもてまふさく、「我建超世願、必至无上道。斯願不満足、誓不成正覚。{乃至}斯願若剋果、大千応感動。虚空諸天人、当雨珍妙華」 「隠/顕」
われ超世の願を建つ、かならず無上道に至らん。この願満足せずは、誓ひて正覚を成らじ。{乃至}この願もし剋果せば、大千まさに感動すべし。虚空の諸天人、まさに珍妙の華を雨らすべし。『大経』重誓偈
(大経巻上)と。かの比丘、この偈をときおはるに、ときに応じてあまねく地、六種に震動し、天より妙華そのうえに散じて、自然の音楽、空の中にきこへ、また空の中にほめていはく、「決定してかならず无上正覚なるべし」(大経巻上)と。しかれば、かの法蔵比丘の四十八願は、一一に成就して決定して仏になるべしといふことは、そのはじめ発願のとき、世自在王仏の御まへにして、諸魔・竜神八部、一切大衆の中にして、かねてあらわれたることなり。しかれば、かの世自在王仏の法の中には、法蔵菩薩の四十八願経とて受持・読誦しき。いま釈迦の法の中なりといふとも、かの仏の願力をあおぎて、かのくにゝむまれむとねがふは、この法蔵菩薩四十八願の法門にいるなり。すなわち道綽禅師・善導和尚等も、この法蔵菩薩の四十八願法門にいりたまへるなり。かの華厳宗の人は『華厳経』をたもち、あるいは三論宗の人は『般若経』等をたもち、あるいは法相宗の人は『瑜伽』・『唯識』をたもち、あるいは天台宗の人は『法華』をたもち、あるいは善无畏は『大日経』をたもち、金剛智は『金剛頂経』をたもつ。かくのごとく、おのおの宗にしたがふて、依経・依論をたもつなり。いま浄土宗を宗とせむ人は、この『経』によて四十八願法門をたもつべきなり。この『経』をたもつといふは、すなわち弥陀の本願をたもつなり。弥陀の本願といふは、法蔵菩薩の四十八願法門なり。その四十八願の中に、第十八の念仏往生の願を本体とするなり。かるがゆへに善導のたまはく、「弘誓多門四十八。偏標念仏最為親」「隠/顕」
弘誓多門にして四十八なれども、ひとへに念仏を標してもつとも親となす。『法事讃』
(法事讚巻上)といへり。念仏往生といふことは、みなもとこの本願よりおこれり。しかれば、『観経』・『弥陀経』にとくところの念仏往生のむねも、乃至余の経の中にとくところも、みなこの『経』にとけるところの本願を根本とするなり。なにをもてかこれをしるとならば、『観経』にとけるところの光明摂取を、善導釈したまふに、「唯有念仏蒙光摂、当知本願最為強」「隠/顕」
ただ念仏するもののみありて光摂を蒙る。まさに知るべし、本願もつとも(こわ)しとなす。『往生礼讃 』
(礼讚)といへり。この釈のこゝろ、本願なるがゆへに光明も摂取すときこえたり。またおなじ『経』に、下品上生に聞経と称仏とをならべてとくといゑども、化仏きたりてほめたまふには、たゞ称仏の功をのみほめて、聞経おばほめたまはずといへり。善導釈していはく、「望仏本願意者、唯勧正念称名。往生義疾不同雑散之業」「隠/顕」
仏の願意に望むれば、ただ勧めて正念に名を称せしむ。 往生の義、疾(と)きこと雑散の業に同じからず。「散善義」
(散善義)といへり。これまた本願なるがゆへに、称仏おばほめたまふときこへたり。またおなじ『経』の付属の文を釈したまふにも、「望仏本願意、在衆生一向専称弥陀仏名」「隠/顕」
仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。
(散善義)といへり。これまた弥陀の本願なるがゆへに、釈尊も付属し、流通せしめたまふときこへたり。また『阿弥陀経』にとけるところの一日七日の念仏を善導ほめたまふに、「直為弥陀弘誓重、致使凡夫念即生」「隠/顕」
ただに弥陀の弘誓重きがために、凡夫をして念ずればす なはち生ぜしむることを致す。『法事讃』
(法事讚巻下)といへり。これまた一日七日の念仏も、弥陀の本願なるがゆへに往生すときこえたり。乃至『双巻経』の中にも、三輩已下の諸文はみなかみの本願によるなり。(おほよそ)この「三部経」にかぎらず、一切諸経の中にあかすところの念仏往生は、みなこの『経』の本願をのぞまむとてとけるなりと、しるべし。
(そもそも)法蔵菩薩、いかなれば余行をすてて、たゞ称名念仏の一行をもて本願にたてたまへるぞといふに、これに二の義あり。一には念仏は殊勝の功徳なるがゆへに、二は念仏は行じやすきによて諸機にあまねきがゆへに。はじめに殊勝の功徳なるがゆへにといふは、かの仏の因果、総別の一切の万徳、みなことごとく名号にあらわるゝがゆへに、一たびも南无阿弥陀仏ととなふるに、大善根をうるなり。こゝをもて『西方要決』にいはく、「諸仏願行成此果名、但能念号具包衆徳、故成大善不廃往生」「隠/顕」
諸仏の願行、この果の名を成ず。ただよく号を念ずれば、つぶさにもろもろの徳を包ぬ。ゆえに大善を成じて往生を廃さず。
といへり。またこの『経』(大経巻下)に、すなわち一念をさして「无上功徳」とほめたり。しかれば、殊勝の大善根なるがゆへに、えらびて本願としたまへるなり。二には修しやすきがゆへにといふは、南无阿弥陀仏とまふすことは、いかなる愚痴のものも、おさなきも、老たるも、やすくまふさるゝがゆへに、平等の慈悲の御こゝろをもて、その行をたてたまへり。もし布施をもて願とせば、貧窮困乏のともがら、さだめて往生ののぞみをたゝむ。もし持戒をもて本願とせば、破戒・無戒のたぐひ、また往生ののぞみをたつべし。もし禅定をもて本願とせば、散乱麁動のともがら、往生すべからず。もし智慧をもて本願とせば、愚鈍下智のもの、往生すべからず。自余の諸行もこれになずらへてしるべし。しかるに布施・持戒等の諸行にたえたるものはきわめてすくなく、貧窮・破戒・散乱・愚痴のともがらははなはだおほし。しかれば、かみの諸行をもて本願としたまひたらましかば、往生をうるものはすくなく、往生せぬものはおほからまし。これによて法蔵菩薩、平等の慈悲にもよおされて、あまねく一切を摂せむがために、かの諸行をもては往生の本願とせず、たゞ称名念仏の一行をもてその本願としたまへるなり。かるがゆへに法照禅師のいはく、
「於未来世悪衆生 称念西方弥陀号
依仏本願出生死 以直心故生極楽」「隠/顕」
未来世の悪衆生、西方弥陀の号(みな)を称念すれば、仏の本願によって生死を出ん、直心をもってのゆえに極楽に生ず。
と[云]。

又(五会法事讚巻本)云、

「彼仏因中立弘誓 聞名念我総迎来
不簡貧窮将富貴 不簡下智与高才
不簡多聞持浄戒 不簡破戒罪根深
但使廻心多念仏 能令瓦礫変成金」「隠/顕」
かの仏の因中に弘誓を立てたまへり。名を聞きてわれを念ぜばすべて迎へ来らしめん。貧窮と富貴とを簡ばず、下智と高才とを簡ばず、多聞と浄戒を持てるとを簡ばず、破戒と罪根の深きとを簡ばず。ただ回心して多く念仏せしむれば、よく瓦礫をして変じて金(こがね)と成さんがごとくせしむ。(行巻訓)
と。
かくのごとく誓願をたてたりとも、その願成就せずは、まさにたのむべきにあらず。しかるにかの法蔵菩薩の願は、一一に成就してすでに仏になりたまへり。その中に、この念仏往生の願成就の文にいはく、「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念。至心廻向。願生彼国、即得往生、住不退転」「隠/顕」
諸有の衆生、その名号を聞きて信心歓喜し、すなはち一念に至るまで心を至して回向して、かの国に生ぜんと願ずれば、すなはち往生を得て、不退転に住せん。ただ五逆と誹謗正法とを除く」(『論註』での引文 論註 P.92)
(大経巻下)と[云]。次に三輩の往生はみな、「一向専念无量寿仏」(大経巻下)といへり。この中に菩提心等の諸善ありといゑども、かみの本願をのぞむには、一向にもはらかの仏の名号を念ずるなり。例せばかの『観経の疏』(散善義)に釈せるがごとし。「かみよりこのかた、定散両門の益をとくといゑども、仏の本願をのぞむには、こゝろ衆生をして一向にもはら弥陀仏のみなを称するにあり」といへり。「望仏本願」といふは、この三輩の中の「一向専念」をさすなり。 次に流通にいたて、「其有得聞彼仏名号、歓喜踊躍乃至一念。当知此人為得大利。即是具足无上功徳」「隠/顕」
それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。『無量寿経』流通分)
(大経巻下)といへり。善導の御こゝろは、「上尽一形下至一念」(礼讚意)、无上功徳なりと。余師のこゝろによらば、たゞ少をあげて多をあらはすなりといへり。次に「当来之世経道滅尽、我以慈悲哀愍、特留此経止住百歳。其有衆生値此経者、随意所願皆可得度」「隠/顕」
当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありてこの経に値ふものは、意の所願に随ひてみな得度すべし。 『無量寿経』流通分
(大経巻下)といへり。この末法万年ののち、三宝滅尽のときの往生をおもふに、一向専念の往生の義をあかすなり。そのゆへは、菩提心をときたる諸経みな滅しなば、なにゝよてか菩提心の行相おもしらむ。大小の戒経みなうせなば、なにゝよてか二百五十戒おも、五十八戒おもたもたむ。仏像あるまじければ、造像起塔の善根もあるべからず。乃至、持経・持呪等もまたかくのごとし。そのときに、なほ一念するに往生すといへり。すなわち善導いはく、「爾時聞一念、皆当得生彼」「隠/顕」
その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
(礼讚)といへり。かれをもていまをおもふに、念仏の行者はさらに余の善根において一塵も具せずとも、決定して往生すべきなり。しかれば、菩提心をおこさずはいかでか往生すべき、戒をたもたずしてはいかゞ往生すべき、智慧なくてはいかゞ往生すべき、忘念をしづめずしてはいかゞ往生すべきなむど、かくのごとくまふす人々候は、この『経』をこゝろえぬにて候なり。懐感禅師この文を釈せるに、「説戒・受戒もみな成ずべからず、甚深の大乗もしるべからず。さきだちて隠没しぬれば、たゞ念仏のみさとりやすくして、浅識の凡愚なほよく修習して利益をうべし」(群疑論巻三意)といへり。まことに戒法滅しなば、持戒あるべからず。大乗みな滅しなば、発菩提心・読誦大乗もあるべからずといふことあきらかなり。浅識の凡愚といへり。しるべし、智慧にあらずといふことを。かくのごときのともがらの、たゞ称名念仏の一行を修して、一声まで往生すべしといへるなり。これすなわち弥陀の本願なるがゆへなり。すなわち、かの大悲本願のとおく一切を摂する義なり。
小経
次に『阿弥陀経』は、「不可以少善根福徳因縁得生彼国。舎利弗、若有善男子・善女人、聞説阿弥陀仏、執持名号、若一日、乃至七日」「隠/顕」
少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。舎利弗、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日乃至七日
といへり。善導和尚釈にいはく、「随縁雑善恐難生。故使如来選要法」「隠/顕」
随縁の雑善おそらくは生じがたし。ゆゑに如来(釈尊)要法を選びて
(法事讚巻下)といへり。こゝにしりぬ、雑善をもては少善根となづけ、念仏をもて多善根といふことを。この『経』はすなわち、少善根なる雑善をすてゝ、もはら多善根の念仏をとけるなり。ちかごろ唐よりわたりたる『龍舒浄土文』とまふす文候。それに『阿弥陀経』の脱文とまふして、廿一字ある文をいだせり。「一心不乱」の下に、「専持名号、以称名故諸罪消滅、即是多善根福徳因縁」「隠/顕」
もっぱら名号をたもつ。称名をもつてのゆえに、諸罪消滅す。すなはちこれ多善根福徳因縁なり。 →襄陽の石碑の経「龍舒浄土文」
(龍舒浄土文巻一)といへり。すなわちかの文にこの文をいだしていはく、「いまのよにつたわるところの本に、この廿一字を脱せり」(龍舒浄土文巻一)といへり。この脱文なしといふとも、たゞ義をもておもふに、多少の義ありといゑども、まさしく念仏をさして多善根といへる文、まことに大切なり。 次に六方如来の証誠をとけり。かの六方諸仏の証誠、たゞこの『経』をのみかぎりて証誠したまふににたれども、実をもて論ずれば、この『経』のみにかぎらず。すべて念仏往生を証誠するなり。しかれども、もし『双巻経』について証誠せば、かの経に念仏往生の本願をとくといゑども、三輩の中に菩提心等の行あるがゆへに、念仏の一行証誠するむねあらわるべからず。もし『観経』を証せば、かの経にえらむで念仏を付属すといゑども、まづは定散の諸行をとくがゆへに、また念仏の一行にかぎるとみゆべからず。こゝをもて、たゞ一向にもはら念仏をときたるこの『経』を証誠したまふなり。たゞ証誠のみことば、この『経』にありといへども、証誠の義はかの『双巻』・『観経』にも通ずべし。『双巻』・『観経』のみにあらず、もし念仏往生のむねをとかむ経おば、ことごとく六方如来の証誠あるべしとこゝろうべきなり。かるがゆへに天台の『十疑論』にいはく、「『阿弥陀経』・『大无量寿経』・『鼓音声陀羅尼経』等にいはく、釈迦仏、経をときたまふときに、有十方世界各河沙諸仏、舒其舌相、遍覆三千世界、証誠一切衆生、念阿弥陀仏本願大悲願力故、決定得生極楽世界」「隠/顕」
『阿弥陀経』・『大无量寿経』・『鼓音声陀羅尼経』等にいはく、釈迦仏、経をときたまふときに、十方世界のおのおの恒河沙の諸仏ありて、その舌相をのべて遍く三千世界を覆いて一切衆生が阿弥陀仏を念ずるを証誠したまう。本願の大悲願力のゆえに、決定して極楽世界に生ずることを得ん。
といへり。{乃至}
浄土五祖

次に往生浄土の祖師の五の影像を図絵したまふに、おほくこゝろあり。まづ恩徳を報ぜむがため、次には賢をみてはひとしからむことをおもふゆへなり。天台宗を学せむ人は、南岳・天台を見たてまつりて、ひとしからばやとおもひ、真言をならはむ人は、不空・善无畏をみては、ひとしからむとおもひ、華厳宗の人は、香像・恵遠のごとくならむとおもひ、法相宗の人は、玄奘・慈恩のごとくならむとおもひ、三論の学者は、浄影大師をもうらやみ、持律の行者は、道宣律師おもとおからずおもふべきなり。しかれば、いま浄土をねがはむ人、その宗の祖師をまなぶべきなり。しかるに浄土宗の師資相承に二の説あり。『安楽集』のごときは、菩提流支・恵寵法師・道場法師・曇鸞法師・斉朝法上法師等の六祖をいだせり。今また五祖といふは、曇鸞法師・道綽禅師・善導禅師・懐感禅師・小康法師等なり。
曇鸞法師は、梁・魏両国の无双[19]の学生也。はじめは寿長して仏道を行ぜむがため、陶隠居にあふて仙経をならふて、その仙方によて修行せむとしき。のちに菩提流支三蔵にあひたてまつりて、仏法の中に長生不死の法の、この土の仙経にすぐれたるや候ととひたてまつりたまひければ、三蔵唾を吐てこたえたまふやう、とえることばをもていひならふべきにあらず。この土いづれのところにか長生の方あらむ。命ながくしてしばらくしなぬやうなれども、ついにかへ三有輪廻す。たゞこの経によて修行すべし。すなわち長生不死の所にいたるべしといふて、『観経』を授たまへり。そのときたちまちに改悔のこゝろをおこして、仙経を焼て、自行化他、一向に往生浄土の法をもはらにしき。『往生論の註』、また『略論安楽土義』等の文造也。幷州の玄忠寺に三百余人門徒あり。臨終のとき、その門徒三百余人あつまりて、自は香呂をとりて西に向て、弟子ともに声を(ひとしく)して、高声念仏して命終しぬ。そのとき道俗、おほく空中に音楽を聞といへり。
道綽禅師は、本は涅槃の学生なり。幷州の玄忠寺にして曇鸞の碑文をみて、発心して云、「かの曇鸞法師、智徳高遠なり。なほ講説をすてて浄土の業を修して、すでに往生せり。いはむやわが所解、所知おほしとするにたらむや」(迦才浄土論巻下意)と云て、すなわち涅槃の講説をすてゝ、一向にもはら念仏を修して相続してひまなし。つねに『観経』を講じて、人を勧たり。幷州の晋陽・大原・汶水の三県道俗、七歳已上は(ことごとく)念仏をさとり往生をとげたり。又人を勧て、㖒唾便利西方に向はず、行住座臥西方を背ず。又『安楽集』二巻これを造。凡往生浄土の教弘通、道綽の御力也。往生伝等を見にも、多道綽の勧を受て往生をとげたり。善導もこの道綽の弟子也。しかれば、修南山の道宣の伝に云、「西方道教の弘ことは、これより起」(続高僧伝巻二〇意)と云り。又曇鸞法師、七宝の船に乗て空中に来をみる。又化仏・菩薩空に住する事七日、そのとき天華雨て、来集人々袖にこれをうく。かくのごとく不可思議の霊瑞多し。終のとき、白雲西方より来て、三道の白光と成て房中を照す。五色の光、空中に現ず。又墓の上に紫雲三度現ずる事あり。

善導和尚、いまだ『観経』をえざるさきに、三昧をえたまひたりけると覚候。そのゆへは、道綽禅師にあふて『観経』をえてのち、この経の所説、わが所見におなじとのたまへり。導和尚の念仏したまふには、口より仏出たまふ。曇省讚に云、「善導念仏仏従口出」「隠/顕」
善導念仏したまへば仏口より出ずるなり。
といへり。同念仏をまふすとも、かまえて善導のごとく口より仏出たまふばかりまふすべきなり。「欲如善導妙在純熟」「隠/顕」
善導のごとく妙純熟にあらんと欲す。
とまふして、誰なりとも念仏をだにもまことに申て、その功熟しなば、口より仏は出たまふべき也。道綽禅師は師なれども、いまだ三昧を発得せず。善導は弟子なれども、三昧をえたまひたりしかば、道綽、わが往生は一定か不定かと仏にとひたてまつりたまへとたまひければ、善導禅師命をうけてすなわち定に入て阿弥陀仏にとひたてまつりしに、仏言、道綽に三の罪あり、すみやかに懺悔すべし。その罪懺悔して、(さだめ)て往生すべし。一には、仏像・経巻おばひさしに安て、わが身は房中に居す。二には、出家の人をつかふ。三には、造作のあひだ虫の命を殺す。十方の仏前にして、第一の罪を懺悔すべし。諸僧の前にして、第二の罪を懺悔すべし。一切衆生の前にして、第三の罪を懺悔すべしと。善導すなわち定より出て、このむねを道綽につげたまふに、道綽云、しづかにむかしのとがをおもふに、これみな空からずと云て、こゝろを至て懺悔すと云。しかれば、師に勝たるなり。善導は、ことに火急の小声念仏を勧て、数をさだめたまへり。一万・二万・三万・五万、乃至十万と云り。

懐感禅師は、法相宗の学生也。(ひろく)経典をさとりて、念仏おば信ぜず、善導に問云、念仏して仏を見たてまつりてむやと。導和尚答て云、仏の誠言なむぞうたがはむや。懐感この事について忽に解をひらき、信を起て道場に入て、高声に念仏して見たてまつらむと願ずるに、三七日までにその霊瑞をみず。そのとき感禅師、自罪障の深して仏をみたてまつらざるとを恨て、食を断じて死せむとす。善導、制してゆるさず。のちに『群疑論』七巻を造と[云々]。感師はことに高声念仏を勧たまへり。
小康法師は、本は持経者也。年十五歳にして『法華』・『華厳』等の経五部を読覚たり。これによて、『高僧伝』には読誦篇に入れたれども、たゞ持経のみにあらず、瑜伽唯識の学生也。のちに白馬寺に詣て堂内をみれば、光はなちたる物あり。これを採取(さぐり-とり)て見ば、善導の西方化導の文也。小康これをみて、こゝろ忽に歓喜して、願を発て云、われもし浄土に縁あらば、この文再光を放と。かくのごとく誓了て見ば、重て光を放。その光の中に、化仏・菩薩まします。歓喜やめがたくして、ついに又長安の善導和尚の影堂に詣して善導の真像を見ば、化して仏身となりて小康にのたまはく、汝わが教によて衆生を利益し、同浄土に生ずべしと。これを聞て、小康、所証あるがごとし。後に人を勧とするに、人その教化にしたがはず。しかるあひだ、銭をまうけて、まづ小童等を勧て、念仏一返に銭一文をあたふ。のちに十遍に一文、かくのごとくするあひだ、小康の行に小童等ついておのおの念仏す。又小童のみにあらず、老小男女をきらはず、みなことごとく念仏す。かくのごとくしてのち、浄土堂を造て、昼夜に行道して念仏す。所化にしたがふて道場に来集輩、三千余人也。又小康、高声に念仏するを見ば、口より仏出たまふこと、善導のごとし。このゆへに、時の人、後善導となづけたり。浄土堂とは唐のならひ、阿弥陀仏をすえたてまつりたる堂おば、みな浄土堂となづけたる也。
五祖の御徳、要をとるにかくのごとしと。

念仏往生
又『无量寿経』は、如来の教をまうけたまふこと、みな済度衆生のためなり。かるがゆへに、衆生の機根まちまちなるがゆへに、仏の経教も又无量なり。しかるに今の『経』は、往生浄土のために衆生往生の法を説たまふ也。阿弥陀仏、修因感果の次第、極楽浄土の二報荘厳のありやうをくはしく説たまへるも、衆生の信心を勧て忻求のこゝろをおこさせむがため也。しかるにこの『経』の詮にては、われら衆生の往生すべきむねを説たまへる也。たゞしこの『経』を釈するに、諸師のこゝろ不同也。今しばらく善導和尚の御こゝろをもてこゝろえ候に、この『経』はひとへに専修念仏のむねを説を衆生往生の業としたまへるなり。なにをもてこれをしるといふに、まづかの仏の因位の本願を説中に、「設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念。若不生者、不取正覚」(大経巻上)「隠/顕」
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。
と云。かの仏の因位、法蔵比丘のむかし、世自在王仏のみもとにして、二一十億の諸仏妙土の中よりえらびて四十八の誓願を起て、浄土をまふけて仏になりて、衆生をしてわがくにに生さすべき行業をえらびて願じたまひしに、またく行おばたてずして、たゞ念仏の一行をたてたまへる也。かるがゆへに『大阿弥陀経』には、すべてかの仏の願おば、選択してたてたまふゆへなり。『大阿弥陀経』、この経は同本異訳の経也。しかるに往生の行は、われらがさかしくいまはじめてはからふべきことにあらず、みなさだめおけることなり。法蔵比丘、もし悪をえらびてたてたまはゞ、世自在王仏、なほさでおはしますべきかは。かの願どもとかせてのち、決定无上正覚なるべしと授記したまはむ。法蔵菩薩、かの願たてたまひて、兆載永劫のあひだ難行・苦行積功累徳して、すでに仏になりたまひたれば、むかしの誓願一一にうたがふべからず。しかるに善導和尚、この本願の文を引てのたまはく、「若我成仏、十方衆生、称我名下至十声、若不生者、不取正覚。彼仏今現在成仏。当知本誓重願不虚、衆生称念必得往生」[20] 「隠/顕」
もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。
(礼讚)と云。まことにわれら衆生、自力ばかりにて往生をもとむるにとりてこそ、この行業は仏の御こゝろにかなひやすらむ。またなにとも不審にもおぼへ、往生も不定には候べき。念仏を申して往生を願はむ人は、自力にて往生すべきにはあらず、たゞ他力の往生也。本より仏のさだめおきて、わが名号をとなふるものは、乃至十声・一声までもむまれしめたまひたれば、十声・一声念仏にて一定往生すべければこそ、その願成就して成仏したまふと云道理の候へば、唯一向に仏の願力をあおぎて往生おば決定すべきなり。わが自力の強弱をさだめて不定におもふべからず。かの願成就の文、この『経』(大経)の下巻にあり。その文云、「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念、至心廻向、願生彼国、即得往生、住不退転」「隠/顕」
あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。
と云。凡四十八願、浄土を荘厳せり。華・池・宝閣、願力にあらずと云ことなし。その中にひとり、念仏往生の願のみうたがふべからず。極楽浄土もし浄土ならば、念仏往生も決定往生也。
次に往生の業因は念仏の一行定と云とも、行者の根性にしたがふて上・中・下あり。かるがゆへに三輩の往を説。すなわち上輩の文云く、「其上輩者、捨家棄欲而作沙門、発菩提心、一向専念无量寿仏」「隠/顕」
それ上輩といふは、家を捨て欲を棄てて沙門となり、菩提心を発して一向にもつぱら無量寿仏を念じ、
(大経巻下)と云り。中輩の文云く、「雖不能行作沙門大修功徳、当発无上菩提心、一向専意、乃至十念念无量寿仏」「隠/顕」
行じて沙門となりて大きに功徳を修することあたはずといへども、まさに無上菩提の心を発して一向に意をもつぱらにして、乃至十念、無量寿仏を念じたてまつる (下輩)
(大経巻下意)と云へり。当座の導師、私に一の釈をつくり候。この三輩の文の中に、菩提心等の余行あぐといゑども、上の仏の本願を望には、こゝろ衆生をして、もはら无量寿仏を念ぜしむるにあり。かるがゆへに「一向」と云。又『観念法門』に善導釈して云、「又此『経』下巻初云、仏説一切衆生根性不同、有上・中・下。随其根性、皆勧専念无量寿仏名。其人命欲終時、仏与聖衆自来迎接、尽得往生」「隠/顕」
またこの『経』(同)の下巻(意)の初めにのたまはく、「仏説きたまはく、 〈一切衆生の根性不同にして上・中・下あり。その根性に随ひて、仏(釈尊)、 みな勧めてもつぱら無量寿仏の名を念ぜしめたまふ。その人、命終らんと欲す る時、仏(阿弥陀仏)、聖衆とみづから来りて迎接して、ことごとく往生を得 しむ。

と云り。この釈のこゝろ、三輩ともに念仏往生也。まことに一向の言は余をすつる言なり。例せば、かの五天竺の三の寺のごとし。一には一向大乗寺、二には一向小乗寺、三には大小兼行寺。かの一向大乗寺の中には、小乗を学することなし。一向小乗寺には、大乗を学するものなし。大小兼行寺の中には、大乗・小乗ともに兼学する也。大小の両寺はともに一向の言をおく、二を兼たる寺には一向の言をおかず。これをもてこゝろえ候に、今の『経』の中に一向の言もまたしかなり。もし念仏の外余行をならぶれば、すなわち一向にあらず。かの寺になずらへば、兼行と云べし。すでに一向と云り。しるべし、余行をすつといふ事を。たゞこの三輩の文の中に余行を説について、三の意あり。一には、諸行をすてゝ念仏に帰せしめむがためにならべて行を説て、念仏において一向の言をおく。二には、念仏の人をたすけむがために諸善を説。三には、念仏と諸行とをならべて、ともに三品の差別をしめさむがために諸行を説。この三の義の中には、たゞはじめの義を正とす。のちの二は傍義也。

次にこの『経』(大経巻下)の流通分の中に説て云く、「仏語弥勒、其有得聞彼仏名号、歓喜踊躍乃至一念。当知此人為得大利。則是具足无上功徳」「隠/顕」
仏、弥勒に語りたまはく、「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。
と云り。上の三輩の文の中に、念仏のほかにもろもろの功徳を説といゑども、余善おばほめず。たゞ念仏の一善をあげて、无上の功徳と讚嘆して未来に流通せり。念仏の功徳は、余の功徳に勝たることあきらかなり。「大利」と云は、小利に対する言なり。「无上」と云は、この功徳の上する功徳なしと云義也。すでに一念を指て大利と云、又无上と云。いはむや、二念・三念、乃至十念おや。いかにいはむや、百念・千念、乃至万念おや。これ則、少を(あげ)て多を決する也。この文をもて余行と念仏と相対してこゝろうるに、念仏すなわち大利也、余善はすなわち小利也。念仏は无上也、余行は又有上也。すべては往生を願ぜむ人、なんぞ无上大利の念仏をすてて、有上小利の余善を執せむや。
次にこの『経』(大経)の下巻の奥に云、「当来之世経道滅尽、我以慈悲哀愍、特留此経止住百歳。其有衆生値此経者、随意所願皆可得度」「隠/顕」
当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありてこの経に値ふものは、意の所願に随ひてみな得度すべし。
と云。善導此文を釈して云く、「万年三宝滅、此経住百年、爾時聞一念、皆当得生彼」「隠/顕」
万年にして三宝滅せんに、この『経』(大経)住すること百年せん。その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
(礼讚)といへり。釈尊の遺法に三時の差別あり、正法・像法・末法也。その正法一千年のあひだ、教行証の三ともに具足せり、教のごとく行ずるにしたがふて証えたり。像法一千年のあひだは、教行はあれども証なし。教にしたがふて行ずといゑども、悉地をうることなし。末法万年のあひだは、教のみあて行証なし。わづかに教門はのこりたれども、教のごとく行ずるものなし、行ずれどもまた証をうるものなし。その末法万年のみちなむのちは、如来の遺教みなうせて、住持の三宝ことごとく滅して、おほよそ仏像・経典もなく、頭を(そり)、衣を(そむる)僧もなし。仏法と云こと、名字をだにもきくべからず。しかるに、そのときまでたゞこの『双巻无量寿経』一部二巻ばかりのこりとゞまりて、百年まで住して衆生を済度したまふこと、まことにあはれにおぼえ候。『華厳経』も『般若経』も『法華経』も『涅槃経』も、おほよそ大小権実の一切諸経、乃至『大日』・『金剛頂』等真言秘密の諸経も、みなことごとく滅したらむとき、たゞこの『経』ばかりとゞまりたまふことは、なに事にかとおぼえ候。釈尊の慈悲をもて、とゞめたまふことさだめてふかきこゝろ候らむ。仏智まことにはかりがたし。たゞし阿弥陀仏の機縁、この界の衆生にふかくましますゆへに、釈迦大師もかの仏の本願をとゞめたまふなるべし。
この文について按じ候に、四のこゝろあり。一には、聖道門の得脱は機縁あさく、浄土門の往生のみ機縁ふかし。かるがゆへに三乗・一乗の得脱をとける諸経はさきだちて滅して、たゞ一念・十念の往生をとけるこの『経』ばかりひとりとゞまるべし。二には、往生につきて十方浄土は機縁あさく、西方浄土は機縁ふかし。かるがゆへに、十方浄土を勧たる諸経はことごとく滅して、たゞ西方の往生勧たるこの『経』ひとりとゞまるべし。三には、兜率の上生は機縁あさく、極楽の往生は機縁ふかきゆへに、『上生』・『心地』等の兜率を勧たる諸経はみな滅して、極楽を勧たるこの『経』ひとりとゞまるべし。四には、諸行の往生は機縁あさく、念仏の往生は機縁ふかきゆへに、諸行を説 諸経はみな滅して、念仏を(とけ)るこの『経』のみひとりとゞまりたまふべし。この四の義の中に、真実には第四の念仏往生のみとゞまるべしと云義の正義にて候也。「特留此経止住百歳」「隠/顕」
特にこの経を留めて止住すること百歳せん。
(大経巻下)ととかれたれば、この二軸の経典、ひとりのこるべきかときこえ候へども、まことには経巻はうせたまひたれども、たゞ念仏の一門ばかりとゞまりて、百年あるべきにやとおぼえ候。かの秦始皇が、書を焼、儒を埋しとき、『毛詩』と申す文ばかりはのこりたりと申すこと候。それも文はやかれたれども、詩はとゞまりて口にありと申して、詩おば人々そらにおぼへたりけるゆへに、『毛詩』ばかりはのこりたりと申すこと候をもてこゝろえ候に、この『経』とゞまりて百年あるべしとも、経巻はみな隠滅したりとも、南无阿弥陀仏とまふすことは、人の口にとゞまりて百年までもきゝつたへむずる事とおぼへ候。経といふは、また説ところの法を申すことなれば、この『経』はひとへに念仏の一法を説り。されば、「爾時聞一念、皆当得生彼」「隠/顕」
その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
(礼讚)とは善導も釈たまへる也。これ秘蔵の義也、たやすく申べからず。

すべてこの『双巻无量寿経』に、念仏往生の文七所あり。一には本願の文、二は願成就の文、三には上輩の中に一向専念の文、四には中輩の中の一向専念の文、五には下輩の中の一向専意の文、六には无上功徳の文、七には特留此経の文也。この七所の文をまた合して三とす。一には本願、これに二つを摂す。はじめの発願、願成就也。二には三輩、これに三を摂す。上輩・中輩・下輩なり。この下輩について二類あり。三には流通、これに二を摂す。无上功徳、特留此経なり。本願は弥陀にあり。三輩已下は釈迦の自説也、それも弥陀の本願にしたがふて説たまへる也。三輩の文の中に、おのおの一向専念と勧たまへるも、流通の中に无上功徳と讚嘆したまへるも、特留此経ととゞめたまへるも、みなもと弥陀の本願に随順したまへるゆへなり。しかれば、念仏往生とまふすことは、本願を根本とする也。詮ずるところ、この『経』ははじめよりおはりまで、弥陀の本願を説とこゝろうべき也。『双巻経』の大意、略してかくのごとし。

観経
次に『観无量寿経』は、この大意をこゝろえむとおもはゞ、かならず教相を知べき事也。教相を沙汰せねば、法門の浅深差別あきらかならざる也。しかるに諸宗にみな立教開示あり。法相宗には三時教をたてゝ一代の諸教を摂す。三論宗には二蔵教をたてゝ大小の諸教を摂。華厳宗には五教をたて、天台宗には四教をたつ。いまわが浄土宗には、道綽禅師『安楽集』に聖道・浄土の二教をたてたり。一代聖教五千余軸、この二門おばいでず。はじめに聖道門は、三乗・一乗の得道也。すなわちこの娑婆世界にして、断惑開悟する道なり。すべて分ば二あり。謂、大乗の聖道、小乗の聖道也。別して論ずれば、四乗の聖道あり。謂、声聞乗・縁覚乗・菩薩乗・仏乗也。浄土者、まづこの娑婆穢悪のさかひをいでゝ、かの安楽不退のくににむまれて、自然に増進して仏道を証得せむともとむる道也。この二門をたつる事は、道綽一師のみにあらず。曇鸞法師も龍樹菩薩の『十住毗婆沙論』を引て、行・易行の二道をたてたまへり。「難行道は陸路より歩行するがごとし、易行道は水路を船に乗ずるがごとし」(論註巻上意)とたとへたり。この二道を立事、曇鸞一師にかぎらず。天台の『十疑論』にもおなじく引て釈したまへり。また迦才の『浄土論』にもおなじく引。かの難行道者すなわち聖道門也、易行道者すなわち浄土門也。しかのみならず、また慈恩大師云、「親逢聖化、道悟三乗。福薄因疎、勧帰浄土」「隠/顕」
親しく聖化に逢ひて、道、三乗を悟りき。福薄く、因疎かなるものを勧めて浄土に帰せしめたまふ。
(西方要決)と云り。この中に三乗者すなわち聖道門也、浄土者すなわち浄土門也。難行・易行、三乗・浄土、聖道・浄土、その言ことなりといゑども、そのこゝろみなおなじ。凡一代の諸教この二門をいでず。経論のみこの二門に摂するにあらず、乃至諸宗の章疏みなこの二門おばいでざる也。天台宗には、正は仏乗の聖道をあかす、傍には往生浄土をあかす。「即往安楽」(法華経巻六薬王品)といへり。華厳宗にもまた天台宗のごとし。聖道を修してえがたくは、浄土に生ずべしと云へり。「願我臨欲命終時尽除一切諸障㝵、面見彼仏阿弥陀即得往生安楽国」「隠/顕」
願はくは、命の終らん時に臨みて一切諸障の㝵を尽く除きて、面(おもて)に彼の仏 阿弥陀を見たてまつりて即に安楽国に往生を得ん。
(般若訳華厳経巻四〇行願品)と云り。しかるに今、この『経』は往生浄土の教也。即身頓悟のむねおもあかさず、歷劫迂廻の行おもとかず。娑婆のほかに極楽あり、わが身のほかに阿弥陀仏ましますと説て、この界をいとひてかのくにに生て、无生忍おもえむと願ずべきむねを明也。善導釈に云く、「定散等廻向、速証无生身」「隠/顕」
定散等しく回向して、すみやかに無生の身を証せん。
(玄義分)といへり。
凡(おほよそ)この『経』には、あまねく往生の行業を説り。すなわちはじめには定散の二善を説て、総じて一切の諸機にあたへ、次には念仏の一行を選、別して未来の群生に流通せり。かるがゆへに『経』(観経)云く、「仏告阿難、汝好持是語」「隠/顕」
仏、阿難に告げたまはく、なんぢ、よくこの語を持て。この語を持て。
と等云。善導これを釈云く、「従仏告阿難汝好持是語已下、正明付属弥陀名号、流通於遐代」「隠/顕」
「仏告阿難汝好持是語」より以下は、まさしく弥陀の名号を付属して、遐代に流通せしめたまふことを明かす。
(散善義)等云り。しかれば、この『経』のこゝろによりて、今聖道をすてゝ浄土の一門に入也。その往生浄土につきて、又その行これおほし。これによて、善導和尚専雑二修を立、諸行の勝劣得失を判じたまへり。すなわちこの経の『疏』(散善義)に云く、「行につきて立信者、就行有二種。一正行、二雑行」と云り。もはらかの正行を修するを専修の行者と云、正行おば修せずして雑行を修するを雑修の者と申也。その専雑二種の得失について、今私に料簡するに、五の義あり。一には親疎対、二には近遠対、三には有間無間対、四には廻向不廻向対、五には純雑対也。はじめに親疎対者、正行を修するは阿弥陀仏に親、雑行を修すればかの仏に疎なり。すなわち『疏』(定善義)に云く、「衆生起行、口常称仏、仏即聞之。身常礼敬仏、仏即見之。心常念仏、仏即知之。衆生憶念仏者、仏亦憶念衆生。彼此三業不相捨離。故名親縁」「隠/顕」
衆生行を起して口につねに仏を称すれば、仏すなはちこれを聞きたまふ。 身につねに仏を礼敬すれば、仏すなはちこれを見たまふ。 心につねに仏を念ずれば、仏すなはちこれを知りたまふ。 衆生仏を憶念すれば、仏もまた衆生を憶念したまふ。 彼此の三業あひ捨離せず。 ゆゑに親縁と名づく。
と云。その雑行者は、口に仏を称せざれば、仏すなわち聞たまはず。身に仏を礼せざれば、仏すなわち見たまはず。心にを念ぜざれば、仏しろしめさず。仏を憶念せざれば、仏又憶念したまはず。彼此三業常捨離す、かるがゆへに疎となづくる也。次に近遠対者、正行はかの仏に近、雑行はかの仏に遠なり。『疏』(定善義)又云く、「衆生欲見仏、仏即応念現在目前。故名近縁」「隠/顕」
衆生仏を見たてまつらんと願ずれば、仏すなはち念に応じて現じて目の前にまします。 ゆゑに近縁と名づく。
と云り。雑行者、仏を見たてまつらむとねがはざれば、仏すなわち念に応じたまはず、目の前にも現じたまはず。かるがゆへに遠となづくる也。たゞ常の義には親近と申つれば、一事のやうにこそは聞れども、善導和尚は、親と近とのごとしと、別しては釈したまへり。これによて、今又親近を分て二とするなり。次に有間無間対者、无間者、正行を修するには、かの仏おいて憶念无間なるがゆへに、文「憶念不断名為无間」「隠/顕」
憶念断えず、名づけて無間となす。
(散善義)と云る、これ也。有間者、雑行のものは、阿弥陀仏にこゝろをかくる(こと)(ひま)おほし。かるがゆへに文に「心常間断」(散善義)と云、これ也。次に廻向不廻向対者、正行は廻向をもちゐざれども、自然に往生の業となる。すなわち『疏』第一(玄義分)に云く、
「今『観経』中十声称仏、即有十願・十行具足。云何具足。言南无者即是帰命、亦是発願廻向之義也。言阿弥陀仏者即是其行。以斯義故必得往生」「隠/顕」
いま『観経』のなかの十声の称仏は、すなはち十願十行ありて具足す。 いかんが具足する。「南無」といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。 「阿弥陀仏」といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。
不廻向といふ[21]雑行は、かならず廻向をもちゐるとき、往生の業となる。もし廻向せざれば、往生の業とならず。かるがゆへに文に「雖可廻向得生」「隠/顕」
回向して生ずることを得べしといへども
(散善義)と云、これ也。次に純雑対者、正行は純に極楽の行也。余の人天および三乗等の業に通ぜず、又十方浄土の業因ともならず。かるがゆへに純となづく。雑行は純に極楽の行にはあらず。人天の業因にも通じ、三乗の得果にも通じ、又十方浄土の往生の業因ともなるがゆへに雑と云也。しかれば、この五の相対をもて二行を判ずるに、西方の往生をねがはむ人は、雑行をすてゝ正行を修すべき也。又善導和尚『往生礼讚』(意)の序に、この専雑の得失を判じたまへり。「専修の者は十即十生、百即百生。雑修の者は百に一二、千に五三」と云へり。「なにをもてのゆへに。専修の者は雑縁なし、正念をえたるがゆへに、又弥陀の本願に相応するがゆへに、又釈迦の教にたがはざるがゆへに、仏語に随順せるがゆへに」と云へり。「雑修の者は雑縁乱動す。正念を失するがゆへに、又仏の本願と相応せざるがゆへに、また仏語にしたがはざるがゆへに、釈迦の教に違するがゆへに、又係念相続せざるがゆへに、廻願慇重真実ならざるがゆへに、乃至、名利と相応するがゆへに、又自の往生を(さうる)のみにあらず、他の往生の正行を障がゆへに」と云へり。しかのみならず、やがてその文のつゞきに、「余、このごろ諸方の道俗を見聞するに、解行不同にして専雑異あり。しかるに専修の者は十は十ながら生じ、雑修の者は千が中に一もなし」とのたまへり。さきの義をもて判じ候に、千が中に五三とゆるしたまへりといゑども、今正見には一もなしとのたまへる也。そのときの行者だにも、雑行にて往生する者なかりけるにこそ候なれ。まして、いよいよ時も機もくだりたる当世の行者、雑行往生と云事はおもひすつべき事也。たとひまた往生すべきにても、百が中に一二、千が中に五三の内にてこそ候はむずれ。きわめて不定の事也。百人に九十九人は往生して、今一人すまじときかむだにも、もしその一人にあたる身にてもやあるらむと、不審に不定におぼえぬべし。いかにいはむや、百が一二の内に一定入べしとおもはむ事、かたくぞ候はむずる。しかれば、百即百生の専修をすてゝ、千中无一の雑行を執すべからず。唯一向に念仏を修して、雑行をすつべきなり。これすなわち、この『経』の大意也。「望仏本願、意在衆生、一向専称、弥陀仏名」「隠/顕」
仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。
(散善義)と云り。返も本願をあおぎて、念仏をすべき也と。

(二)

建保四年公胤夢告

『西方指南抄』上巻(本・末)の、この「法然聖人御説法事」の上巻の巻末に法然聖人の本地は勢至菩薩であると示されるのは、法然聖人の御説法は仏・菩薩の説法と同じであるとされたかったのであろう。それを承けて中巻・下巻で、法然聖人の法語、問答、書簡、遺誡を記しておられるのであった。その意味ではこの公胤夢告の一段は「法然聖人御説法事」の上巻と、中巻・下巻を結ぶ意図があったのかも知れない。
建保四年四月廿六日、園城寺長吏、公胤僧正之夢に、空中に告云、 源空本地身大勢至菩薩、衆生教化故来此界度度と。「隠/顕」
建保四年四月廿六日、園城寺の長吏、公胤僧正の夢に、空中に告げて云く、源空の本地身は大勢至菩薩なり、衆生教化の故に此界にたびたび来ると。

[かの僧正の弟子大進公 実名をしらず 記之。]

康元元年{丙辰}十月十三日
愚禿親鸞{八十四歳}書之
康元二歳正月一日校之

西方指南抄中[本]

(三)

三昧発得記

□ 建久九年正月一日記

60代の法然聖人の伝記。いわゆる『醍醐本法然上人伝記』には、「また上人在生の時、口称三昧を発得し常に浄土依正を見たてまつる。以て自らこれを筆す、勢至房これを伝う。」とあり、末尾には「この三昧発得の記は年来の間、勢観房秘蔵して披露せず。没後において はからずもこれを伝え聞いて書きおわんぬ。」とあり、『一枚起請文』と同じように勢観房源智上人が伝持されたものであろう。

聖人御在生之時記註之  外見におよばざれ、秘蔵すべしと。
御生年六十有六{丑年也}。
建久九年正月一日記。
一日、桜梅(やまもも)の法橋教慶のもとよりかへりたまひてのち、未申の時ばかり、恒例正月七日念仏始行せしめたまふ。一日、明相少これを現じたまふ、自然にあきらかなりと[云云]。二日、水想観自然にこれを成就したまふ[云云]。総じて念仏七箇日の内に、地想観の中に琉璃の相少分これをみたまふと。
二月四日の朝、瑠璃地分明に現じたまふと[云]。六日、後夜に琉璃の宮殿の相これを現ずと[云]。七日、朝にまたかさねてこれを現ず。すなわちこの宮殿をもて、その相影現したまふ。総じて水想・地想・宝樹・宝池・宝殿の五の観、始正月一日より二月七日にいたるまで、三十七箇日のあひだ毎日七万念仏、不退にこれをつとめたまふ。これによて、これらの相を現ずとのたまへり。
始二月廿五日より、あかきところにして目をひらく。眼根より赤袋琉璃の壺出生す、これをみる。そのまへにして、目を閉てこれをみる。目を(ひらけば)すなわち失と云り。
二月廿八日、病によて念仏これを退す。一万返あるいは二万、右眼にそのゝち光明あり、はなだなり。また光あり、はしあかし。また眼に琉璃あり、その形琉璃の壺のごとし。琉璃に赤花あり、宝形のごとし。また日入てのちいでゝみれば、四方みな方ごとに赤青宝樹あり。その高さだまりなし、高下こゝろにしたがふて、あるいは四五丈、あるいは二三十丈と[云]。
八月一日、本のごとく、六万返これをはじむ。九月廿二日の朝に、地想分明に現ず、周囲七八段ばかり。そのゝち廿三日の後夜ならびに朝にまた分明にこれを(げんずと)[云々]。
正治二年二月のころ、地想等の五の観、行住座臥こゝろにしたがふて、任運にこれを現ずと[云々]。
建仁元年二月八日の後夜に、鳥のこゑをきく、またことのおとをきく、ふえのおとらをきく。そのゝち、日にしたがふて自在にこれをきく、しやう(笙)のおとらこれをきく。さまざまのおと。正月五日、三度勢至菩薩の御うしろに、丈六ばかりの勢至の御面像現ぜり。これをもてこれを推する、西の持仏堂にて勢至菩薩の形像より丈六の面を出現せり。これすなわちこれを推するに、この菩薩すでにもて、念仏法門の所証のためのゆへに、いま念仏者のためにそのかたちを示現したまへり、これをうたがふべからず。同六日、はじめて座処より四方一段ばかり、青琉璃の地なりと[云々]。今においては、経釈によて往生うたがひなしと。地観の文にこゝろうるに、うたがひなしといへるがゆへにといへり。これをおもふべし。
建仁二年十二月廿八日、高畠小将きたれり。持仏堂にしてこれに謁す。そのあひだ例のごとく念仏を修したまふ。阿弥陀仏をみまいらせてのち、障子よりすきとほりて仏の面像を現じたまふ、大丈六のごとし。仏面すなわちまた隠たまひ了。廿八日午時の事也。
元久三年正月四日、念仏のあひだ三尊大身を現じたまふ。また五日、三尊大身を現じたまふ。
聖人のみづからの御記文なり。

(四)

法然聖人御夢想記[善導御事]

法然聖人が、はるかに時間と空間を隔て善導大師との宗教的交感を遂げた時の夢告である。偏依善導と(ひとえ)に善導一師に依るとされた法然聖人と善導大師の二人の間で交わされたものである。『醍醐本』によれば、法然聖人は善導大師の『観経疏』の一文による回心の後に、あまりにも当時の仏教の常識と異なるので他者に教えを説く事を躊躇されておられたが、この夢告以後、「この法を弘むに年年繁昌して、流布せざるの境、無きなり。」と、法然浄土教を説かれたのであろう。

或夜夢にみらく、一の大山あり、その峯きわめて高、南北ながくとおし、西方にむかへり。山の根に大河あり、傍の山より出たり、北に流たり。南の河原眇眇としてその辺際をしらず、林樹滋滋としてそのかぎりをしらず。こゝに源空、たちまちに山腹に登てはるかに西方をみれば、地より已上五十尺ばかり上に昇て、空中にひとむらの紫雲あり。以為(おもへらく)何所(いずれのところ)に往生人のあるぞ()。こゝに紫雲とびきたりて、わがところにいたる。希有のおもひをなすところに、すなわち紫雲の中より孔雀・鸚鵡等の衆鳥とびいでゝ、河原に遊戯す、沙をほり浜に戯。これらの鳥をみれば、凡鳥にあらず、身より光をはなちて、照曜きわまりなし。そののちとび昇て、本のごとく紫雲の中に入了(いりおわりぬ)。こゝにこの紫雲、このところに住せず、このところをすぎて北にむかふて、山河にかくれ了。また以為(おもへらく)、山の東に往生人のあるに哉。かくのごとく思惟するあひだ、須臾にかへりきたりてわがまへに住す。この紫雲の中より、くろくそめたる衣着(ころもきたる)僧一人とびくだりて、わがたちたるところの下に住立す。われすなわち恭敬のためにあゆみおりて、僧の足のしもにたちたり。この僧を瞻仰すれば、身上半は肉身、すなわち僧形也。身よりしも半は金色なり、仏身のごとく也。こゝに源空、合掌低頭して問てまふさく、これ誰人の来たまふぞ哉と。答曰、われはこれ善導也と。また問てまふさく、なにのゆへに(きたり)たまふぞ哉。また答曰、余不肖なりといゑども、よく専修念仏のことを(まふす)。はなはだもて貴とす。ためのゆへにもて(きたれる)也。また問言、専修念仏の人、みなもて為往生哉(おうじょうをなすや)。いまだその答をうけたまはらざるあひだに、忽然として夢覚了(ゆめさめおわんぬ)

(五)

十八条御法語

{十七条御法語とも}

『選択本願念仏集』に、念・声は是一なりと「念声是一」を主張され口称の念仏を重視された法然聖人だが、この法語には、「往生の業成は、念をもて本とす。名号を称するは、念を成ぜむかため也。もし声をはなるるとき、念すなわち懈怠するがゆへに、常恒に称唱すれば、すなはち念相続す。心念の業、生をひくがゆへ也。」と、心念(信心)に注目されておられるのは興味深い。なお、『十七条御法語』と呼ばれているが実際は十八条である。漢文で書かれた三種心釈以下は『和語灯録』三心義と同趣旨である。和語と漢語の部分は、本来別々の法語ではなかったかという見方もある。

或人念仏之不審を、故聖人奉問曰、第二十願は大網の願なり。「係念」(大経巻上)といふは、三生の内にかならず果遂すべし[22]。仮令通計[23]するに、百年の内に往生すべき也[云云]。
これ九品往生の義、意釈なり[24]。極大遅者をもて三生に(いで)ざるこゝろ[25]、かくのごとく釈せり。
又『阿弥陀経』の「已発願」等は、これ三生之証也と。[26]
又云、『阿弥陀経』等は浄土門の出世の本懐なり、『法華経』者聖道門の出世の本懐なり[云々]。望ところはことなり、疑に足ざる者也。[27]
又云、我安置するところの一切経律論は、これ『観経』所摂の法也。
又云、地蔵等の諸の菩薩を蔑如すべからず。往生以後、伴侶たるべきがゆへなりと。[28]
又云、近代の行人、観法をもちゐるにあたはず[29]。もし仏像等を観ぜむは、運慶康慶が所造にすぎじ。もし宝樹等を観ぜば、桜梅(おうばい)桃李(とうり)之花菓等にすぎじ。しかるに「彼仏今現在成仏」(礼讚)等の釈を信じて、一向に名号を称すべき也と云り。たゞ名号をとなふる、三心おのづから具足する也と云り。
又云、念仏はやうなきをもてなり。名号をとなふるほか、一切やうなき事也と云り[30]
又云、諸経の中にとくところの極楽の荘厳等は、みなこれ四十八願成就の文也。念仏を勧進するところは、第十八の願成就文なり。『観経』の「三心」、『小経』「一心不乱」、『大経』(巻下)の願成就の文の「信心歓喜」と、同流通の「歓喜踊躍」と、みなこれ至心信楽之心也と云り。これらの心をもて、念仏の三心を釈したまへる也と[云々]。[31]

又云、「玄義」(玄義分意)に云く、「釈迦要門定散二善。定者息慮凝心なり、散者廃悪修善なりと。弘願者如『大経』説。一切善悪凡夫得生」「隠/顕」
釈迦の要門の、定散二善とは「定」は慮(おもんぱかり)りを息(や)めてもつて心を凝らすなり、「散」は廃悪修善なりと。弘願とは『大経』に説くがごとし。一切善悪の凡夫生ずることを得。
といへり。(よが)ごときはさきの要門にたえず、よてひとへに弘願を(たのむ)也と云り。[32]

又云、導和尚、深心を釈せむがために余の二心を釈したまふ也。『経』の文の三心をみるに、一切行なし。深心の釈にいたりて、はじめて念仏の行をあかすところ也。
又云、往生の業成就、臨終・平生にわたるべし。本願の文に別にえらばざるがゆへにと云り。恵心のこゝろ、平生の見にわたる也と云へり。[33]
又云、往生の業成は、念をもて本とす。名号を称するは、念を成ぜむがため也。もし声はなるゝとき、念すなわち懈怠するがゆへに、常恒(じょうごう)に称唱すればすなわち念相続す。心念の業、生をひくがゆへ也。[34]

又云、称名の行者、常途念仏のとき不浄をはゞかるべからず、相続を要とするがゆへに。如意輪の法[35]は、不浄をはゞからず、弥陀・観音一体不二也。これをおもふに、善導の別時の行には、清浄潔斎をもちゐる、尋常の行、これにことなるべき()。恵心の「不論時処諸縁「隠/顕」
時処諸縁を論ぜず。
(要集巻下)之釈、永観の「不論身浄不浄」「隠/顕」
身の浄不浄を論ぜず。
(往生拾因)之釈[36]、さだめて存ずるところある歟と[云]。

又云、善導は第十八の願、一向に仏号を称念して往生すと云り。恵心のこゝろ、観念・称念等みなこれを摂すと云り。もし『要集』のこゝろによらば、行者においては、この名をあやまてらむ()と。
又云、第十九の願は、諸行之人を引入して、念仏之願に帰せしめむと也。[37]

又云、真実心いふは、行者願往生之心なり。矯飾なく、表裏なき相応の心也。雑毒虚仮等は、名聞利養の心也。『大品経』(巻一序品)云、「捨利養名聞。」[文]『大論』に述此文之下云、「当業捨雑毒者、一声一念猶具之、无実心之相也。翻内矯外者、仮令外相不法、内心真実願往生者、可遂往生也。」「隠/顕」
まさに業に雑毒を捨つとは、一声一念なおこれを具せば、実心の相無きなり。内を翻(ひるがえ)して外を矯(かざ)るとは、たとい外相不法なれども内心真実にして、往生を願ずれば往生を遂ぐべきなり。
{云云}[38] 深心といふは、疑慮なき心也。利他真実者、得生之後利他門之相也。よてくはしく釈せずと。『観无量寿経』、「若有衆生願生彼国者、発三種心即便往生す。何等為三。一者至誠心、二者深心、三者廻向発願心なり。具三心者必生彼国」「隠/顕」
もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して即便往生す。なんらをか三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ずと
いへり。『往生礼讚』釈三心畢云、
「具此三心必得往生也。若少一心、即不得生。」然則尤可具三心也。一至誠心者、真実心也。身行礼拝、口唱名号、意想相好、皆用実心。総而言之、厭離穢土、忻求浄土、修諸行業、皆以真実心可勤修之。外現賢善精進之相、内懐愚悪懈怠之心。所修行業、日夜十二時无間行之、不得往生。外顕愚悪懈怠之形、内住賢善精進之念、修行之者、雖一時一念、其行不虚、必得往生。是名至誠心。二深心者、深信之心也。付之有二。一者信我是罪悪不善之身、无始已来輪廻六道、无往生縁。二信雖罪人、以仏願力為強縁、得往生。无疑无慮。付此亦有二。一就人立信、二就行立信。就人立信者、出離生死道雖多、大分有二。一聖道門、二浄土門。聖道門者、於此娑婆世界、断煩悩証菩提道也。浄土門者、厭此娑婆世界、忻極楽修善根門也。雖有二門、閣聖道門帰浄土門。然若有人多引経論、罪悪凡夫不得往生、雖聞此語、不生退心、弥増信心。所以者何、罪障凡夫往生浄土釈尊誠言なり、非凡夫の妄説。我已信仏言、深忻求浄土。設諸仏・菩薩来、罪障凡夫言不生浄土、不可信之。何以故。菩薩仏弟子。若実是菩薩者、不可乖仏説。然已違仏説、言不得往生。知非真菩薩。是故不可信。また仏是同体大悲。実是仏者、不可違釈迦説。然則『阿弥陀経』(意)説、「一日七日念阿弥陀仏名号、必得往生」者、六方恒沙諸仏、同釈迦仏不虚証誠之。然今背釈迦説、云不得往生。故知非真仏。是天魔変化。以是義故、不可依信。仏・菩薩説、尚以不可信、何況余説哉。汝等所執、雖大小異同期仏果。穢土修行聖道意なり。我等所修正雑不同、共忻極楽。往生行業、浄土門意。聖道者是汝有縁行なり、浄土門者我有縁行なり。不可以此難彼、不可以彼難此。如是信ずる、是名就人立信。次就行立信者、往生極楽の行、雖区不出二種。一者正行、二者雑行なり。正行者於阿弥陀仏之親行也、雑行者於阿弥陀仏之疎行也。先正行者、付之有五。一謂読誦、謂読「三部経」也。二謂観極楽依正也。三礼拝、謂礼弥陀仏也。四称名、謂称弥陀名号也。五讚嘆供養、謂讚嘆供養阿弥陀仏也。以此五合為二。一者一心専念弥陀名号、行住座臥不問時節久近念念不捨者、是名正定之業、順彼仏願故。二者先五中、除称名已外礼拝・読誦等、皆名助業。次雑行者、除先五種正助二行已外諸読誦大乗・発菩提心・持戒・勧進行等一切行也。付此正雑二行、有五種得失。一親疎対、謂正行親阿弥陀仏、雑行疎阿弥陀仏。二近遠対、謂正行近阿弥陀仏、雑行遠阿弥陀仏。三有間無_間対、謂正行係念无間、雑行係念間断。四廻向不廻向対、謂正行不用廻向自為往生業、雑行不廻向時不為往生業。五純雑対、謂正行純往生極楽業也、雑行不爾、通十方浄土乃至人天業也。如此信者、名就行立信、是名深心。三廻向発願心者、過去及今生身口意業所修一切善根、以真実心廻向極楽、忻求往生也。「隠/顕」
「この三心を具すれば、かならず往生を得るなり。もし一心も()けぬれば、すなはち生ずることを得ずと。」 然れば即ち(もっとも)も三心を具すべき也。 一に至誠心というは、真実心なり。身に礼拝を行じ、口に名号を唱ふ、こころに相好を想ふ、皆もって実心をもってせよとなり。総じてこれを言ふに、厭離穢土、忻求浄土、修諸行業、みな真実心をもってこれを勤修すべし。外に賢善精進の相を現じ、内に愚悪懈怠の心を懐けり。

所修の行業、日夜十二時に無間(ひまなく)これを行ずれども、往生を得ず。外に愚悪懈怠の形を顕し、内には賢善精進の念に住してこれを修行せば、一時一念といえども、其の行、虚しからず、必ず往生を得む。これを至誠心と名づく。 二に深心といふは、深信の心なり。これに付いて二有り。一には、我はこれ罪悪不善の身なり、無始よりこのかた六道に輪回して往生の縁無しと信ず。二には罪人といえども仏願力をもって強縁とすれば往生を得と信ず。疑い無く慮りなかれとなり。 これについて二またあり。一には人に就いて信を立つ、二には行に就いて信を立つ。人に就いて信を立つというは、出離生死の道多しといえども、大きに分けて二あり。一には聖道門、二には浄土門なり。聖道門というは、この娑婆世界にして、煩悩を断じ菩提を証する道なり。浄土門といは、この娑婆世界を厭いて、極楽を忻ふて善根を修する門なり。二門ありといえども、聖道門を閣(さしお)きて浄土門に帰せとなり。しかるにもし人ありて、多く経論を引きて、罪悪の凡夫往生を得ずといわむ。この語(ことば)を聞くといえども、退心を生ぜずして、いよいよ信心を増す。  ゆえは如何となれば、罪障の凡夫、浄土に往生するは、釈尊の誠言なり、凡夫の妄説にあらず。我すでに仏言を信じて深く浄土を欣求す。たとひ諸仏・菩薩来たりて、罪障の凡夫、浄土に往生生まれずと言えども、これを信ずべからず。なにを以って故に、菩薩は仏弟子なり、もし実(まこと)にこれ菩薩ならば、仏説に乖くべからず。しかるにすでに仏説に違して往生を得ずと言(のやま)ふ、知りぬ真の菩薩に非ずといふことを。この故に信ずべからず。仏はこれ同体の大悲なり。実にこれ仏ならば釈迦の説に違(たが)ふべからずと。 然ればすなわち、阿弥陀経に説かく、「一日・七日、阿弥陀仏の名号を念ずれば、必ず往生を得」とは、六方恒沙の諸仏、釈迦仏に同じく虚しからず、これを証誠したまえり。 然るに今釈迦の説に背いて往生を得じという、かるがゆえに知りぬ真(まことの)仏に非ずと。これ天魔の変化なり。この義を以っての故に、依り信ずらずと。仏・菩薩の説なお以って信ずべからず、いかにいわんや余の説をや。汝たちが執するところ大小異なりといえども、同じく仏果を期す。穢土の修行は聖道の意なり。 我らが修するところの正・雑に同じからず、共に極楽を欣う往生の行業は、浄土門の意なり。聖道はこれ汝が有縁の行なり、浄土門は我が有縁の行なり。これを以って彼を難ずべからず、彼を以ってこれを難ずべからず。かくのごとく信ずる、これを就人立信と名づく。 つぎに行に就いて信を立つとは、往生極楽の行、まちまちなりといえども二種を出でず。一には正行、二には雑行なり。正行は阿弥陀仏においての親しき行なり。雑行は阿弥陀仏においての疎行なり。まず正行というは、これに付いて五あり。 一にいわく読誦、いわく「三部経」を読むなり。二にいわく極楽の依正を観ずるなり。三に礼拝、いわく弥陀仏を礼するなり。四には称名、いわく弥陀の名号を称するなり。五には讃嘆供養、いわく阿弥陀仏を讃嘆・供養したまうなり。この五を以って合して二となす。 一には、一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるが故なり。 二には、先の五の中の称名を除きて已外の、礼拝・読誦等はみな助業と名づく。次に雑行とは、先の五種の正助二行を除きて已外の諸の読誦大乗・発菩提心・持戒・勧進行等の一切の行なり。この正雑二行について五種の得失あり。 一には親疎対。いわく正行は阿弥陀仏に親しく、雑行は阿弥陀仏に疎きなり。 二に近遠対。いわく正行は阿弥陀仏に近なり、雑行は阿弥陀仏に遠なり。三は有間無間対。いわく正行は係念ひま無し、雑行は係念間断す。 四は廻向不廻向対。いわく正行は廻向を用いざるに自から往生業となる。雑行は廻向せざる時は往生業とならず。 五は純雑対。いわく正行は純に往生極楽の業なり。雑行はしからず。十方浄土乃至人天の業に通ずるなり。この如く信ずるは、行に就いて信を立つと名づく、これを深心と名づく。

三に廻向発願心とは、過去及び今生の身・口・意業に修するところの一切善根、真実心を以って極楽に廻向して往生を欣求するなり。
又云、善導与恵心相違義事。善導色相等観法観仏三昧と云へり「隠/顕」
また云く、善導と恵心と相違する義の事。善導は色相等の観法をば観仏三昧と云へり
、称名念仏おば念仏三昧云へり。恵心は称名・観法合して念仏三昧と云へり。[39]

又云、余宗の人、浄土門にその志あらむには、(まず)『往生要集』をもてこれをおしふべし。そのゆへは、この書はものにこゝろえて、難なきやうにその面をみえて、初心の人のためによき也。雖然(しかりといえども)真実の底の本意は、称名念仏をもて専修専念の勧進したまへり。善導と一同也。
又云、余宗の人、浄土宗にそのこゝろざしあらむものは、かならず本宗の意を(すつ)べき也。そのゆへは、聖道・浄土の宗義各別なるゆへ也とのたまへり。

(六)

法然聖人臨終行儀

法然聖人の臨終についての弟子の見聞。源信僧都の説かれた臨終行儀では、正念であるから来迎があるとしたり、臨終の善知識が重視されたり、平生の念仏よりも臨終の念仏が重視されていた。これに比べると、法然聖人は、「念仏衆生摂取不捨」の教説に拠って平生の救いを見ておられた。

建曆元年十一月十七日、藤中納言光親卿の奉にて、 院宣によりて、十一月廿日戌時に聖人(みやこ)へかへり入たまひて、東山大谷といふところにすみ(はべるに)、同二年正月二日より、老病の上にひごろの不食、おほかたこの二三年のほどおいぼれて、よろづものわすれなどせられけるほどに、ことしよりは耳もきゝこゝろもあきらかにして、としごろならひおきたまひけるところの法文を、時時おもひいだして、弟子どもにむかひて談義したまひけり。またこの十余年は、耳おぼろにして、さゝやき事おばきゝたまはず侍けるも、ことしよりは昔のやうにきゝたまひて、例の人のごとし。世間の事はわすれたまひけれども、つねは往生の事をかたりて念仏をしたまふ。またあるいは高声にとなふること一時、あるいはまた夜のほど、おのづからねぶりたまひけるにも、舌・口はうごきて仏の御名をとなえたまふこと、小声聞侍けり。ある時は舌・口ばかりうごきてその声はきこえぬ事も、つねに侍けり。されば口ばかりうごきたまひけることおば、よの人みなしりて、念仏を耳にきゝける人、ことごとくきどくのおもひをなし侍けり。
また同正月三日戌の時ばかりに、聖人看病の弟子どもにつげてのたまはく、われはもと天竺にありて声聞僧にまじわりて頭陀を行ぜしみの、この日本にきたりて天台宗に入て、またこの念仏の法門にあえりとのたまひけり[40]。その時看病の人の中にひとりの僧ありて、とひたてまつりて申すやう、極楽へは往生したまふべしやと申ければ、答のたまはく、われはもと極楽にありしみなれば、さこそはあらむずらめとのたまひけり。[41]
又同正月十一日辰時ばかりに、聖人おきゐて合掌して、高声念仏したまひけるを、聞人みななみだをながして、これは臨終の時かとあやしみけるに、聖人看病の人につげてのたまはく、高声に念仏すべしと侍ければ、人々同音に高声念仏しけるに、そのあひだ聖人ひとり唱てのたまはく、阿弥陀仏を恭敬供養したてまつり、名号をとなえむもの、ひとりもむなしき事なしとのたまひて、さまざまに阿弥陀仏の功徳をほめたてまつりたまひけるを、人々高声をとゞめてきゝ侍けるに、なほその中に一人たかくとなへければ、聖人いましめてのたまふやう、しばらく高声をとゞむべし、かやうのことは、時おりにしたがふべきなりとのたまひて、うるわしくゐて合掌して、阿弥陀仏のおはしますぞ、この仏を供養したてまつれ、たゞいまはおぼえず、供養の文やある、えさせよと、たびたびのたまひけり。またある時、弟子どもにかたりてのたまはく、観音・勢至菩薩、聖衆まへに現じたまふおば、なむだち、おがみたてまつるやとのたまふに、弟子等えみたてまつらずと申けり。またそのゝち臨終のれうにて、三尺の弥陀の像をすゑたてまつりて、弟子等申やう、この御仏をおがみまいらせたまふべしと申侍ければ、聖人のたまはく、この仏のほかにまた仏おはしますかとて、ゆびをもてむなしきところをさしたまひけり。按内をしらぬ人は、この事をこゝろえず侍。しかるあひだ、いさゝか由緒をしるし侍なり。
(おほよそ)この十余年より、念仏の功つもりて極楽のありさまをみたてまつり、仏・菩薩の御すがたを、つねにみまいらせたまひけり。しかりといゑども、御意ばかりにしりて、人にかたりたまはず侍あひだ、いきたまへるほどは、よの人ゆめゆめしり侍ず。おほかた真身の仏をみたてまつりたまひけること、つねにぞ侍ける。また御弟子ども、臨終のれう[42]の仏の御手に五色のいとをかけて、このよしを申(はべれ)ければ、聖人これはおほやうのことのいはれぞ、かならずしもさるべからずとぞのたまひける。
又同廿日巳時に、大谷の房の上にあたりて、あやしき雲、西東へなおくたなびきて侍中に、ながさ五六丈ばかりして、その中にまろなるかたちありけり。そのいろ五色にして、まことにいろあざやかにして、光ありけり。たとへば、絵像の仏の円光のごとくに侍けり。みちをすぎゆく人々、あまたところにて、みあやしみておがみ侍けり。

又同日午時ばかりに、ある御弟子申ていふやう、この上に紫雲たなびけり、聖人の往生の時ちかづかせたまひて侍かと申ければ、聖人のたまはく、あはれなる事かなと、たびたびのたまひて、これは一切衆生のためになどしめして、すなわち誦してのたまはく、「光明徧照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨」「隠/顕」
光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。
(観経)と、三返となへたまひけり。またそのひつじの時ばかりに、聖人ことに眼をひらきて、しばらくそらをみあげて、すこしもめをまじろがず、西方へみおくりたまふこと五六度したまひけり。ものをみおくるにぞにたりける。人みなあやしみて、たゞ事にはあらず、これ証相の現じて、聖衆のきたりたまふかとあやしみけれども、よの人はなにともこゝろえず侍けり。おほよそ聖人は、老病日かさなりて、ものをくはずしてひさしうなりたまひけるあひだ、いろかたちもおとろえて、よはくなりたまふがゆへに、めをほそめてひろくみたまわぬに、たゞいまやゝひさしくあおぎて、あながちにひらきみたまふことこそ、あやしきことなりといひてのちほどなく、かほのいろもにわかに変じて死相たちまちに現じたまふ時、御弟子ども、これは臨終かとうたがひて、おどろきさわぐほどに、れいのごとくなりたまひぬ。あやしくも、けふ紫雲の瑞相ありつる上に、かたがたかやうの事どもあるよと、御弟子たち申侍(もうしはべり)けり。

又同廿三日にも紫雲たなびきて侍よし、ほのかにきこえけるに、同廿五日むまの時に、また紫雲おほきにたなびきて、西の山の水の尾のみねにみえわたりけるを、樵夫ども十余人ばかりみたりけるが、その中に一人まいりて、このよしくわしく申ければ、かのまさしき臨終の午の時にぞあたりける。またうづまさにまいりて下向しけるあまも、この紫雲おばおがみて、いそぎまいりてつげ申侍ける。すべて聖人念仏のつとめおこたらずおはしける上に、正月廿三日より廿五日にいたるまで三箇日のあひだ、ことにつねよりもつよく高声の念仏を申たまひける事、或は一時、或は半時ばかりなどしたまひけるあひだ、人みなおどろきさわぎ侍。かやうにて、二三度になりけり。
またおなじき廿四日の酉時より、廿五日の巳時まで、聖人高声の念仏をひまなく申たまひければ、弟子ども番番にかわりて、一時に五六人ばかりこゑをたすけ申けり。すでに午時にいたりて、念仏したまひけるこゑ、すこしひきくなりにけり。さりながら、時時また高声の念仏まじわりてきこえ侍けり。これをきゝて、房のにわのまへにあつまりきたりける結縁のともがら、かずをしらず。聖人ひごろつたへもちたまひたりける慈覚大師の九条の御袈裟をかけて、まくらをきたにし、おもてを西して、ふしながら仏号をとなへて、ねぶるがごとくして、正月廿五日午時のなからばかりに往生したまひけり。そのゝち、よろづの人々きおいあつまりて、おがみ申ことかぎりなし。

(七)

聖人御事諸人夢記

法然聖人のご往生の前後に際し、京都近郊に住んでいた老若男女が見た各種の夢の話を記している。「高僧和讃」の、

(116)

道俗男女預参し
 卿上雲客群集す
 頭北面西右脇にて
 如来涅槃の儀をまもる

の和讃の出拠の一であろう。

一 聖人御事、あまた人々夢にみたてまつりける事。
中宮大進兼高と申人、ゆめにみたてまつるやう、或人もてのほかにおほきなるさうしをみるを、いかなるふみぞとたちよりてみれば、よろづの人の臨終をしるせる文なり。聖人の事やあるとみるに、おくに入て、「光明徧照、十方世界、念仏衆生、摂取不捨」(観経)とかきて、この聖人は、この文を誦して往生すべきなりとしるせりとみて、ゆめさめぬ。この事、聖人も御弟子どももしらずしてすぐすところに、この聖人さまざまの不思議を現じたまふとき、やまひにしづみて、よろづ前後もしらずといゑども、聖人この文を三返誦したまひけり。かの人のむかしのゆめにおもひあわするに、これ不思議といふべし。かの人ふみをもちて、かのゆめの事をつげ申たりけるを、御弟子ども、のちにひらきみ侍けり。件の文、ことながきゆへに、これにはかきいれず。
一 四条京極にすみ侍ける薄師、字太郎まさいゑと申すもの、ことしの正月十五日の夜、ゆめにみるやう、東山大谷の聖人の御房の御堂の上より、むらさき雲たちのぼりて侍。ある人のいふやう、あのくもおがみたまへ、これは往生の人のくもなりといふに、よろづの人々あつまりておがむとおもひて、ゆめさめぬ。あくる日、そらはれて、みのときばかりにかの堂の上にあたりて、そらの中に五色のくもあり。よろづの人々、ところどころにしてこれをみけり。
一 三条小川に、陪従信賢が後家の尼のもとに、おさなき女子あり。まことに信心ありて、念仏をまふし侍けり。同廿四日の夜、ことにこゝろをすまして高声に念仏しけるに、乗願房と申ひじり、あからさまにたちやどりてこれをきゝけり。夜あけてかの小女、この乗願房にかたりていはく、法然聖人は、けふ廿五日にかならず往生したまふべきなりと申ければ、この人申さく、なに事にてかやうにはしりたまへるぞとたづぬるに、この小女申やう、こよひのゆめに、聖人の御もとにまいりて侍つれば、聖人のおほせられつるやう、われはあす往生すべきなり、もしこよひなむぢきたらざらましかば、われおばみざらまし、よくきたれりとのたまひつるなりと申けり。しかるにわがみにとりては、いさゝかいたみおもふ事侍り。そのゆへは、われいかにしてか往生し侍べきと、とひたてまつりしかば、聖人おしへたまふ事ありき。わがみにとりてたえがたく、かないがたき事どもありき。そのゆへは、まづ出家して、ながく世間の事をすてゝ、しづかなるところにて、一向に後世のつとめをいたすべきよしなりと侍き。しかるにけふのむまの時に聖人往生したまふべき事、このゆめにすでにかなへりと申し侍けり。
一 白河に准后の宮の御辺に侍ける三河と申す女房のゆめにみるやう、同廿四日の夜、聖人の御もとにまいりておがみければ、四壁に錦帳をひけり。色さまざまにあざやかにして、ひかりある上にけぶりたちみてり。よくよくこれをみれば、けぶりにはあらず。紫雲といふなるものはこれをいふか、いまだみざるものをみつるかなどおもひて、不思議のおもひをなすところに、聖人往生したまへるかとおぼえて、ゆめさめぬ。夜あけてあしたに、僧順西といふものにこの事どもをかたりてのち、けふのむまの時に聖人往生したまひぬときゝけり。
一 かまくらのものにて、来阿弥陀仏と申あまの、信心ことにふかくて、仁和寺にすみける。同廿四日の夜、ゆめにみるやう、よにたうときひじりきたれり。そのかたち、ゑざうの善導の御すがたににたりけり。それを善導かとおもふほどに、つげてのたまふやう、法然聖人はあす往生したまふべし、はやくゆきておがみたてまつれとのたまふとみて、ゆめさめぬ。かのあま、やがておきゐで、あか月くゐものなどいとなみて、わりごといふものもたせて、いそぎいそぎいでたちて、聖人の御もとへまいるところに、下人どもおのおの申やう、けふはさしたる大事侍、これをうちすてゝいづかたへありきたまふぞ。はやくけふはとまりたまふべしといひけれども、かゝるゆめをみつれば、かの聖人の往生をおがみにまいらむとて、よろづをふりすてゝいそぐなり。さらにとゞまるべからずといひて、仁和寺よりほのぼのにいでゝ、東山大谷の房にまいりてみたてまつれば、げにもその日のむまの時に往生したまへり。このゆめは、聖人いまだ往生のさきにきゝおよべる人々、あまた侍けり。さらにうたがひなきことなり。返がへすこの事ふしぎの事なり。おほよそ廿五日に、聖人の往生をおがみたてまつらむとてまいりあつまりたる人、さかりなる市のごとく侍けり。その中にある人のいふやう、廿三日の夜のゆめにみるやう、聖人きたりて、われは廿五日のむまの時に往生すべきなりとのたまふとおもひて、ゆめさめぬ。このことのまことをあきらめむとて、まいりたるよし申けり。これならず、あるいはきのふの夜、このつげありといふものもあり。あつまりたる人々の中に、かやうのことどもいふ人おほく侍。くわしくしるし申侍らず。
一 東山の一切経の谷に、大進と申僧の弟子に、歳十六なる児の{袈裟}といふゆめに、同廿五日の夜みるやう、西東へすぐにとおりたるおほぢあり、いさごをちらして、むしろをみちの中にしけり。左右にものみる人とおぼしくて、おほくあつまれり。ゆゝしきことのあらむずるぞとおぼえて、それもともにみ侍らむとて、みちのかたわらにたちよりて侍ほどに、天童二人たまのはたをさして西へゆきたまへり。そのうしろにまた法服きたる僧ども千万人あつまりゆきて、左の手に香呂をもち、右のてにはけさのはしをとりて、おなじく西へゆくを、ゆめの中にとふやう、これはいかなる人のおはしますぞといふに、ある人こたへていふやう、これは往生の聖人のおはしますなりといふを、またとふやう、聖人とはたれ人ぞととへば、これはおほたにの聖人なりとみて、ゆめさめぬ。この児そのあか月、師の僧にかたり侍けり。この児、聖人の事おもしらず、また往生のよしおもきゝおよばざりけるに、そらにこのつげありけり。
一 建曆二年二月十三日の夜、故惟方の別当入道の孫、ゆめにみるやう、聖人を葬送したてまつるをおがみければ、聖人清水のたうの中にいれたてまつるとみて、のちまた二日ばかりすぎて、ゆめにみるやう、となりの房の人きたりていふやう、聖人の葬送にまいりあはぬことのゐこむに候へども、おなじことなり、はかどころへまいりたまへと申に、よろこびてかのはかどころへあひ共してまいりぬとおもふほどに、八幡の宮とおぼしき社の、みとあくるところをみれば、御聖体おはします。その時はかどころへまいるに、八幡の御聖体とはなにおか申すべきといふに、かのとなりの人いふやう、この聖人の御房こそは御聖体よといふあひだ、身の毛いよだちて、あせたりて、ゆめさめぬ。
一 同正月廿五日辰時に、念阿弥陀仏と申すあまの、ゆめうつゝともなくてみるやう、はるかにうしとらのかたをみやれば、聖人すみぞめのころもをきて、そらにゐたまへり。そのかたはらにすこしさがりてしらさうぞくして、唐人のごとくなる人ゐたり。おほたににあたりて、聖人と俗人と、南にむかひてゐたまへるほどに、俗のいふやう、この聖人は通事にておはすといふとおもふほどに、ゆめさめぬ。
一 同廿三日卯時に、念阿弥陀仏、またゆめに、そらはれて西のかたをみれば、しろき光あり。あふぎのごとくして、すゑひろくもとせばくして、やうやくおほきになりて虚空にみてり。光の中に、わらだばかりなる紫雲あり。光ある雲とおなじく東山の大谷のかたにあたりて、参たる人々あまたこれをおがみけり。いかなる光ぞととふに、ある人のいふやう、法然聖人の往生したまふよと申によりて、おがみたてまつれば、人々の中に、よにかうばしきかなといふ人もありとおもふて、これを信仰しておがむとおもへば、ゆめさめぬ。
一 聖人往生したまへる大谷の坊の東の岸の上に、たいらかなるところあり。その地を、建曆二年十二月のころ、かの地主、聖人にまいらせたりければ、その地を墓所とさだめて葬送したてまつり侍けり。その地のきたに、また人の坊あり。それにやどりゐたるあまの、先年のころゆめにみるやう、かのはかどころの地を、天童ありて行道したまふとみ侍けり。また同房主、去年十一月十五日の夜のゆめにみるやう、この南の地のはかどころに、青蓮華おいて開敷せり。そのはなかぜにふかれて、すこしづゝこの房へちりかゝるとみて、ゆめさめぬ。またおなじ房に女の侍けるも、去年の十二月のころみるやう、南の地にいろいろさまざまの蓮華さきひらけてありとみおはりてのち、ことしの正月十日、かの地を墓所とさだめて、穴をほりまうくるとき、この房主はじめておどろきていふやう、ひごろのゆめどもの三度までありしが、たゞいまおもひあはするに、あひたるよといひて、ふしぎがりけり。
一 建曆元年のころ、聖人つのくにの勝尾といふところにおはしける時、祇陀林寺の一和尚にて侍ける西成房といふ僧の、ゆめにみるやう、祇陀林寺の東の山にあたりて金色の光をさしたりけるを、あまた人これをみて、あやしみとひたづねければ、そばなる人のいふやう、これこそ法然聖人の往生したまふよといふとおもふほどに、ゆめさめぬ。そのゝち聖人、勝尾より大谷にうつりゐたまふて往生したまひぬときゝて、この僧、人々にかゝりしゆめをこそみたりしかと申けり。
一 華山院の前右大臣の家の侍に、江内といふものゝしたしき女房、三日があひだ、うちつゞき三度までゆめにみるやう、まづ正月廿三日の夜のゆめに、西山より東山にいたるまで、五色の雲の一町ばかりになおくたなびきて侍けり。大谷の聖人の御房にまいりておがみたてまつりければ、すみぞめのころも・けさをきたまへるが、袈裟のおほはむすびたれて、如法経のけさのおのやうにて、請用かとおぼえて、聖人いでたちたまふとみて、ゆめさめぬ。また同廿四日の夜みるやう、昨日の夜、五色の雲すこしもちらずして、おほいかだのやうにおほまわりにまわりて、東がしらなるくも、西がしらになりて、なほくたなびけり。聖人もさきのごとくしておはしますとみて、ゆめさめぬ。又同廿五日にみるやう、件の雲、西へおもむきて、聖人七条の袈裟をかけて、臨終の作法のやうにてかのくもにのりて、とぶがごとくして西へゆきたまひぬとみて、ゆめさめぬ。むねさわぎておどろきたるに、わがくちも、ころもゝ、あたりまでも、よにかうばしく侍ける。よのつねの香にもにず、よにめでたくぞ侍ける。
一 ある人、二月二日の夜のゆめにみるやう、聖人往生したまひてのち、七日にあたりける夜のゆめに、ある僧きたりていふやう、聖人の御房は、往生の伝記に入せたまひたるおば、しるやいなやととひ侍ければ、この人いふやう、たれ人のいかなる伝に入たまへるにかと申侍ければ、ゆびをもちて、まへなるふみをさして、このふみに入せたまふなりとみて、ゆめさめぬ。そのゆびにてさしつる文をみれば、善導の『観経の疏』なりけり。これは長楽寺の律師{隆寛}、一昼夜の念仏申ける時のゆめなり。
一 先年のころ、直聖房といふ人、熊野まいり侍けるに、聖人いさゝかの事によりて、さぬきへくだりたまふときゝて下向せむとするほどに、ことにふれて、はゞかりのみありて、やまひがちに侍ければ、この事権現にいのり申侍けるに、直聖房がゆめにみるやう、なむぢいづべからず、臨終のときすでにちかしと侍ければ、かの僧申すやう、聖人の事のきわめておぼつかなく候なり。はやく下向し候て、子細をうけたまはり候ばやとおもひたまふと申ければ、権現のしめしたまふやう、かの聖人は勢至菩薩の化現なり、なむぢ不審すべからずと。みおわりてのち、いくほどをへずしてかの僧往生し侍ける事、めをおどろかさずといふ事なし。このありさま、よの人々みなしれり。
一 天王寺の松殿法印御坊{静尊}、高雄寺にこもりゐて、ひごろ法然聖人といふ人ありとばかりしりて、いまだ対面におよばず。しかるに正月廿五日午時ばかりに、ある貴所より『阿弥陀経』をあつらえて、かゝせらるゝ事ありて、出文机にて書写のあひだに、しばらく脇息によりかゝりて休息するほどに、ゆめにみるやう、世間もてのほかに、諸人のゝしるおとのするにおどろきて、えむのはしにたちいでゝそらをみあげたれば、普通ののりぐるまのわほどなる八輻輪の八方のさきごとに雑色の幡をかけたるが、東より西へとびゆくに、金色の光ありて四方をてらすに、すべて余のものみえずして、金色の光のみ天地にみちみちて、日光弊覆せられたり。これをあやしみて、人にこれをとふとおぼしきに、かたわらの人つげていはく、法然聖人往生の相なりといふ。帰命渇仰のおもひをなすほどに、ゆめさめぬ。そのゝち、しらかわの御めのとのもとより、同廿七日に御ふみをおくらるゝついでに、おととひ廿五日のむまの時にこそ、法然聖人往生せられて候へと申されたる時、夢想すでに府合して、いよいよ随喜のおもひをなしおはりぬと云り。
一 丹後国しらふの庄に、別所の一和尚僧ありけり。昔天台山の学徙、遁世之後、聖人に帰したてまつりて弟子になりけるほどに、丹後よりのぼりて、京に五条の坊門、富小路なる所に住しけり。或日ひるねしたるゆめに、空に紫雲そびきたる中に、尼一人ありて、うちゑみて云く、法然聖人の御おしえによりて極楽に往生し候ぬるを、仁和寺に候つると告ける。そのゝち夢さめて、聖人の九条におはしましけるに、やがてまいりて、妄想にてや候つらむ、かゝるゆめをみて候と申ければ、聖人うちあむじて、さる人もあるらむとて、人を仁和寺へつかはさむとしけるが、日もくれければ、次の朝にかの所へつかはして、便宜になに事か候とたづぬべきよし、使におほせられけるに、件の尼公は、昨日の午時に往生せられ候ぬと申たりけるを、聖人まふされていはく、かの尼公は『法華経』千部自読せむと願をおこして候が、七百部ばかりはよみて候が、のこりをいかにしてはたしとぐべしともおぼへ候はぬと申候しを、としよりたる御身に、めでたくよませたまひて候へども、のこりおば一向念仏にならせたまへかしとて、名号の功徳をときゝかせられけるより、『経』おばおきて一向専称して、とし月をへて往生極楽の素懐をとげけるにやとぞ、おほせありけると。


康元元丁巳正月二日
愚禿親鸞{八十五歳}校了


西方指南抄中[末]

(八)

七箇條起請文

元久元年(1204)比叡山延暦寺の専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)の訴えに対して、法然聖人以下門弟が言行を正すことを誓って連署し、比叡山に送った七箇条からなる書状。親鸞聖人は当時名乗っておられた綽空の名で署名されておられるが、西方指南鈔では改名後の善信とされている。

漢文と読み下し文は右のリンクをクリック➡七箇条制誡

一 普告于予門人念仏上人等。
可停止未窺一句文奉破真言・止観、謗余仏・菩薩事。
右至立破道者、学生之所経也、非愚人之境界。加之、誹謗正法免除弥陀願。其報当堕那落。豈非痴闇之至哉。
一 可停止以无智身対有智人、遇別行輩好致諍論事。
右論義者、是智者之有也、更非愚人之分。又諍論之処諸煩悩起。智者遠離之百由旬也。況於一向念仏之行人乎。
一 可停止対別解・別行人、以愚痴偏執心傋当棄置本業、強嫌喧之事。
右修道之習、各勤敢不遮余行。『西方要決』(意)云、「別解・別行者総起敬心。若生軽慢、得罪无窮。」{云云}何背此制哉。
一 可停止於念仏門、号无戒行専勧婬酒食肉、適守律儀者名雑行、馮弥陀本願者、説勿恐造悪事。
右戒是仏法大地也、衆行雖区同専之。是以善導和尚、挙目不見女人。此行狀之趣、過本律制浄業之類。不順之者、総失如来之遺教、別背祖師之旧跡。旁无拠者歟。
一 可停止未弁是非痴人、離聖教非師説、恐述私義妄企諍論、被笑智者迷乱愚人事。
右无智大天、此朝再誕猥述邪義。既同九十五種異道、尤可悲之。
一 可停止以痴鈍身殊好唱導、不知正法説種種邪法、教化无智道俗事。
右無解作師、是『梵網』之制戒也。黒闇之類欲顕己才、以浄土教為芸能、貪名利望檀越。恐成自由之妄説、狂惑世間人。誑法之過殊重。是輩非国賊乎。
一 可停止自説非仏教邪法為正法、偽号師範説事。
右各雖一人、説所積為予一身。衆悪汚弥陀教文、揚師匠之悪名、不善之甚无過之者也。
以前七箇条甄錄如斯。一分学教文弟子等者、頗知旨趣年来之間雖修念仏、随順聖教敢不逆人心、无驚世聴。因茲于今三十箇年无為。渉日月而至近王此十箇年以後、无智不善輩時時到来。非啻失弥陀浄業、又汚穢釈迦遺法。何不加炯誡乎。此七箇条之内、不当之間巨細事等多。具難註述。総如此等之無方、慎不可犯。此上猶背制法輩者、是非予門人、魔眷属也。更不可来草庵。自今以後、各随聞及、必可被触之。余人勿相伴。若不然者、是同意人也。彼過如作者、不能瞋同法恨師匠、自業自得之理、只在己身而已。是故今日催四方行人、集一室告命、僅雖有風聞慥不知誰人失、拠于沙汰愁歎。遂年序、非可黙止。先随力及、所廻禁遏之計也。仍錄其趣示門葉等之狀、如件。
元久元年十一月七日 沙門源空
信空 感聖 尊西 証空 源智 行西 聖蓮 見仏 導亘 導西 寂西 宗慶 西縁 親蓮 幸西 住蓮 西意 仏心 源蓮 蓮生 善信 行空 [已上]
已上二百余人、連署了。


(九)

起請没後二箇条事。

表題のごとく法然聖人滅後の門弟へ宛てた遺誡。法然聖人は『西方指南抄』下末の「要義十三問答」で、「まことにこの身には、道心のなき事と、やまひとばかりや、なげきにて候らむ。」と、云われておられるが65~66歳の頃大病をなされた。これが縁で藤原兼実の法然聖人亡き後の法然浄土教の旨趣を記述して欲しいとふ請によって『選択本願念仏集』(1198)をあらわされたといわれる。またその時に著わされたのが、この『起請没後二箇条事』(没後遺誡ともいう)であるとされる。二箇条事とあるように『漢語灯録』には、二条目には、数人の門弟に対する財産分与について記されていた。
なお、御開山は、一には、群会すれば互いに諍論を起こし忿怨しあい、それが浄土門を破壊することにもつながるので集会してはならないと説く。二には、追善、布施を否定し、念仏を勧進し念仏に生きる者であるならば、ひたすら念仏すべきことを示される二箇条とみられたのであろう。


一 葬家追善事。

右葬家之次第、頗有其採旨。有籠居之志遺弟・同法等、全不可群会一所者也。其故何者、雖復似和合、集則起闘諍。此言誠哉、甚可謹慎。若然者我同法等、於我没後各住各居不如不会。闘諍之基由、集会之故也。羨我弟子・同法等、各閑住本在之草庵、苦可祈我新生之蓮台。努々群居一所、莫致諍論起忿怨。有知恩志之人、毫末不可違者也。兼又追善之次第、亦深有存旨。図仏・写経等善、浴室・檀施等行、一向不可修之。若有追善報恩之志人は、唯一向可修念仏之行。平生之時、既付自行化他、唯局念仏之一行。歿没之後、豈為報恩追修、寧雑自余之衆善哉。但於念仏行尚可有用心。或眼閉之後、一昼夜自即時始之。標誠至心各可念仏。中陰之間、不断念仏。動生懈惓、各還闕勇進之行。凡没後之次第、皆用真実心可棄虚仮行。有志之倫、勿乖遺言而已。「隠/顕」
一 葬家追善事。

右、葬家の次第、すこぶるその採旨あり。籠居の志あらむ遺弟・同法等は、全く一所に群会すべからざるものなり。そのゆえはなんとなれば、また和合するに似たりといえども、集れば則ち闘諍を起こす。この(ことば)誠なるかな、はなはだ謹み慎むべし。
もししからば、我が同法等、我が没後において、おのおの各居に住して会わざるにはしかず。闘諍の(もとい)なるゆへは集会のゆえなり。
ねがわくは、我が弟子・同法等、おのおの本在の草菴に閑住して、(ねんごろ)に、我が新生の蓮台を祈るべし。ゆめゆめ一所に群居して諍論をいたし忿怨を起こすことなかれ。知恩の志あらん人、毫末も違するベからざるものなり。
かねてまた、追善の次第、また深く存ずる旨あり。図仏・写経等の善、浴室・檀施等の行、一向にこれを修すべからず。もし追善報恩の志あらん人、ただ一向に念仏の行を修すべし。平生の時、すでに自行化他について、ただ念仏の一行にかぎる。歿没の後、あに報恩追修のために、むしろ自余の衆善を雑えんや。

ただ、念仏の行においてなお用心あるべし。あるいは(まなこ)閉じてののち、一昼夜即時よりこれを始め、誠を標して心を至しておのおの念仏すべし。中陰の間、念仏を断たざれ。ややもすれば懈惓を生じ、おのおの還りて勇進の行をかく。おおよそ、没後の次第、みな真実心を用いて虚仮の行を棄つべし。志あらんのともがら、遺言に乖くことなからんとのみ。

(一〇)

源空聖人私日記

法然聖人の御一代記。法然聖人の生い立ちから始めてその優れた仏教の才能や、善導大師との邂逅による専修念仏との出遭い、それによる「大原問答」や浄土宗の創始、念仏弾圧によるご流罪、法然聖人のご往生について記されている。


夫以、俗姓者美作国庁官漆間時国之息。同国の久米南条稲岡庄誕生之地也。長承二年{癸丑}聖人始出胎内之時、両幡自天而降。奇異之瑞相也。権化之再誕也。見者合掌、聞者驚耳{云云}。

それおもんみれば俗姓は、美作の国の庁官、漆間時国の息なり。同じ国の久米の南条稲岡庄は誕生の地なり。長承二年{癸丑}聖人、始めて胎内を出でし時、ふたつの幡、天より降る。奇異の瑞相也。権化の再誕也。見る者掌(たなごころ)を合わせ、聞く者、耳を驚かすと云々。

保延七年{辛酉}春比、慈父為夜打被殺害畢。聖人生年九歳、以破矯小箭射凶敵之目間。以件疵知其敵、即其庄預所明石源内武者也。因茲逃隠畢。其時聖人、同国内菩提寺院主観覚得業之弟子成給。
天養二年{乙丑}初登山之時、得業観覚狀云、進上大聖文殊像一体。源覚西塔北谷持法房禅下、得業の消息見給奇給小児来、聖人十三歳也。然後十七歳天台六十巻読始之。

保延七年{辛酉}春のころ、慈父、夜打の為に殺害せられ畢りぬ。聖人の生年九歳にして、破矯の小箭を以って、凶歒の目の間を射る。件の疵を以って其の敵(かたき)を知る、即ち其の庄の預所、明石の源内武者也。これによって逃げ隠れ畢りぬ。その時聖人、同じき国の内の菩提寺の院主、観覚得業の弟子と成給ふ。天養二年{乙丑}初めて登山の時、得業観覚の状に云く、大聖文殊像一体を進上すと。源覚西塔の北谷に持法房禅下、得業の消息を見給たもうてあやしみ給ふに小児来れり、聖人十三の歳也。しこうして後ち十七歳にて天台六十巻をこれを読始じむ。

久安六年{庚午}十八歳始師匠乞請暇遁世。法華修行之時普賢菩薩眼前奉拝、『華厳』披覧之時蛇出来。信空上人見之怖驚給。其夜夢、我者此聖人夜経論見、雖無灯明室内有光如昼。信空{法蓮房也、聖人之同法}同見其光。修真言教入道場観五相成身之観、行顕之。於 上西門院説戒七箇日之間、小蛇来聴聞。当第七日於唐垣上其蛇死畢。于時有人人見様、其頭破中或見天人登、或見蝶出。説戒聴聞之故、離蛇道之報直生天上歟。

久安六年{庚午}十八歳にて、始めて師匠に暇を乞請して、遁世せむとす。法華修行の時、普賢菩薩を眼前に拝し奉る、『華厳』披覧の時、虵(じゃ)出で来る。信空上人これを見て怖れ驚き給ふ。其夜の夢にみらく。我は此れ聖人夜経論を見たまふに、灯明無しといえども、室の内に光有りて昼のごとし。信空{法蓮房也、聖人の同法}同じき其の光を見らる、真言教を修せむとて道場に入りて五相成身の観を観ず、行これを顕す。上西門院にして説戒七箇日の間、小虵来りて聴聞す。第七日に当りて、唐垣の上にして其の虵死し畢りぬ。時に人人有りて見る様、その頭(かしら)破(わ)れて中より、或いは天人の登るを見る、或いは蝶出づを見る。説戒聴聞の故に、虵道の報を離れて直に天上に生ずる歟。

高倉天皇御宇得戒。其戒之相承、自南岳大師所伝于今不絶、世間流布之戒是也。聖人所学之宗宗師匠四人、還成弟子畢。誠雖大巻書三反披見之時、於文者明明不暗、義又分明也。雖然以廿余之功、不能知一宗之大綱。然後窺諸宗之教相、悟顕密之奥旨。八宗之外明仏心・達磨等宗之玄旨。爰醍醐寺三論宗之先達、聖人往于其所述意趣。先達総不言起座、入内取出文函十余合云、於我法門者無余念、永令付属于汝{云云}。此上称美讚嘆不遑羅縷。又値蔵俊僧都而談法相法門之時、蔵俊云く、汝方非直人、権者之化現也。智慧深遠形相炳焉也。我一期之間可致供養之旨契約。仍毎年贈供養物、致懇志。已遂本意了。宗之長者、教之先達、無不随喜信伏。

高倉天皇の御宇に戒を得たまひき。其の戒の相承、南岳大師より伝ふる所、今だ絶えず、世間流布の戒これ也。
聖人所学の宗宗の師匠四人、還りて弟子に成り畢りぬ。誠に大巻の書なりといえども。三反これを披見する時、文において明明にして暗からず、義また分明也。然りといえども二十余の功を以って一宗の大綱を知ることあたわず。然して後、諸宗の教相を窺うて顕密の奥旨を悟る。八宗の外に仏心・達磨等の宗の玄旨に明らかなり。
ここに醍醐寺の三論宗の先達、聖人其の所に往いて意趣を述す。先達総じてもの言わずして座を起て内に入り文凾十余合を取出して云く。我が法門においては、余の念(おも)いなく、永く汝に付嘱せしむと。 云云。 此の上、称美讃嘆するに羅縷いとまあらず。また、蔵俊の僧都に値(あ)いて法相の法門を談ずるの時、蔵俊云く。汝まさに直人(ただびと)に非ず、権者の化現也。智慧深遠なること、形相炳焉也。我一期の間、供養致すべきの旨契約せりき。よって毎年に供養物を贈る懇志を致す。已に本意を遂げ了(お)わる、宗の長者、教の先達、随喜信伏せざるは無し。

総本朝所渡之聖教乃至伝記・目錄、皆被加一見了。雖然煩出離之道身心不安。抑始自曇鸞・道綽・善導・懐感御作至于楞厳先徳『往生要集』、雖窺奥旨二反、拝見之時者往生猶不易。第三反之時、乱想之凡夫不如称名之一行、是則濁世我等依怙。末代衆生之出離令開悟訖。況於自身得脱乎。然則為世為人雖欲令弘通此行、時機難量、感応難知。倩思此事、暫伏寝之処示夢想。紫雲広大聳覆日本国。自雲中出无量光、自光中百宝色鳥飛散、充満虚空。于時登高山忽拝生身之善導、自御腰下者金色也、自御腰上者如常。高僧云、汝雖為不肖之身、念仏興行満于一天。称名専修及于衆生之故、我来于此。善導即我也{云云}。因茲弘此法。年年次第繁昌、無不流布之所。

すべて本朝に渡る所の聖教乃至伝記・目録、皆な一見を加えられ了ぬ。然りといえども出離の道に煩いて身心安からず、そもそも始め曇鸞・道綽・善導・懐感御作より、楞厳先徳『往生要集』に至まで奥旨を窺うこと二反すといえども、拝見の時、往生猶お易(やす)からず、第三反の時、乱想の凡夫は称名の一行にしかず、是れ則ち濁世の我等が依怙なり、末代の衆生の出離開悟せしめおわぬ。いわんや自身の得脱においておや。然らば則ち世の為人の為、此の行を弘通せしめんと欲うといえども、時機量り難し、感応知り難し。つらつら此の事を思い、暫く伏して寝(い)ぬるの処、夢想を示す。紫雲広く大いに聳えて日本国に覆えり。雲中より無量の光を出だす。光中より百宝の色鳥飛散して虚空に充満せり。時に高山に登りて、たちまちに生身の善導を拝めり。御腰より下は金色也。御腰より上は常のごとし。高僧云く。汝、不肖の身なりといえども、念仏興行一天に満てり。称名専修 衆生に及ぼさんが故に、我ここに来たれり、善導すなわち我也。 云云 これに因て此法を弘む。年年次第繁昌せしむ、流布せざるの所無し。

聖人云、我師肥後阿闍梨云、人智慧深遠也。然倩計自身分際、此度不可出離生死。若度度替生隔生、即妄妄故定妄仏法歟。不如受長命之報、欲奉値慈尊之出世。依之我将受大蛇身。但住大海者、可有中夭。如此思定、遠江国笠原庄内桜池云所、取領家之放文、住此池誓願了。其後至于死期時、乞水入掌中死了。而彼池、風不吹浪俄立、池中塵悉払上。諸人見之、即注此由触申領家。期其日時、彼阿闍梨当逝去日。所以有智慧故知難出生死、有道心之故値仏之出世所願也。雖然未知浄土法門之故、如此発悪願。我其時、若此法尋得、不顧信不信此法門申。而於聖道法者、有道心者期遠生之縁、無道心者併住名利。以自力輒可厭生死之者、是不得帰依之証也{云云}。

聖人の云く、我師、肥後阿闍梨の云く、人の智慧深遠也。然るにつらつら自身の分際を計るに、此のたび生死を出離すべからず。もし、たびたび生を替え生を隔つ、即ち妄妄たるが故に定めて仏法を妄ぜる歟。長命の報を受けむにしかずば、慈尊(弥勒)の出世に値い奉まつらんと欲ふ。これに依って我まさに大虵(だいじゃ)の身を受けんと。ただし大海に住せば中夭有るべし。かくの如く思い定めて、遠江国笠原の庄内に桜池と云所を、領家の放ち文を取りて、この池に住ひむと誓願し了ぬ。其後、死期の時に至って、水を乞ふて掌の中に入れて死に了ぬ。しかるに彼池、風吹かざるに浪にわかに立ち、池の中の塵悉く払ひ上ぐ。諸人これを見て、即ちこの由を注(しる)して領家に触れ申す。その日時を期す、彼の阿闍梨逝去の日に当れり。このゆえに智慧あるが故に、生死を出で難きことを知る。道心有るが故に、仏の出世に値はむと願ずる所也。然りといえども浄土の法門を知らざるの故に、此の如きの悪願を発す。我れその時、もし此の法を尋ね得たらば、信・不信を顧りみず、此の法門申さまし。しかるに聖道法においては、道心有らば遠生の縁を期し、道心無くばしかしながら名利に住せむ。自力を以って輒(たや)すく生死を厭うべしの者は、是れ帰依の証を得ざる也 云云。

又聖人年来開経論之時、釈迦如来、罪悪生死凡夫依弥陀称名之行可往生極楽弘説給之。勘得教文、今修念仏三昧立浄土宗。其時南都・北嶺碩学達、共誹謗嘲哢無極。然間文治二年之比、天台座主中納言法印顕真、厭娑婆忻極楽、籠居大原山入念仏門。其時弟子相模公申云、法然聖人立浄土宗義、可尋聞食。顕真云、尤可然{云云}。但我一人不可聴聞、処処智者請集定了而彼大原龍禅寺集会以後、法然聖人請之。無左右来臨了。顕真喜悦無極。集会之人々、

また聖人年来経論を開く時、釈迦如来、罪悪生死の凡夫、弥陀称名の行に依って極楽に往生すべしと、弘くこれを説給、教文を勘がへ得て、今念仏三昧を修し浄土宗を立つ。其の時、南都・北嶺の碩学達、共に誹謗嘲哢(ちょうろう)すること極り無し。
然る間、文治二年のころ、天台座主中納言法印顕真、娑婆を厭ひ極楽を忻(ねが)ふて、大原山に籠居して念仏門に入れり。其の時の弟子、相模の公と申すが云く。法然聖人浄土の宗義を立す。尋ね聞こしめすべしと。顕真云、もとも然るべしと 云云。
ただ我れ一人のみ聴聞すべからず。処処の智者請じて集め定め了りて、彼の大原龍禅寺に集会して以後、法然聖人これを請ず。左右なく来臨了(おわ)ぬ。顕真喜悦極まり無し。集会の人々、
光明山僧都明徧    {東大寺三論宗長者也}
笠置寺解脱上人    {侍従已講貞慶、法相宗人也}
大原山本成坊     [此人人問者也]
東大寺勧進上人修乗坊 [重源]
嵯峨往生院念仏坊   [天台宗人也]
大原来迎院明定坊蓮慶 [天台宗人]
菩提山長尾蓮光坊   [東大寺人]
法印大僧都智海    {天台山東塔西谷林泉坊}
法印権大僧都証真   {天台山東塔東谷宝地坊}
聴衆凡三百余人也。

其時聖人浄土宗義、念仏功徳、弥陀本願之旨、明明説之。其時云、口被定本成房、黙然而信伏了。集会人人悉流歓喜之淚、偏帰伏。自其時彼聖人念仏宗興盛也。自法蔵比丘之昔至弥陀如来之今、本願之趣、往生之子細不昧。説給之時、三百余人、一人無疑聖道・浄土教文。玄旨説之時、人人始向虚空無出言語之人。集会人人云、見形者源空聖人、実者弥陀如来応迹歟定了。仍集会之験、於件寺三昼夜不断念仏勤行了。結願之朝、顕真付『法華経』之文字員数一人別阿弥陀仏名付、彼教訓大仏上人。自其時南无阿弥陀仏之名付給了。

その時聖人、浄土の宗義、念仏の功徳。弥陀本願の旨、明明にこれを説きたまふ。其の時云く、口に定めらる本成坊、黙然として信伏し了ぬ。集会の人人悉く歓喜の涙を流し偏に帰伏す。この時より彼の聖人念仏宗興盛也。法蔵比丘の昔より弥陀如来の今に至るまで、本願の趣、往生の子細、昧からず。これを説き給ふ時、三百余人、一人として、聖道・浄土教文を疑ふこと無し。玄旨これを説きたまふし時、人人始めて虚空に向かうて言語を出だすの人無し。集会の人人云ふ、形を見れば源空聖人、実は弥陀如来の応跡歟と定め了ぬ。よって集会の験(しるし)として、件の寺にして三昼夜不断念仏勤行了ぬ。結願の朝、顕真『法華経』の文字の員数に付いて、一人別に阿弥陀仏の名を付よと彼の大仏の上人(嵯峨往生院念仏坊)を教訓す。其の時より、南无阿弥陀仏の名付給ひ了ぬ。

高倉院御宇安元元年{乙未}聖人齢自四十三始入浄土門閑観浄土給、初夜宝樹現、次夜示瑠璃地、後夜者宮殿拝之。阿弥陀三尊常来至也。又霊山寺三七日不断念仏之間、無灯明有光明。第五夜勢至菩薩行道同烈立給。或人如夢奉拝之。聖人曰、猿事侍覧。余人更不能拝見。 月輪禅定殿下[兼実]{御法名円照}、帰依甚深也。或日聖人参上月輪殿。退出之時、自地上高踏蓮華而歩。頭光赫奕、凡者勢至菩薩化身也。如此善因令然業果惟新之処、南北之碩徳、顕密之法灯、或号謗我宗、或称嫉聖道。寄事於左右、求咎於縦横。

高倉院の御宇、安元元年{乙未}聖人の齢、四十三より始めて浄土門に入りて、(しずか)に浄土を観じ給ふに、初夜に宝樹現じ、次の夜に瑠璃地を示す、後夜には宮殿これを拝す。阿弥陀の三尊常に来至したまう也。
また霊山寺にして三七日不断念仏の間、灯明無きやに光明有り。第五夜に勢至菩薩行道し、同烈して立ち給ふ。ある人夢のごとくにこれを拝し奉る。聖人の曰く、さる事はべるらんと。余の人さらに拝見にあたわず。
月輪の禅定殿下[兼実]{御法名円照}、帰依甚深也。ある日聖人月輪殿に参上したまふ。退出の時、地より上高く蓮華を踏みて歩みたまふ。頭光赫奕たり、おほよそは勢至菩薩の化身也と。此のごときに善因しからしむるに業果これ新たなるの処に、南北の碩徳、顕密の法灯、或は我が宗を謗ずと号し、或は聖道を(そねむ)と称す。事に寄せて左右に、咎を縦横に求む。

動驚天聴諷諫門徒之間、不慮之外忽蒙勅勘被行流刑了。雖然無程帰洛了。権中納言藤原朝臣光親、為奉行被下勅免之宣旨。去建曆元年十一月廿日、帰洛居卜東山大谷之別業、鎮待西方浄土之迎接。同三年正月三日、老病空期蒙昧之臻。所待所馮寔悦哉、高声念仏不退也。或時聖人相語弟子云、我昔有天竺、交声聞僧常行頭陀。本者是有極楽世界、今来于日本国学天台宗、又勧念仏。身心無苦痛、蒙昧忽分明。十一日辰時、端座合掌念仏不絶。即告弟子云、高声念仏各可唱。観音・勢至菩薩・聖衆、現在此前、如『阿弥陀経』所説。随喜雨淚、渇仰融肝。尽虚空界之荘厳遮眼、転妙法輪之音声満耳。至于同廿日、紫雲聳上方、円円雲鮮其中、如図絵仏像。道俗貴賤、遠近緇素、見者流感淚、聞者成奇異。同日未時、挙目合掌、自東方見西方事五六度、弟子奇而問云、仏来迎たまふ歟。聖人答云、然也。廿三、四日紫雲不罷、弥広大聳。西山売炭老翁、荷薪樵夫、大小老若見之。廿五日午時許、行儀不違、念仏之声漸弱、見仏之眼如眠。紫雲聳空、遠近の人人来集、異香薫室。見聞之諸人仰信。臨終已到、慈覚大師之九条袈裟懸之向西方唱云、「一一光明徧照十方世界、念仏衆生摂取不捨」(観経){云云}。停午之正中也。三春何節哉、釈尊唱滅、聖人唱滅。彼者二月中旬五日也、此者正月下旬五日也。八旬何歳哉、釈尊唱滅、聖人唱滅。彼八旬也、此八旬也。
園城寺長吏法務大僧正公胤、為法事唱導之時、其夜告夢云、
 源空為教益 公胤能説法 感即不可尽 臨終先迎摂
 源空本地身 大勢至菩薩 衆生教化故 来此界度度

ややもすれば天聴を驚かして門徒に諷諫するの間、不慮の外に忽に勅勘を蒙り、流刑に行われ了ぬ。然りといえども程なく帰洛了ぬ。権中納言藤原の朝臣光親、奉行として勅免の宣旨を下さる。
去る建暦元年十一月二十日帰洛。居東山大谷の別業卜す。しずかに西方浄土の迎接を待つ。
同三年正月三日、老病空(そ)らに蒙昧の臻(いたる)を期せり。待つ所憑む所、寔(まこと)に悦哉。高声念仏不退也。
ある時聖人弟子と相い語りて云く。我れ昔天竺に有り。声聞僧に交わりて常に頭陀を行ず。本は是れ極楽世界に在り、今、日本国に来り天台宗を学し、また念仏を勧む。身心苦痛無く蒙昧は忽(たちまち)に分明なり。
十一日辰の時、端座合掌し念仏絶えず。即ち弟子に告げて云く、高声念仏おのおの唱ふべし、観音・勢至菩薩聖衆 現に此の前に在します。『阿弥陀経』所説の如し。随喜涙を雨ふらし渇仰肝に融(とお)る。尽虚空界の荘厳、眼を遮し、転妙法輪の音声耳に満つ。
同二十日に至り、紫雲上方に聳(そび)え、円円の雲其の中に鮮かなり、図絵の仏像の如し。道俗貴賤遠近の緇素、見る者感涙を流し、聞く者は奇異を成ず。同日未の時、目を挙げ合掌、東方より西方を見る事五六度。弟子あやしみて問うて云く、仏の来迎歟。聖人答て云く、然りと也。
二十三四日、紫雲罷(や)まず。いよいよ広く大きににたなびく。西山の炭売の老翁、薪を荷う樵夫、大小老若これを見る。
二十五日、午の時ばかりに、行儀たがわず、念仏の声漸く弱し、見仏の眼、眠るがごとし、紫雲空にたなびく、遠近の人人来り集まる、異香室に薫ず。見聞の諸人仰いで信ず。臨終已に到りて、慈覚大師の九条の袈裟これを懸けて、西方に向ふて唱えて云く。「一一光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」「隠/顕」
一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。
{観経} 云云
停午の正中也。三春何れの節ぞ哉。釈尊滅を唱えたまふ。聖人滅を唱まふ。彼は二月中句五日也、此れは正月下旬五日也。八旬何れの歳ぞ哉。釈尊滅を唱まふ。聖人も滅を唱まふ。彼も八旬也、此も八旬也。
園城寺の長吏法務大僧正公胤、法事の爲にこれを唱導する時、其の夜夢に告げて云く。
源空教益の為に 公胤能く法を説く 感即ち尽すべからず 臨終に先づ迎摂せむと。
源空本地身は大勢至菩薩なり、衆生教化の故に 此の界に度度(たびたび)来たる。と。

此故勢至来見名大師聖人。所以讚勢至言、无辺光、以智慧光普照一切故。嘆聖人称智慧第一、以碩徳之用潤七道故也。弥陀動勢至為済度之使、善導遣聖人整順縁之機。定知十方三世无央数界有情・無情、遇和尚興世、初悟五乗済入之道。三界・虚空・四禅・八定・天王・天衆、依聖人誕生、忝抜五衰退没之苦。何況末代悪世之衆生、依弥陀称名之一行悉遂往生素懐、源空聖人伝説興行故也。仍為来之弘通勧之。

此の故に勢至来見を大師聖人と名づく。このゆえに勢至を讃めて無辺光と言ふ。智慧光を以って普く一切を照らす故に、聖人を嘆じて智慧第一と称す、碩徳の用を以って七道を潤ほすが故也。
弥陀は勢至を動かして、済度の使となしたまへり、善導は聖人を遣わして、順縁の機を整のへ下へり。定めて知ぬ、十方三世無央数界有情・無情、和尚に遇(あ)ふて世に興ず。初めて五乗済入の道を悟る、三界・虚空・四禅・八定・天王・天衆、聖人の誕生に依て忝(かたじけな)く五衰退没[43]の苦を抜く、いわんや末代悪世の衆生、弥陀称名の一行に依て、悉(ことごと)く往生の素懐を遂げむ、源空聖人伝説興行の故也。よって、ここに来れることはこれを弘通し勧めんが為なり。

南无釈迦牟尼仏 南无阿弥陀如来
南无観世音菩薩 南无大勢至菩薩
南无三部一乗妙典法界衆生平等利益せむと。

(一一)

決定往生 三機行相

三機分別
浄土願生者を、「信心決定した」者と「信行を兼ねた」者、「行相だけの」者の三種に区分して、その信心決定への様相を説く。信心をまことに決定した者は、仏恩報謝の念仏をはげみ、信心決定しても、なおその信心のさしゆるぐものは、いよいよ信心を決定するための念仏をすべきを勧める。そして、信心弱くして決定を獲ない者には、ひとえに信心を獲るための念仏を勧めている。このように信を強調するのは、在家での仏教は、仏教の教理の理解や絶え間ない念仏修行を主とすべきではなく、信心の上に築き上げるべきものだと思われていたからであろう。親鸞聖人は、後にこれを発展展開なさるのである。なお、この法語は、信を強調し信後の念仏を御恩報謝とするので、一念を強調された幸西大徳かその門下の法語ともいわれるが、相手の機根に応じての対機説法を得意とする法然聖人であったから法然聖人のものと見てもよいと思ふ。なお、幸西大徳は仏智と冥会する一念の信を強調されたがいわゆる一念義ではないとされる。→JDS:三機分別


和尚の御釈によるに、決定往生の行相に、三機のすぢわかれたるべし。第一に信心決定せる、第二に信行ともにかねたる、第三にたゞ行相ばかりなるべし。
第一に信心決定せる機といふは、これにつきて又二機あり。一にはまづ精進の機といふ者、又これについて二機あり。一には弥陀の本願を縁ずるに、一声に決定しぬと、こゝろのそこより真実に、うらうら[44]と一念も疑心なくして、決定心をえてのうへに一声に不足なしとおもへども、仏恩を報ぜむとおもひて[45]、精進に念仏のせらるゝなり。また信えての上には、はげまざるに念仏はまふさるべき也。この行者の中には、信心えたりとおもふて、その上によろこぶ念仏とおもへども、いまだ信心決定せぬ人もあるべし。それおばわがこゝろに勘しられぬべき事也。たとひ信心はとづかず[46]とも、念仏ひまなきかたより往生はすべし[47]。二には上にいふがごとく、決定心をえての上に本願によて往生すべき道理おばあおいでのち、わがかたよりわが信心をさしゆるがして、かく信心をえたりとおもひしらず、われ凡夫なり、仏の知見のまへにはとづかずもあるらむと[48]、こゝろかしこくおもふて、なほ信心を決定せむがために念仏をはげむなり。決定心をえふせての上にわがこゝろをうたがふは、またく疑心とはなるべからざる也[49]。精進の二類の機、かくのごとし。これおば第二の信行ならべる行相の機としるべし。[50]
次に懈怠の機といふは、決定心をえての上によろこびて、仏恩を報ぜむがために常念仏せむとおもへども、あるいは世業衆務にもさえられ、また地体懈怠のものなるがゆへに、おほかた念仏のせられぬ也。この行者は一向信心をはげむべき也。はげむ機につきて、また精進・懈怠のものあるべし。精進といふは、常本願の縁ぜらるべき也。縁ずれば、また自然にいさぎよき念仏も申さるべし。この念仏は最上の念仏也。これをあしくこゝろえて、この念仏の最上におぼゆれば、この念仏ぞ往生おもし、また願にも乗ずらむとおもはむはわるし。そのゆへは、仏の御約束[51]、一声もわが名をとなえむものをむかえむといふ御ちかひにてあれば、最初の一念[52]こそ願には乗ずることにてあるべけれ。また常に本願の縁ぜらるれば、たのもしきこゝろもいでくべき也。その時このこゝろのよく相続のせらるればとて、それをもて往生すべしとおもふべからず。かくのごとくおもはゞ、疑惑になるべきなり。こゝろのゆがむときは、往生の不定におぼゆべきがゆへに、たゞおもふべきやうは、我かたより一分の功徳もなく、本願の御約束にそなえしところの念仏の功徳も瞋恚のほむらにやけぬれども、かの願力の不取正覚の本誓の、あやまりなきかたよりすくわれまいらせて往生はすべしと、返々もおもふべき也。 懈怠のものといふは、衆務にさまたげられもせよ、本願を縁ずる事のまれにあるべきなり。まれにはありといふとも、いさゝかも一念にとるところの信心のゆるがずして、その時は又決定心のおこるべきなり。信心決定の中の二類の機、かくのごとし。これは第一の信心決定せる機としるべし。
今上にあぐるところの四人、真実に決定心をだにもえたらば、精進にてもあれ懈怠の機にてもあれ、本願を縁ずるこゝろねは、たとへば黒雲のひま[53]より、まれにてもつねにても、いでむところの満月の光をみむがごとくなるべし。信心の得不得おば、おのおのわがこゝろにてしりぬべし。事にふれて一念にとるところの信心ゆるがずは、仮令よき信心としるべし。これもことわりばかりにて信心あり、こゝろゆるぐべからずと、まじなひつけむ事は要あるべからず。散心につけても、いさゝかにてもゆるぐこゝろあらば、信心よはしとしるべし。信心よはしとおぼえば、懈怠の機はなほ信をはげむで本願を縁ずべき也。それになほかなはずは、かまへて行相におもむきてはげむべきなり。精進の機は、一向恒所造の行相におもむきてはげむべきなり。行相は正助二行を、一向正行にてもまた助業をならべむとも、おのおの意楽にまかすべきなり。

第三に行相をはげむ機といふは、上にあぐるところの信精進懈怠の機の、我信心決定せるやうを、こゝろによくよくあむじほどく時、我信心決定せず。やゝもすれば行業のおこるにつけ、信心の間断するにつけて、往生の不定におぼゆるまではなけれども、また決定往生すべしともおぼえぬは、信心の決定せざるなりと勘えて、一向行におもむきてはげむをいふなり。この機は懈怠のいでき、念仏のものうからむ時は、おどろきて行をはげむべきなり。信心もよはく念仏もおろそかならば、往生不定のものなり。この人またあしくこゝろえて行をはげむは、この行業をもて往生すべしとおもはゞ疑惑になるべきなり。今念仏の行をはげむこゝろは、つねに念仏あざやかに申せば、念仏よりして信心のひかれていでくる也。信心いできぬれば、本願を縁ずる也。本願を縁ずれば、たのもしきこゝろのいでくる也。このこゝろいできぬれば、信心の守護せられて決定往生をとぐべしとこゝろうべし。
これにつきて、人うたがひていはく、念仏をはげみて信心を守護して往生をとぐべきならば、はげむところの念仏は自力往生とこそなるべけれ。いかゞ他力往生といふべきや。今自力といふは、聖道自力にすべからず、いさゝかあたえていえるなるべし。(こたへて)いはく、念仏を相続して、相続より往生をするは、またく自力往生にはあらず。そのゆへは、もとより三心は本願にあらず、これ自力なり。三心は自力なりといふは、本願のつなにおびかれて、信心の手をのべてとりつぐ分をさすなりとこゝろうべし。今念仏を相続して信心を守護せむとするに、三心の中の深心をはげむ行者也。相続の念仏の功徳をもちて、廻向して往生を期せば、まことに自力往生をのぞむものといはるべきなり。また念仏はすれども、常に信心もおこらず、願を縁ずる事のつねにもなければとて、往生を不定におもふべからず。そのこゝろなけれども、たゞ自力を存ぜず、すべて疑惑のこゝろなくして常に念仏すれば、我こゝろにはおぼえねども、信心のいろのしたひかりて相続するあひだ、決定往生をうるなり。しるべし、そのこゝろは、たとへば月のひかりのうすぐもにおほはれて、満月の体はまさしくみえずといゑども、月のひかりによるがゆへに、世間くらからざるがごとし。
行相の三機のやう、かくのごとし。詮ずるところ、信心よはしとおもはゞ、念仏をはげむべし。決定心えたりとおもふての上になほこゝろかしこからむ人は、よくよく念仏すべし。また信心いさぎよくえたりとおもひてのちの念仏おば、別進奉公とおもはむにつけても、別進奉公はよくすべき道理あれば、念仏をはげむべし。地体は我こゝろをよくよく按じほどいて、行にても信にても、機にしたがひてたえむにまかせてはげむべき也。かくのごとくこゝろをえてはげまば、往生は決定はづるべからざる也。

(一二)

鎌倉二品比丘への御返事

鎌倉の二位とは、源頼朝の妻である北条政子のこと。政子の、法然房は、鎌倉武士である「くまがへの入道・つのとの三郎」などは無知であるから他のすぐれた修行をさせず、ただ称名念仏を勧めたといふ風聞に対しての問い合わせに対するものであろう。

念仏はあらゆる人の為の教えであり、愚かな人だけに説いたものではないとして念仏を勧める。また、『法事讃』を引用して末法には念仏が盛んになるが、それを謗る人が出てくるといわれ、念仏を謗る人が多かった事を窺わせる内容になっている。


かまくらの二品比丘尼、聖人の御もとへ念仏の功徳をたづね申されたりけるに御返事。
御ふみくはしくうけたまはり候ぬ。念仏の功徳は仏もときつくしがたしとのたまへり。また智慧第一の舎利弗、多聞第一の阿難も、念仏の功徳はしりがたしとのたまひし広大の善根にて候へば、まして源空などは申つくすべくも候はず。源空、この朝にわたりて候仏教を随分にひらきみ候へども、浄土の教文、晨旦よりとりわたして候聖教のこゝろをだにも、一年二年などにては申つくすべくもおぼえ候はず。さりながら、おほせたまはりたることなれば、申のべ候べし。まづ念仏を信ぜざる人々の申候なる事、くまがへの入道・つのとの三郎は無智のものなればこそ余行をせさせず、念仏ばかりおば法然房はすゝめたれと申候なる事、きわめたるひがごとにて候也。そのゆへは、念仏の行は、もとより有智・無智をえらばず。弥陀のむかしのちかひたまひし大願は、あまねく一切衆生のため也。無智のためには念仏を願とし、有智のためには余行を願としたまふ事なし。十方世界の衆生のためなり、有智・無智・善人・悪人・持戒・破戒・貴賤・男女もへだてず。もとは仏の在世の衆生、もしは仏の滅後の衆生、もしは釈迦末法万年ののちに三宝みなうせてのゝちの衆生まで、たゞ念仏ばかりこそ現当の祈禱とはなり候へ。善導和尚は弥陀の化身にて、ことに一切の聖教をかゞみて専修の念仏をすゝめたまへるも、ひろく一切衆生のため也。方便時節末法にあたりたるいまの教これなり。されば無智の人の身にかぎらず、ひろく弥陀の本願をたのみて、あまねく善導の御こゝろにしたがひて、念仏の一門をすゝめ候はむに、いかに无智の人のみにかぎりて、有智の人おばへだてて往生せさせじとはし候はむや。しからずは、大願にもそむき、善導の御こゝろにもかなふべからず。しかればすなわち、この辺にまうできて往生の道をとひたづね候にも、有智・無智を論ぜず、ひとへに専修念仏をすゝめ候也。かまえてさやうに専修の念仏を申とゞめむとつかまつる人は、さきの世に念仏三昧の得道の法門をきかずして、後世にまたさだめて三悪におつべきものゝ、しかるべくしてさやうに申候也。そのゆへは、聖教にひろくみえて候。しかればすなわち、「修行することあるをみては毒心をおこし、方便してきおふて怨なす。かくのごとくの生盲闡提のともがら、頓教を毀滅ながく沈淪す。大地微塵劫を超過すとも、いまだ三途の身をはなるゝことをえず」(法事讚巻下)とときたまへり。

「見有修行起瞋毒 方便破壊競生怨
如此生盲闡提輩 毀滅頓教永沈淪
超過大地微塵劫 未可得離三途身
大衆同心皆懺悔 所有破法罪因縁」「隠/顕」
修行することあるを見ては瞋毒を起し、方便破壊して競ひて怨を生ず。かくのごとき生盲闡提の輩は、頓教を毀滅して永く沈淪す。大地微塵劫を超過すとも、いまだ三塗の身を離るることを得べからず。大衆同心にみな、あらゆる破法罪の因縁を懺悔せよ。
(法事讚巻下)[文]

この文の心は、浄土をねがひ念仏を行ずる人をみては、毒心をおこし、ひがごとをたくみめぐらして、やうやうの方便をなして専修の念仏の行をやぶり、あだおなして申とゞむるに候也。かくのごとくの人は、むまれてより仏性のまなこしひて、善のたねをうしなへる闡提人のともがらなり。この弥陀の名号をとなえて、ながき生死をはなれて常住の極楽に往生すべけれども、この教法をそしりほろぼして、この罪によりてながく三悪道にしづむとき、かくのごときの人は、大地微塵劫をすぐれども、ながく三途の身をはなれむことあるべからずといふ也。しかればすなわち、さやうにひがごと申候らむ人おば、かへりてあはれみたまふべきもの也。さほどの罪人の申によりて、専修念仏に懈怠をなし、念仏往生にうたがひをなし不審をおこさむ人は、いふかひなきことにてこそ候はめ。凡縁あさく往生の時いたらぬものは、きけども信ぜず、念仏のものをみればはらだち、声を聞ていかりをなし、悪事なれども経論にもみえぬことを申也。御こゝろえさせたまひて、いかに申とも御こゝろがはりは候べからず。あながちに信ぜざらむ人おば御すゝめ候べからず。かゝる不信の衆生をおもへば、過去の父母・兄弟・親類也とおもひ候にも、慈悲をおこして、念仏かゝで申て極楽の上品上生にまいりてさとりをひらき、生死にかへりて誹謗不信の人おもむかへむと、善根を修してはおぼしめすべき事にて候也。このよしを御こゝろえあるべきなり。
一 異解の人々の余の功徳を修するには、財宝あひ助成しておぼしめすべきやうは、我はこの一向専修にて決定して往生すべき身なり、他人のとおき道をわがちかき道に結縁せさせむとおぼしめすべき也。その上に専修をさまたげ候はねば、結番せむにもとがなし。
一 人々の堂をつくり、仏をつくり、経をかき、僧を供養せむ事は、こゝろみだれずして慈悲をおこして、かくのごときの雑善根おば修せさせたまへと御すゝめ候べし。
一 このよのいのりに、念仏のこゝろをしらずして仏神にも申し、経おもかき、堂おもつくらむと。これもさきのごとく、せめてはまた後世のためにつかまつらばこそ候はめ。その用事なしとおほせ候べからず。専修をさえぬ行にてもあらざりけりとも、おぼしめし候べし。
一 念仏申事、やうやうの義は候へども、六字をとなふるに一切をおさめて候也。心には願をたのみ、口には名号をとなえて、かずをとるばかりなり。常に心にかくるが、きわめたる決定の業にて候也。念仏の行は、もとより行住座臥・時処諸縁をえらばず、身口の不浄おもきらはぬ行にて候へば、楽行往生とは申つたえて候也。たゞしこゝろをきよくして申おば、第一の行と申候也。浄土をこゝろにかくれば、心浄の行法にて候也。さやうに御すゝめ候べし。つねに申たまひ候はむおば、とかく申べきやうも候はず。我身ながらもしかるべくて、このたび往生すべしとおぼしめして、ゆめゆめこのこゝろつよくならせたまふべし。
一 念仏の行を信ぜぬ人にあひて論じ、あらぬ行の異計の人々にむかひて執論候べからず。あながちに異解・異学の人をみては、あなづりそしること候まじ。いよいよ重罪の人になし候はむこと不便に候。同心に極楽をねがひ念仏を申人おば、卑賤の人なりとも父母の慈悲におとらずおぼしめし候べし。今生の財宝のともしからむにも、力をくわへたまふべし。さりながらも、すこしも念仏にこゝろをかけ候はむおば、すゝめたまふべし。これ弥陀如来の御みやづかへとおぼしめすべく候也。如来滅後よりこのかた、小智小行にまかりなりて候也。われもわれもと智慧ありがほに申人は、さとり候べし。せめては錄の経教おもきゝみず、いかにいはむや、錄のほかのみざる人の智慧ありがほに申は、井のそこの蛙ににたり。随分に震旦・日本の聖教をとりあつめて、このあひだ勘て候也。念仏信ぜぬ人は、前世に重罪をつくりて地獄にひさしくありて、また地獄にはやくかへるべき人なり。たとひ千仏世にいでゝ、念仏よりほかにまた往生の業ありとおしえたまふとも信ずべからず。これは釈迦・弥陀よりはじめて、恒沙の仏の証誠せしめたまへることなればとおぼしめして、御こゝろざし金剛よりもかたくして、一向専修の御変改あるべからず。もし論じ申さむ人おば、これへつかはして、たて申さむやうをきけと候べし。やうやうの証文かきしるしてまいらすべく候へども、たゞこゝろこれにすぎ候べからず。また娑婆世界の人は、よの浄土をねがはむことは、弓なくして空の鳥をとり、足なくしてたかきこずゑの華をとらむがごとし。かならず専修の念仏は現当のいのりとなり候也。これ略してかくのごとし、これも経の説にて候。御中の人々には九品の業を、人のねがひにしたがひて、はじめおはりたえぬべきほどに御すゝめ候べきなり。あなかしこ、あなかしこ。


(一三)

本願体用事(四箇条問答)

□ 名号の勝徳と本願の体用

阿弥陀如来の慈悲と名号が諸仏に優れていること、そして本願の体と用について問答形式で表されている。覚師の『執持鈔』で「されば本願や名号、名号や本願、本願や行者、行者や本願」とある語の出拠であろう。


或人云、阿弥陀仏の慈悲・名号余仏に勝、幷本願の体用の事。

「設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚。」「隠/顕」
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。
(大経巻上){云云}。「十方衆生」と云は、諸仏教化にもれたる常没の衆生也。この衆生をあわれみおぼしめすかたに、諸仏の御慈悲も阿弥陀仏の御慈悲におなじかるべし。これは総願[54]

に約す。別願[55]に約する時は、阿弥陀仏の御慈悲は余仏の慈悲にすぐれたまへり。そのゆへは、この常没の衆生を十声・一声の称名の功力を以、无漏の報土へ生ぜしめむと云御願によて也。阿弥陀仏の名号の余仏の名号にすぐれたまへると云も、因位の本願にたてたまへる名号なるがゆへに勝たまへり[56]。しからずは、報土の生因となるべからず、余仏の名号に同ずべし。
(そもそも)阿弥陀仏の本願と云はいかなる事ぞと云に、本願と云は総別の願に通ずといゑども、言総意別[57]にて、別願をもて本願とはなづくる也。本願と云ことは、もとのねがひと訓ずる也。もとのねがひと云は、法蔵菩薩の昔、常没の衆生を、一声の称名のちからをもて称してむ衆生を我国に生ぜしめむと云こと也。かるがゆへに本願といふなり。
問。本願について体用[58]あるべし、その差別いかんぞ。答。本願と云は、因位に、われ仏になりたらむときの名をとなへむ衆生を、極楽に生ぜしめむとねがひたまへるゆへに、法蔵菩薩の御こゝろをもて本願の体とし、名号をもては本願の用とす。これは十劫正覚のさき、兆載永劫の修行をはじめ、願をおこしたまへる時の法蔵菩薩に約して体用を論ずる也。今は法蔵菩薩は因位の願成就して、果位の阿弥陀仏となりたまへるがゆへに、法蔵菩薩おはしまさゞれば、法蔵菩薩に約して本願の体用を論ずべきにあらず。たゞしあたえて云へば、本願の体用あるべし。体と云について、二のこゝろあるべし。一には行者をもて本願の体とし、二には名号をもて本願の体とす。まづ行者をもて本願の体とすと云は、法蔵菩薩の本願に、成仏したらむ時の名[59]、一声も称してむ衆生を極楽に生ぜしめむと願じたまへるがゆへに、今信じて一声も称してむ衆生はかならず往生すべし。この能称の行者の往生するところをさして、行者をもて本願の体とすとはこゝろうべきなり。
問。我仏に成たらむ時の名を称せむものを生ぜしめむと本願には立たまへるがゆへに、名号を称する者をやがて本願の体ともこゝろうべしや。答。これについて与奪の義あるべし。与て云へば、行者の正蓮台にうつりて往生するところをもて本願の体とし、奪云へば、往生すべき行者なるがゆへに、当体能称の者をさして本願の体とすべし。行者について本願の体と云時は、別に用の義なし。蓮台に託して、往生已後の増進仏道をもて用とす。これは極楽にての事なり。次に名号をもて本願の体とすと云は、これも成仏の時の名を称せむ衆生を生ぜしめむと願じたまへるがゆへに、信じて名を唱てむ衆生はかならず生ずべければ、名号をもて本願の体と云也。名号を唱つる衆生の往生するは、名号の用也。今名号をもて本願の体とすと云は、法蔵菩薩の御こゝろのそこをもて本願の体とすといひつる時は、用といはれつる名号也。しかるを、今はまさしく名号をもては本願の体と云也。
体用の義は事によりてかはるなり。喩ともしびのひかりをもてこゝろうべし。ともしびのあかくもえあがりたるは火の体なり。灯によりて闇はれて、明なるところの光は火の用なり。この光の明なるをもて体とする時は、その明の中に黒白等の一切の色形のみゆるは明の用なり。かくのごとく用をもて体とも云事、常の事なり、しるべし。行者の往生するをもて本願の体と云ことは、実には名号を称せずして往生すべき道理なし、名号によて往生すべし。しかりといゑども、かくのごときの事は、約束によりて云時は、行者の往生をもて本願の体ともいはるべし。名号を本願の体と云時は、称する行者の往生するは名号の用なり。しかれば行者は、あるいは本願の体、あるいは名号の用にも決定すべきなり。この道理によて、本願の体に約してこゝろうれば、本願や行者、行者や本願、本願や名号、名号や本願と[60]、たゞ一に混乱するなり。用に約してこゝろえつれば、名号や行者、行者や名号といはるべし。詮ずるところは、体なくは用あるべからず、用は体によるがゆへに。本願と行者、たゞ一ものにて、一としてはなれざるなり。
問。法蔵菩薩の本願の約束は、十声・一声なり。一称のゝちは、法蔵菩薩の因位の本誓に心をかけて、名号おば称すべからざるにや。
答。無沙汰なる人はかくのごとくおもひて、因位の願を縁じて念仏[61]おも申せば、これをしえたるこゝちして、願を縁ぜざる時の念仏おば、ものならずおもふて念仏に善悪をあらする[62]なり。これは無按内のことなり。法蔵菩薩の五劫の思惟は、衆生の意念を本とせば、識揚神飛のゆへ、かなふべからずとおぼしめして、名号を本願と立たまへり。この名号は、いかなる乱想の中にも称すべし。称すれば、法蔵菩薩の昔の願に心をかけむとせざれども、自然にこれこそ本願よとおぼゆべきは、この名号なり。しかれば、別に因位の本願を縁ぜむとおもふべきにあらず。

問。本願と本誓と、その差別いかんぞ。答。我成仏の時の名を称せむ衆生を生ぜしめむと云は、本願也。もしむまるまじくは仏にならじと云は、本誓也。総じて四十八願は法蔵菩薩のむかしの本願也。この願にこたへたまへる仏果円満の今は、第十九の来迎の願にかぎりて化度衆生の御方便はおはしますべきなりと云なり。阿弥陀仏の名号は余仏の名号に勝たまへり、本願なるがゆへなり。本願に立たまはずは、名号を称すとも无明を破せざれば、報土の生因となるべからず、諸仏の名号におなじかるべし。しかるを阿弥陀仏は「乃至十念、若不生者、不取正覚」(大経巻上)とちかひて、この願成就せしめむがために兆載永劫の修行をおくりて、今已成仏したまへり。この大願業力のそひたるがゆへに諸仏の名号にもすぐれ、となふればかの願力によりて決定往生おもするなり。かるがゆへに如来の本誓をきくに、うたがひなく往生すべき道理に住して、南无阿弥陀仏と唱てむ上には、決定往生とおもひをなすべきなり。たとへば、たきもの[63]ゝにほひの薫ぜる衣を身にきつれば、みなもとはたきものゝにほひにてこそありと云とも、衣のにほひ身に薫ずるがゆへに、その人のかうばしかりつると云がごとく、本願薫力のたきものゝ匂は、名号の衣に薫じ、またこの名号の衣を一度南无阿弥陀仏とひきゝてむものは、名号の衣の匂身に薫ずるがゆへに、決定往生すべき人なり。大願業力の匂と云は、往生の匂なり。大願業力の往生の匂、名号の衣よりつたわりて行者の身に薫ずと云道理によりて、『観経』には「若念仏者、当知、此人是人中分陀利華」「隠/顕」
もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり。
と説なり。念仏の行者を蓮華に喩ことは、蓮華は不染の義、本願の清浄の名号を称すれば、十悪・五逆の濁にもそまらざるかたを喩たるなり。また「観世音菩薩・大勢至菩薩、為其勝友」(観経)と云へり。文のこゝろは、これも往生の匂身に薫ぜる行者は、かならず往生すべし。これによて善導和尚も、三心具足の者おば極楽の聖衆に接したまへり。極楽の聖衆と云は、因中説果[64]の義なり。聖衆となる道理あれば、当時よりして二菩薩も肩をならべ、膝をまじえて勝友となりたまふといふこゝろなり。命終の已後は、往生して仏果菩提を証得すべきによて、「当座道場生諸仏家」「隠/顕」
まさに道場に坐し諸仏の家に生ずべし。
(観経)とときたまへり。かるがゆへに、一念に无上の信心をえてむ人は、往生の匂の薫ぜる名号の衣をいくえともなくかさねきむとおもふて、歓喜のこゝろに住して、いよいよ念仏すべしと云へり。

西方指南抄中

康元元年{丙辰}十月十四日
愚禿親鸞{八十四歳}書写之


西方指南抄下[本]

(一四)

上野大胡太郎実秀の妻への御返事

鎌倉の御家人、大胡太郎実秀の妻にあてた返書。阿弥陀仏の本願による平等の救いを説く法然浄土教は、特に仏教教義の外にあった者に焦点をあてた本願の法義であった。鎌倉時代は武者の世といわれるように男性社会だと思われがちなのだが、経済の基本である男女平等の遺産相続がなされ、『恵信尼消息』によれば、御開山の奥方である恵信尼公も越後に相続した所領を持っていた。また「尼将軍」と呼ばれた北条政子は「承久の乱」で、後鳥羽上皇と対立することを恐れた御家人(鎌倉幕府と主従関係にある者)に対して、御家人に対して、我々の自立した経済基盤を確立した、故右大将(頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い、と政子が演説したことにより、幕府軍は「君側の奸」を討つとして近隣の武士を巻き込み、ついに京(みやこ)を占領し、首謀者である後鳥羽上皇を、隠岐島へ流罪としたのであった。俗諺に、歴史の裏に女(をんな)ありと、いふのだが、自立した女性と認めての法然聖人の言葉はありがたいと思ふ。


御ふみこまかにうけたまはり候ぬ。はるかなるほどに、念仏の事きこしめさむがために、わざとつかひをあげさせたまひて候、御念仏の御こゝろざしのほど、返々もあはれに候。

さてはたづねおほせられて候念仏の事は、往生極楽のためには、いづれの行といふとも、念仏にすぎたる事は候はぬ也。そのゆへは、念仏はこれ弥陀の本願の行なるがゆへなり。本願といふは、あみだ仏のいまだほとけにならせたまはざりしむかし、法蔵菩薩と申しいにしへ、仏の国土をきよめ、衆生を成就せむがために、世自在王如来と申仏の御まへにして、四十八の大願をおこしたまひしその中に、一切衆生の往生のために、一の願をおこしたまへり。これを念仏往生の本願と申也。すなわち『无量寿経』の上巻にいはく、「設我得仏、十方衆生、至心信楽欲生我国、乃至十念。若不生者、不取正覚」「隠/顕」
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。
と[云云]。善導和尚この願を釈して云、「若我成仏、十方衆生、称我名号下至十声、若不生者不取正覚。彼仏今現在成仏。当知、本誓重願不虚、衆生称念必得往生。」「隠/顕」
もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。
(礼讚){已上}念仏といふは、仏の法身憶念するにもあらず、仏の相好を観念するにもあらず、たゞこゝろをひとつにして、もはら阿弥陀仏の名号を称念する、これを念仏とは申也。かるがゆへに「称我名号」といふなり。念仏のほかの一切の行は、これ弥陀の本願にあらざるがゆへに、たとひめでたき行なりといふとも、念仏にはおよばず。おほかたそのくににむまれむとおもはむものは、その仏のちかひにしたがふべきなり。されば弥陀の浄土にむまれむとおもはむものは、弥陀の誓願にしたがふべきなり。本願の念仏と、本願にあらざる余行と、さらにたくらぶべからず。かるがゆへに往生極楽のためには、念仏の行にすぎたるは候はずと申なり。往生にあらざるみちには、余行またつかさどるかたあり。しかるに衆生の生死をはなるゝみち、仏のおしえやうやうにおほく候へども、このごろ人の生死をはなれ三界をいづるみちは、たゞ極楽に往生し候ばかりなり。このむね聖教のおほきなることわりなり。
つぎに極楽に往生するに、その行やうやうにおほく候へども、われらが往生せむこと、念仏にあらずはかなひがたく候なり。そのゆへは、仏の本願なるがゆへに、願力にすがりて往生することはやすし。さればせむずるところは、極楽にあらずは生死をはなるべからず、念仏にあらずは極楽へむまるべからざるものなり。ふかくこのむねを信ぜさせたまひて、ひとすぢに極楽をねがひ、ひとすぢに念仏をして、このたびかならず生死をはなれむとおぼすべきなり。また一一の願のおはりに、「もししからずは正覚をとらじ」とちかひたまへり。しかるに阿弥陀仏、ほとけになりたまひてよりこのかた、すでに十劫をへたまへり。まさにしるべし、誓願むなしからず。しかれば、衆生の称念するもの、一人もむなしからず往生する事をう。もししからずは、たれか仏になりたまへることを信ずべき。三宝滅尽の時なりといゑども、一念すればなほ往生す。五逆深重の人なりといゑども、十念すれば往生す。いかにいはむや、三宝の世にむまれて五逆をつくらざるわれら、弥陀の名号をとなえむに、往生うたがふべからず。いまこの願にあえることは、まことにこれおぼろげの縁にあらず。よくよくよろこびおぼしめすべし。たとひまたあふといゑども、もし信ぜざればあはざるがごとし。いまふかくこの願を信ぜさせたまへり、往生うたがひおぼしめすべからず。かならずかならずふたごゝろなく、よくよく御念仏候て、このたび生死をはなれ極楽にむまれさせたまふべし。また『観无量寿経』に云く、「一一光明徧照十方世界、念仏衆生摂取不捨」「隠/顕」
一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。
と。{已上}これは光明たゞ念仏の衆生をてらして、よの一切の行おばてらさずといふなり。たゞし、よの行をしても極楽をねがはゞ、仏のひかりてらして摂取したまふべし。いかゞたゞ念仏のものばかりをえらびて、てらしたまへるや[65]。善導和尚釈してのたまはく、「弥陀身色如金山。相好光明照十方。唯有念仏蒙光摂。当知、本願最為強。」「隠/顕」
弥陀の身色金山のごとし。相好の光明十方を照らす。ただ念仏するもののみありて光摂を蒙る。まさに知るべし、本願もつとも強しとなす。
(礼讚){已上}念仏はこれ弥陀の本願の行なるがゆへに、成仏の光明つよく本地の誓願をてらしたまふなり。余行これ本願にあらざるがゆへに、弥陀の光明きらいててらしたまはざるなり。いま極楽をもとめむ人は、本願の念仏を行じて、摂取のひかりにてらされむとおぼしめすべし。これにつけても念仏大切に候、よくよく申させたまふべし。また釈迦如来、この『経』の中に定散のもろもろの行をときおはりてのちに、まさしく阿難に付属したまふときには、かみにとくところの散善の三福業、定善の十三観おば付属せずして、たゞ念仏の一行を付属したまへり。『経』(観経)に云く、「仏告阿難、汝好持是語。持是語者、即是持无量寿仏名。」{已上}善導和尚この文を釈してのたまはく、「従仏告阿難汝好持是語已下、正明付属弥陀名号、流通於遐代。上来雖説定散両門之益、望仏本願、意在衆生一向専称弥陀仏名。」(散善義){已上}この定散のもろもろの行は、弥陀の本願にあらず。かるがゆへに釈迦如来、往生の行を付嘱したまふに、余の定善・散善おば付嘱せずして、念仏はこれ弥陀の本願なるがゆへに、まさしくえらびて本願の行を付属したまへるなり。いま釈迦のおしえにしたがひて往生をもとむるもの、付属の念仏を修して、釈迦の御こゝろにかなふべし。これにつけてもまたよくよく御念仏候て、仏の付属にかなはせたまふべし。また六方恒沙の諸仏、御したをのべて、三千世界におほいて、もはらたゞ弥陀の名号をとなへて往生すといふは、これ真実也と証誠したまふなり。これまた念仏は弥陀の本願なるがゆへに、六方恒沙の諸仏、これを証誠したまふ。余の行は本願にあらざるがゆへに、六方恒沙の諸仏証誠したまはず。これにつけてもよくよく御念仏候べし。弥陀の本願、釈迦の付属、六方の諸仏の証誠護念を、ふかくかうぶらせたまふべし。弥陀の本願、釈尊の付属、六方の諸仏の護念、一一にむなしからず。このゆへに、念仏の行は諸行にすぐれたるなり。また善導和尚は弥陀の化身なり。浄土の祖師おほしといへども、たゞひとへに善導による。往生の行おほしといゑども、おほきにわかちて二としたまへり。一には専修、いはゆる念仏なり。二には雑修なり、いはゆる一切のもろもろの行なり。上にいふところの定散等これなり。『往生礼讚』云、「若能如上念念相続、畢命為期者、十即十生、百即百生」と云り。専修と雑行との得失なり。得といふは、往生する事をうるといふ。いはく念仏するものは、すなわち十は十人ながら往生し、百はすなわち百人ながら往生すといふ、これなり。失といふは、いはく往生の益をうしなえるなり。雑修のものは、百人が中にまれに一二人往生する事をえてそのほかは生ぜず、千人が中にまれに三五人むまれてその余はむまれず。専修のものはみなむまるゝことをうるは、なにのゆへぞと。阿弥陀仏の本願に相応せるがゆへなり、釈迦如来のおしえに随順せるがゆへなり。雑業のものはむまるゝことのすくなきは、なむのゆへぞと。弥陀の本願にたがへるがゆへなり。念仏して浄土をもとむるものは、二尊の御こゝろにふかくかなへり。雑修をして浄土をもとむるものは、二仏の御こゝろにそむけり。善導和尚、二行の得失を判ぜること、これのみにあらず。『観経の疏』と申すふみの中に、おほく得失をあげたり。しげきがゆへにいださず。これをもてしるべし。

おほよそこの念仏は、そしれるものは地獄におちて五劫苦をうくることきわまりなし、信ずるものは浄土にむまれて永劫たのしみをうくることきわまりなし。なほなほいよいよ信心をふかくして、ふたごゝろなく念仏せさせたまふべし。くはしき事、御ふみにつくしがたく候。この御つかひ申候べし。

(一五)

上野大胡太郎実秀への御返事

上野のくにの住人おほごの太郎と申もの、京へまかりのぼりたるついでに、法然聖人にあひたてまつりて、念仏のしさいとひたてまつりて、本国へくだりて念仏をつとむるに、ある人申ていはく、いかなる罪をつくれども、念仏を申せば往生す、一向専修なるべしといふとも、ときどきは『法華経』おもよみたてまつり、また念仏申さむもなにかはくるしからむと申ければ、まことにさるかたもありとて、法然聖人の御もとへ、消息にてこのよしをいかゞと申たりける御返事、かくのごとし。件の太郎は、このすゝめによりて、めおとこ、ともに往生してけり。

聖人の御返事。
さきの便にさしあふ事候て、御ふみをだにみとき[66]候ざりしかば、御返事こまかに申さず、さだめておぼつかなくおぼしめし候覧と、おそれおもふたまへ候。さてはたづねおほせられて候ことゞもは、御ふみなどにて、たやすく申ひらくべきことにても候はず。あはれまことに京にひさしく御とうりう候し時、よし水の坊にて、こまかに御さたありせばよく候なまし。おほかたは念仏して往生すと申ことばかりおば、わづかにうけたまはりて、わがこゝろひとつにふかく信じたるばかりにてこそ候へども、人までつばひらかに申きかせなどするほどの身にては候はねば、ましていりたちたることゞも、不審など、御ふみに申ひらくべしともおぼえ候はねども、わづかにうけたまはりおよびて候はむほどの事を、はゞかりまいらせて、すべてともかくも御返事を申さざらむことのくちおしく候へば、こゝろのおよび候はむほどのことは、かたのごとく申さむとおもひ候也。
まづ三心具足して往生すと申事は、まことにその名目ばかりをうちきくおりは、いかなるこゝろを申やらむと、ことごとしくおぼえ候ぬべけれども、善導の御こゝろにては、こゝろえやすきことにて候なり。もしならひさたせざらむ無智の人、さとりなからむ女人などは、え具せぬほどのこゝろばえにては候はぬなり。まめやかに往生せむとおもひて念仏申さむ人は、自然に具足しぬべきこゝろにて候ものを。そのゆへは、三心と申は、『観无量寿経』にとかれて候やうは、「もし衆生あて、かのくにゝむまれむとねがはむものは、三種の心をおこしてすなはち往生すべし。なにおか三とする。一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心なり。三心を具せるもの、かならずかのくににむまる」ととかれたり。しかるに善導和尚の御こゝろによらば、はじめの至誠心といふは真実心なり。真実といふは、うちにはむなしくして、外にはかざるこゝろなきを申也。すなわち、『観无量寿経』を釈してのたまはく、「外に賢善精進の相を現じて、内には虚仮をいだく事なかれ」(散善義)と。この釈のこゝろは、内にはおろかにして、外にはかしこき人とおもはれむとふるまひ、内には悪をつくりて、外には善人のよしをしめし、内には懈怠にして、外には精進の相を現ずるを、実ならぬこゝろとは申也。内にも外にもたゞあるまゝにてかざるこゝろなきを、至誠心とはなづけたるにこそ候めれ。二には深心とは、すなわちふかく信ずるこゝろなり。なに事をふかく信ずるぞといふに、もろもろの煩悩を具足して、おほくのつみをつくりて、余の善根なからむ凡夫、阿弥陀仏の大悲の願をあふぎて、そのほとけの名号をとなえて、もしは百年にても、もしは四、五十年にても、もしは十、廿年乃至一、二年、すべておもひはじめたらむより臨終の時にいたるまで退せざらむ。もしは七日・一日、十声・一声にても、おほくもすくなくも、称名念仏の人は決定して往生すと信じて、乃至一念もうたがふ事なきを、深心と也。しかるにもろもろの往生をねがふ人も、本願の名号おばたもちながら、なほ内に妄念のおこるにもおそれ、外に余善のすくなきによりて、ひとへにわがみをかろめて往生を不定におもふは、すでに仏の本願をうたがふなり。されば善導は、はるかに未来の行者のこのうたがひをのこさむ事をかゞみて、うたがひをのぞきて決定心をすゝめむがために、煩悩を具してつみをつくりて、善根すくなくさとりなからむ凡夫、一声までの念仏、決定して往生すべきことわりを、こまかに釈してのたまへるなり。「たとひおほくの仏、そらの中にみちみちて、ひかりをはなち御したをのべて、つみをつくれる凡夫、念仏して往生すといふ事はひがごとなり、信ずべからずとのたまふとも、それによりて一念もおどろきうたがふこゝろあるべからず。そのゆへは、阿弥陀仏いまだ仏になりたまはざりしむかし、もしわれ仏になりたらむに、わが名号をとなふる事、十声・一声までせむもの、わがくににむまれずは、われ仏にならじとちかひたまひたりしその願むなしからずして、すでに仏になりたまへり。しるべし、その名号をとなえむ人は、かならず往生すべしといふことを。また釈迦仏、この娑婆世界にいでゝ、一切衆生のために、かの阿弥陀仏の本願をとき、念仏往生をすゝめたまへり。また六方の諸仏は、その説を証誠したまへり。このほかにいづれの仏の、またこれらの諸仏にたがひて、凡夫往生せずとはのたまふべきぞといふことわりをもて、仏現じてのたまふとも、それにおどろきて信心をやぶりうたがひをいたす事あるべからず。いはむや、仏たちのゝたまはむおや。いはむおや、辟支仏等おや」と、こまごまと釈したまひて候也。いかにいはむや、このごろの凡夫のいひさまたげむおや。いかにめでたき人と申とも、善導和尚にまさりて往生のみちをしりたらむ事もかたく候。善導またたゞの凡夫にあらず、すなわち阿弥陀仏の化身なり。かの仏わが本願をひろめて、ひろく衆生に往生せさせむれうに、かりに人とむまれて善導とは申なり。そのおしえ申せば仏説にてこそ候へ。いかにいはむや、垂迹のかたにても現身に三昧をえて、まのあたり浄土の荘厳おもみ、仏にむかひたてまつりて、たゞちに仏のおしへをうけたまはりてのたまへることばどもなり。本地をおもふにも垂迹をたづぬるにも、かたがたあふぎて信ずべきおしえなり。しかれば、たれだれも煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、たゞくちにて南无阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし。決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。詮ずるところは、たゞとにもかくにも、念仏して往生すといふ事をうたがはぬを、深心とはなづけて候なり。三には廻向発願心と申は、これ別のこゝろにては候はず、わが所修の行を、一向に廻向して往生をねがふこゝろなり。「かくのごとく三心を具足してかならず往生す。このこゝろひとへにかけぬれば往生せず」(礼讚意)と、善導は釈したまへるなり。たとひまことのこゝろありて、うへをかざらずとも、仏の本願をうたがはゞ、深心かけたるこゝろなり。たとひうたがふこゝろなくとも、うへをかざりて、うちにまことにおもふこゝろなくは、至誠心かけたるこゝろなるべし。たとひまたこのふたつのこゝろを具して、かざりごゝろもなく、うたがふこゝろもなくとも、極楽に往生せむとねがふこゝろなくは、廻向発願心すくなかるべし。また三心とわかつおりは、かくのごとく別別になるやうなれども、詮ずるところは、真実のこゝろをおこして、ふかく本願を信じて往生をねがはむこゝろを、三心具足のこゝろとは申べき也。まことにこれほどのこゝろをだにも具せずしては、いかゞ往生ほどの大事おばとげ候べき。このこゝろを申せば、またやすきことにて候ぞかし。これをかやうにこゝろえしらねばとて、三心具せぬにては候はぬなり。そのなをだにもしらぬものも、このこゝろおばそなえつべく、またよくよくしりたらむ人の中にも、そのまゝに具せぬも候ぬべきこゝろにて候なり。さればこそいふかひなき人のなかよりも、たゞひとへに念仏申ばかりにては往生したりといふことは、むかしより申つたえたることにて候へ。それはみなしらねども、三心を具したる人にてありけりと、こゝろうる事にて候なり。
またとしごろ念仏申たる人の、臨終わるきことの候は、さきに申つるやうに、うへばかりをかざりて、たうとき念仏者など人にいはれむとのみおもひて、したにはふかく本願おも信ぜず、まめやかに往生おもねがわぬ人にてこそは候らめとこそは、こゝろえられ候へ。さればこの三心を具せぬゆへに、臨終もわるく、往生もえせぬとは申候也。かく申候へば、さては往生は大事にこそあむなれと、おぼしめす事ゆめゆめ候まじ。一定往生すべきぞとおもひとらぬこゝろを、やがて深心かけて往生せぬこゝろとは申候へば、いよいよ一定とこそおぼしめすべき事にて候へ。まめやかに往生のこゝろざしありて、弥陀の本願うたがはずして、念仏申さむ人は、臨終わるきことはおほかた候まじきなり。そのゆへは、仏の来迎したまふ事は、もとより行者の臨終正念のためにて候なり。それをこゝろえぬ人は、みなわが臨終正念にて念仏申たらむおりに、仏はむかへたまふべきとのみこゝろえて候ば、仏の願おも信ぜず、経の文おもこゝろえぬにて候なり。『称讚浄土経』には、「慈悲をもてくわえたすけて、こゝろをしてみだらしめたまはず」ととかれて候也。たゞの時によくよく申おきたる念仏によりて、臨終にかならず仏来迎したまふ。仏のきたり現じたまへるをみたてまつりて、正念には住すと申しつたえて候なり。しかるにさきの念仏おば、むなしくおもひなして、よしなき臨終正念おのみいのる人などの候は、ゆゝしきひがゐむにいりたることにて候なり。されば仏の願を信ぜむ人は、かねて臨終うたがふこゝろあるべからずとこそはおぼえ候へ。たゞたうじより申さむ念仏おぞ、いよいよもこゝろをいたして申候べき。いつかは仏の願にも、臨終の時念仏申たらむ人おのみむかへむとはたてたまひて候。臨終の念仏にて往生をすと申ことは、往生おもねがはず、念仏おも申さずして、ひとへにつみをのみつくりたる悪人の、すでにしなむとする時に、はじめて善知識のすゝめにあひて、念仏して往生すとこそ、『観経』にもとかれて候へ。もとよりの行者、臨終のさたはあながちにすべきやうも候はぬなり。仏の来迎一定ならば、臨終正念はまた一定とおぼしめすべきなり。この御こゝろをえて、よくよく御こゝろをとゞめて、こゝろえさせたまふべきことにて候なり。
またつみをつくりたる人だにも念仏して往生す、まして『法華経』などよみて、また念仏申さむは、などかはあしかるべきと人々の申候らむことは、京へむにもさやうに申候人々おほく候へば、まことにさぞ候らむ。これは余の宗のこゝろにてこそは候はめ。よしあしをさだめ申候べきことに候はず、ひがごとゝ申候はゞ、おそれあるかたもおほく候。たゞし浄土宗のこゝろ、善導の御釈には、往生の行をおほきにわかちて二とす。一には正行、二には雑行也。はじめの正行といふは、それにまたあまたの行あり。はじめに読誦の正行、これは『大无量寿経』・『観无量寿経』・『阿弥陀経』等の「三部経」をよむなり。つぎに観察正行、これは極楽の依正二報のありさまを観ずるなり。つぎに礼拝正行、これも阿弥陀仏を礼拝するなり。つぎに称名正行、これは南无阿弥陀仏ととなふるなり。つぎに讚嘆供養正行、これは阿弥陀仏を讚嘆供養したてまつるなり。これをさして五種の正行となづく。讚嘆と供養とを二にわかつには、六種の正行とも申なり。また「この正行につきてふさねて二種とす。一には一心にもはら弥陀の名号をとなえて、たちゐ・おきふし、よるひる、わするゝことなく、念念にすてざるを、正定の業となづく、かの仏の願によるがゆへに」(散善義意)と申て、念仏をもてまさしきさだめたる往生の業にたてて、「もし礼誦等によるおばなづけて助業とす」(散善義)と申て、念仏のほかの礼拝や読誦や観察や讚嘆供養などおば、かの念仏者をたすくる業と申候なり。さてこの正定の業と助業とをのぞきて、そのほかの諸行おば、布施・持戒・忍辱・精進等の六度万行も、『法華経』おもよみ、真言おもおこなひ、かくのごとくの諸行おば、みなことごとく雑行となづく。さきの正行を修するおば、専修の行者といふ。のちの雑行を修するを、雑修の行者と申也。この二行の得失を判ずるに、「さきの正行を修するには、こゝろつねにかのくにに親近して憶念ひまなし。のちの雑行を行ずるには、こゝろつねに間断す、廻向してむまるゝことをうべしといゑども、疎雑の行となづく」(散善義意)といひて、極楽にはうとき行とたてたり。また「専修のものは、十人は十人ながらむまれ、百人は百人ながらむまる。なにをもてのゆへに。外の雑縁なし、正念をうるがゆへに、弥陀の本願と相応するがゆへに、釈迦のおしえにしたがふがゆへに、恒沙の諸仏のみことにしたがふがゆへに。雑修のものは、百人に一二人、千人に四五人むまる。なにをもてのゆへに。雑縁乱動す、正念をうしなふがゆへに、弥陀の本願に相応せざるがゆへに、釈迦のおしへにしたがはざるがゆへに、諸仏のみことにしたがはざるがゆへに、繫念相続せざるがゆへに、憶想間断するがゆへに、名利と相応するがゆへに、自障障他するがゆへに、このみて雑縁にちかづきて往生の正行をさふるがゆへに」(礼讚意)と釈せられて候めれば、善導和尚をふかく信じて、浄土宗にいらむ人は、一向に正行を修すべしと申事にてこそ候へ。そのうへに善導のおしえをそむきて、よの行を修せむとおもはむ人は、おのおのならひたるやうどもこそ候らめ。それをよしあしとはいかゞ申候べき。善導の御こゝろにて、すゝめたまへる行どもをおきながら、すゝめたまはざる行をすこしにてもくはふべきやうなしと申ことにて候なり。すゝめたまひつる正行ばかりをだにもなほものうきみに、いまだすゝめたまはぬ雑行をくはへむ事は、まことしからぬかたも候ぞかし。
またつみをつくりたる人だにも往生すれば、まして善なれば、なにかくるしからむと申候らむこそ、むげにけきたなくおぼえ候へ。往生おもたすけ候はゞこそは、いみじくも候はめ。さまたげになりならぬばかりを、いみじき事にてくはえおこなはむこと、なにかせむにて候べき。悪をば、されば仏の御こゝろに、このつみつくれとやはすゝめさせたまふ。かまえてとゞめよとこそはいましめたまへども、凡夫のならひ、当時のまどひにひかれて、悪をつくるちからおよばぬ事にてこそ候へ。まことに悪をつくる人のやうに、しかるべくて経をよみたく、余の行おもくはへたからむは、ちからおよばず候。たゞし『法華経』などよまむことを、一言も悪をつくらむことにいひくらべて、それもくるしからねば、ましてこれもなど申候はむこそ、不便のことにて候へ。ふかきみのりもあしくこゝろうる人にあひぬれば、かへりてものならずきこえ候こそ、あさましく候へ。これをかやうに申候おば、余行の人々はらたつことにて候に、御こゝろひとつにこゝろえて、ひろくちらさせたまふまじく候。あらぬさとりの人々のともかくも申候はむ事おば、きゝいれさせたまはで、たゞひとすぢに善導の御すゝめにしたがひて、いますこしも一定往生する念仏のかずを申あはむとおぼしめすべく候。たとひ往生のさわりとこそならずとも、不定往生とはきこえて候めれば、一定往生の行を修すべし。いとまをいれて、不定往生の業をくわえむ事は、損にて候はずや。よくよくこゝろうべきことにて候なり。たゞし、かく申候へば、難行をくわえむ人、ながく往生すまじと申にては候はず。いかさまにも余の行人なりとも、すべて人をくだし人をそしる事は、ゆゝしきとがおもきことにて候なり。よくよく御つゝしみ候て、雑行の人なればとて、あなづる御こゝろ候まじ。よかれあしかれ、人のうえの善悪をおもひいれぬがよきことにて候也。またもとよりこゝろざしこの門にありて、すゝむべからむ人おば、こしらへ、すゝめたまふべく候。さとりたがひ、あらぬさまならむ人などに論じあふ事は、ゆめゆめあるまじき事にて候なり。よくよくならひしりたまひたるひじりだにも、さやうの事おばつゝしみておはしましあひて候ぞ。ましてとのばらなどの御身にては、一定ひが事にて候はむずるに候。たゞ御身ひとつに、まづよくよく往生をもねがひ、念仏おもはげませたまひて、くらゐたかく往生して、いそぎかへりきたりて、人おもみちびかむとおぼしめすべく候。かやうにこまかにかきつづけて申候へども、返々はゞかりおもひて候なり。あなかしこ、あなかしこ。
御ひろうあるまじく候。御らむじこゝろえさせたまひてのちには、とくとくひきやらせたまふべく候。あなかしこ、あなかしこ。
三月十四日 源空

(一六)

正如房へ御消息

この手紙の相手の正如房とは、後白河天皇の第三皇女である式子内親王の出家名が承如法であることから、式子内親王であろうとも言われている。「玉の緒よ絶えなば絶えね 長らへば忍ぶることの弱りもぞする」の句で、有名な式子内親王である。臨終の善知識になって欲しいと願う正如房に、別時念仏中であること、会えばかえって執着心が生じて往生の妨げになるかもしれないとして要請を断る。そして「おなじ仏のくににまいりあひて、はちすのうえにてこのよのいぶせさおもはるけ、ともに過去の因縁おもかたり、たがひに未来の化道おもたすけむことこそ、返々も詮にて候べきと、はじめより申おき候しが」と、また会える世界のあることを懇切に語っておられる。法然聖人の情愛がこもった、熱い息づかいが立ち上るような手紙である。 現代語は『hwiki:正如房へつかわす御文』にある。


しやう如ばうの御事こそ、返々あさましく候へ。そのゝちは、こゝろならずうときやうになりまいらせ候て、念仏の御信もいかゞと、ゆかしくはおもひまいらせ候つれども、さしたる事候はず。また申べきたよりも候はぬやうにて、おもひながら、なにとなくて、むなしくまかりすぎ候つるに、たゞれいならぬ御事大事になどばかりうけたまはり候はむ。いま一どはみまいらせたく、おはりまでの御念仏の事も、おぼつかなくこそおもひまいらせ候べきに、まして御こゝろにかけて、つねに御たづね候らむこそ、まことにあはれにもこゝろぐるしくも、おもひまいらせ候へ。さうなくうけたまはり候まゝに、まいり候てみまいらせたく候へども、おもひきりてしばしいでありき候はで、念仏申候ばやとおもひはじめたる事の候を、やうにこそよる事にて候へ。これおば退してもまいるべきにて候にまたおもひ候へば、せむじては、このよの見参はとてもかくても候なむ。かばねをしよするまどひにもなり候ぬべし。たれとてもとまりはつべきみちも候はず、われも人もたゞおくれさきだつかはりめばかりにてこそ候へ。そのたえまをおもひ候も、またいつまでかとさだめなきうえに、たとひひさしと申とも、ゆめまぼろしいくほどかは候べきなれば、たゞかまへておなじ仏のくににまいりあひて、はちすのうえにてこのよのいぶせさおもはるけ、ともに過去の因縁おもかたり、たがひに未来の化道おもたすけむことこそ、返々も詮にて候べきと、はじめより申おき候しが、返々も本願をとりつめまいらせて、一念もうたがふ御こゝろなく、一こゑも南无阿弥陀仏と申せば、わがみはたとひいかにつみふかくとも、仏の願力によりて一定往生するぞとおぼしめして、よくよくひとすぢに御念仏の候べきなり。われらが往生はゆめゆめわがみのよきあしきにはより候まじ。ひとへに仏の御ちからばかりにて候べきなり。わがちからばかりにてはいかにめでたくたうとき人と申とも、末法のこのごろ、たゞちに浄土にむまるゝほどの事はありがたくぞ候べき。また仏の御ちからにて候はむに、いかにつみふかくおろかにつたなきみなりとも、それにはより候まじ。たゞ仏の願力を、信じ信ぜぬにぞより候べき。されば『観无量寿経』にとかれて候。むまれてよりこのかた、念仏一遍も申さず、それならぬ善根もつやつやとなくて、あさゆふものをころしぬすみし、かくのごときのもろもろのつみをのみつくりて、とし月をゆけども、一念も懺悔のこゝろもなくて、あかしくらしたるものゝ、おはりの時に善知識のすゝむるにあひて、たゞひとこゑ南无阿弥陀仏と申たるによりて、五十億劫のあひだ生死にめぐるべきつみを滅して、化仏・菩薩三尊の来迎にあづかりて、汝仏のみなをとなふるがゆへにつみ滅せり、われきたりてなむぢをむかふとほめられまいらせて、すなわちかのくにに往生すと候。また五逆罪と申候て、現身にちゝをころし、はゝをころし、悪心をもて仏をころしめ、諸僧を破し、かくのごとくおもきつみをつくり、一念懺悔のこゝろもなからむ、そのつみによりて无間地獄におちて、おほくの劫をおくりて苦をうくべからむものゝ、おわりの時に、善知識のすゝめによりて、南无阿弥陀仏と十声となふるに、一こゑごとにおのおの八十億劫のあひだ生死にめぐるべきつみを滅して、往生すととかれて候めれ。さほどの罪人だにも十声・一声の念仏にて往生はし候へば、まことに仏の本願のちからならでは、いかでかさること候べきとおぼへ候て、本願むなしからずといふことは、これにても信じつべくこそ候へ。これまさしき仏説にて候。仏ののたまふみことばは、一言もあやまたずと申候へば、たゞあふぎて信ずべきにて候。これをうたがはゞ、仏の御そらごとゝ申にもなりぬべく、かへりてはまたそのつみ候ぬべしとこそおぼえ候へ。ふかく信ぜさせたまふべく候。さて往生はせさせおはしますまじきやうにのみ申きかせまいらする人々の候らむこそ、返々あさましくこゝろぐるしく候へ。いかなる智者めでたき人とおほせらるとも、それになほおどろかされおはしまし候ぞ。おのおののみちにはめでたくたうとき人なりとも、さとりあらず行ことなるひとの申候ことは、往生浄土のためは、中々ゆゝしき退縁・悪知識とも申候ぬべき事どもにて候。たゞ凡夫のはからひおばきゝいれさせおはしまさで、ひとすぢに仏の御ちかひをたのみまいらせさせたまふべく候。
さとりことなる人の往生いひさまたげむによりて、一念もうたがふこゝろあるべからずといふことわりは、善導和尚のよくよくこまかにおほせられおきたることにて候也。「たとひおほくの仏、そらの中にみちみちて、ひかりをはなち御したをのべて、悪をつくりたる凡夫なりとも、一念してかならず往生すといふことはひが事ぞ、信ずべからずとのたまふとも、それによりて一念もうたがふこゝろあるべからず。そのゆへは、阿弥陀仏のいまだ仏になりたまはざりしむかし、はじめて道心をおこしたまひし時、われ仏になりたらむに、わが名号をとなふること十声・一声までせむもの、わがくにゝむまれずは、われ仏にならじとちかひたまひたりしその願むなしからず、すでに仏になりたまへり。また釈迦仏、この娑婆世界にいでゝ、一切衆生のために、かの本願をとき、念仏往生をすゝめたまへり。また六方恒沙の諸仏、この念仏して一定往生すと釈迦仏のときたまへるは決定なり、もろもろの衆生一念もうたがふべからず。ことごとく一仏ものこらず、あらゆる諸仏みなことごとく証誠したまへり。すでに阿弥陀仏は願にたて、釈迦仏その願をとき、六方の諸仏その説を証誠したまへるうえに、このほかにはなに仏の、またこれらの諸仏にたがひて、凡夫往生せずとはのたまふべきぞといふことわりをもて、仏現じてのたまふとも、それにおどろきて信心をやぶりうたがふこゝろあるべからず。いはむや、菩薩達ののたまはむおや、上辟支仏おや」と、こまごまと善導釈したまひて候也。ましてこのごろの凡夫のいかにも申候はむによりて、げにいかゞあらむずらむなど、不定におぼしめす御こゝろ、ゆめゆめあるまじく候。よにめでたき人と申とも、善導和尚にまさりて往生のみちをしりたらむこともかたく候。善導また凡夫にはあらず、阿弥陀仏の化身なり。阿弥陀仏のわが本願ひろく衆生に往生せさせむれうに、かりに人にむまれて善導とは申候なり。そのおしへ申せば仏説にてこそ候へ。あなかしこ、あなかしこ。うたがひおぼしめすまじく候。またはじめより仏の本願に信をおこさせおはしまして候し御こゝろのほど、みまいらせ候しに、なにしにかは往生はうたがひおぼしめし候べき。経にとかれて候ごとく、いまだ往生のみちもしらぬ人にとりてのことに候。もとよりよくよくきこしめししたゝめて、そのうへ御念仏功つもりたることにて候はむには、かならずまた臨終の善知識にあはせおはしまさずとも、往生は一定せさせおはしますべきことにてこそ候へ。中々あらぬすぢなる人は、あしく候なむ。たゞいかならむ人にても、あま女房なりとも、つねに御まへに候はむ人に、念仏まうさせて、きかせおはしまして、御こゝろひとつをつよくおぼしめして、たゞ中々一向に、凡夫の善知識をおぼしめしすてゝ、仏を善知識にたのみまいらせさせたまふべく候。もとより仏の来迎は、臨終正念のためにて候也。それを人の、みなわが臨終正念にして念仏申たるに、仏はむかへたまふとのみこゝろえて候は、仏の願を信ぜず、経の文を信ぜぬにて候也。『称讚浄土経』の文を信ぜぬにて候也。『称讚浄土経』には「慈悲をもてくわへたすけて、こゝろをしてみだらしめたまはず」ととかれて候也。たゞのときによくよく申おきたる念仏によりて、仏は来迎したまふときに、正念には住すと申べきにて候也。たれも仏をたのむこゝろはすくなくして、よしなき凡夫の善知識をたのみて、さきの念仏おばむなしくおもひなして、臨終正念をのみいのることどもにてのみ候が、ゆゝしきひがゐむのことにて候也。これをよくよく御こゝろえて、つねに御めをふさぎ、たなごゝろをあはせて、御こゝろをしづめておぼしめすべく候。ねがわくは阿弥陀仏の本願あやまたず、臨終の時かならずわがまへに現じて、慈悲をくわえたすけて、正念に住せしめたまへと、御こゝろにもおぼしめして、くちにも念仏申させたまふべく候。これにすぎたる事候まじ。こゝろよわくおぼしめすことの、ゆめゆめ候まじきなり。かやうに念仏をかきこもりて申候はむなどおもひ候も、ひとへにわがみ一のためとのみは、もとよりおもひ候はず。おりしもこの御ことをかくうけたまはり候ぬれば、いまよりは一念ものこさず、ことごとくその往生の御たすけになさむと廻向しまいらせ候はむずれば、かまへてかまへておぼしめすさまにとげさせまいらせ候はゞやとこそは、ふかく念じまいらせ候へ。もしこのこゝろざしまことならば、いかでか御たすけにもならで候べき、たのみおぼしめさるべきにて候。おほかたは申いで候しひとことばに御こゝろをとゞめさせおはしますことも、このよひとつのことにては候はじと、さきのよもゆかしくあはれにこそおもひしらるゝことにて候へば、うけたまはり候ごとく、このたびまことにさきだゝせおはしますにても、またおもはずにさきだちまいらせ候事になるさだめなさにて候とも、ついに一仏浄土にまいりあひまいらせ候はむことは、うたがひなくおぼえ候。ゆめまぼろしのこのよにて、いま一どなどおもひ申候事は、とてもかくても候なむ。これおばひとすぢにおぼしめしすてて、いよいよもふかくねがふ御こゝろおもまし、御念仏おもはげませおはしまして、かしこにてまたむとおぼしめすべく候。返々もなほなほ往生をうたがふ御こゝろ候まじきなり。五逆・十悪のおもきつみつくりたる悪人、なを十声・一声の念仏によりて、往生をし候はむに、ましてつみつくらせおはします御事は、なにごとにかは候べき。たとひ候べきにても、いくほどのことかは候べき。この経にとかれて候罪人には、いひくらぶべくやは候。それにまづこゝろをおこし、出家をとげさせおはしまして、めでたきみのりにも縁をむすび、ときにしたがひ日にそえて、善根のみこそはつもらせおはしますことにて候はめ。そのうへふかく決定往生の法文を信じて、一向専修の念仏にいりて、ひとすぢに弥陀の本願をたのみて、ひさしくならせおはしまして候。なに事にかは、ひとことも往生をうたがひおぼしめし候べき。「専修の人は百人は百人ながら、十人は十人ながら往生す」(礼讚)と善導のたまひて候へば、ひとりそのかずにもれさせおはしますべきかはとこそはおぼえ候へ。善導おもかこち、仏の本願おもせめまいらせさせたまふべく候。こゝろよはくは、ゆめゆめおぼしめすまじく候。あなかしこ、あなかしこ。
ことわりをや申ひらき候とおもひ候ほどに、よくおほくなり候ぬる。さやうのおりふし、こちなくやとおぼえ候へども、もしさすがのびたる御ことにてもまた候らむ。えしり候はねば、このたび申候はでは、いつおかはまち候べき。もしのどかにきかせおはしまして、一念も御こゝろをすゝむるたよりにやなり候と、おもひ候ばかりにとゞめえ候はで、これほどもこまかになり候ぬ。機嫌をしり候はぬは、はからひがたくてわびしくこそ候へ。もしむげによはくならせおはしましたる御事にて候はゞ、これはことながく候べきなり。要をとりてつたえまいらせさせおはしますべく候。うけたまはり候ままに、なにとなくあはれにおぼえ候て、おしかへしまた申候也。

(一七)

又故聖人の御坊の御消息(光明坊宛)

一念往生の義、京中にも(ほぼ)流布するところなり。おほよそ言語道断のことなり、まことにほとおど[67]御問におよぶべからざるなり。詮ずるところ、『双巻経』(大経)の下に「乃至一念信心歓喜」といひ、また善導和尚は「上尽一形下至十声一声等、定得往生、乃至一念無有疑心」「隠/顕」
上一形を尽し下十声・一声等に至るまで、さだめて往生を得、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。
(礼讚)[68] といえる。これらの文をあしくぞみたるともがら、大邪見に住して申候ところなり。乃至といひ下至といえる、みな上尽一形をかねたることばなり。しかるをちかごろ愚痴・無智のともがらおほく、ひとへに十念・一念なりと執して上尽一形を廃する条、无慚・无愧のことなり。 まことに十念・一念までも仏の大悲本願、なほかならず引接したまふ无上の功徳なりと信じて、一期不退に行ずべき也。文証おほしといゑども、これをいだすにおよばず、いふにたらざる事なり。こゝにかの邪見の人、この難をかぶりて、こたえていはく、わがいふところも、信を一念にとりて念ずべきなり。しかりとて、また念ずべからずとはいはずといふ。これまたことばゝ尋常なるににたりといゑども、こゝろは邪見をはなれず。しかるゆへは、決定の信心をもて一念してのちは、また念ぜずといふとも、十悪・五逆なほさわりをなさず、いはむや、余の少罪おやと信ずべきなりといふ[69]。このおもひに住せむものは、たとひおほく念ずといはむ。阿弥陀仏の御こゝろにかなはむや、いづれの経論・人師の説ぞや。これひとへに懈怠・無道心、不当・不善のたぐひの、ほしいまゝに悪をつくらむとおもひてまた念ぜずは、その悪かの勝因をさえて、むしろ三途におちざらむや。かの一生造悪のものゝ臨終に十念して往生する、これ懺悔念仏のちからなり、この悪の義には混ずべからず。かれは懺悔の人なり、これは邪見の人なり。なほ不可説不可説の事也。もし精進のものありといふとも、この義をきかばすなわち懈怠になりなむ。まれに戒をたもつ人ありといふとも、この説を信ぜばすなわち無慚なり。おほよそかくのごときの人は、附仏法の外道なり、師子のみの中の虫なり。またうたがふらくは、天魔波旬のために、精進の気をうばわるゝともがらの、もろもろの往生の人をさまたげむとするなり。あやしむべし、ふかくおそるべきもの也。毎事筆端につくしがたし。謹言。

これは越中国に光明房と申しひじり、成覚房が弟子等、一念の義をたてゝ念仏の数返をとゞめむと申て、消息をもてわざと申候。御返事をとりて、国の人々にみせむとて申候あひだ、かくのごとくの御返事候き。

(一八)

基親取信信本願之様。

『双巻』(大経)上云、「設我得仏、十方衆生、至心信楽欲生我国、乃至十念。若不生者、不取正覚。」「隠/顕」
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。

同(大経)下云、「聞其名号信心歓喜、乃至一念。至心廻向、願生彼国。即得往生、住不退転。」「隠/顕」
その名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。

『往生礼讚』云、「今信知、弥陀本弘誓願、及称名号下至十声一声等、定得往生、乃至一念無有疑心。」「隠/顕」
いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。

『観経疏』(散善義)云、「一者決定深信自身現是罪悪生死凡夫、曠劫已来常没常流転、無有出離之縁。二者決定深信彼阿弥陀仏四十八願摂受衆生、無疑無慮乗彼願力、定得往生。」「隠/顕」
一には決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。

これらの文を按じ候て、基親罪悪生死の凡夫なりといゑども、一向に本願を信じて、名号をとなえ候、毎日に五万返なり。決定仏の本願に乗じて上品に往生すべきよし、ふかく存知し候也。このほか別の料簡なく候。しかるに或人、本願を信ずる人は一念なり、しかれば、五万返無益也、本願を信ぜざるなりと申す。基親こたえていはく、念仏一声のほかより、百返乃至万返は、本願を信ぜずといふ文候やと申す。難者云く、自力にて往生はかなひがたし、たゞ一念信をなしてのちは、念仏のかず無益なりと申す。基親また申ていはく、自力往生とは、他の雑行等をもて願ずと申さばこそは、自力とは申候はめ。したがひて善導の『疏』(散善義)にいはく、「上尽百年下至一日七日、一心専念弥陀名号、定得往生。必無疑」「隠/顕」
上百年を尽し、下一日七日に至るまで、一心にもつぱら弥陀の名号を念ずれば、さだめて往生を得ること、かならず疑なし
と候めるは、百年念仏すべしとこそは候へ。また聖人御房七万返をとなえしめまします。基親御弟子の一分たり、よてかずおほくとなえむと存じ候なり、仏の恩を報ずる也と申す。すなわち『礼讚』に「不相続念報彼仏恩故、心生軽慢。雖作業行、常与名利相応故、人我自覆不親近同行善知識故、楽近雑縁、自障障他往生正行故。」「隠/顕」
相続してかの仏恩を念報せざるがゆゑに、心に軽慢を生じて業行をなすといへども、つねに名利と相応するがゆゑに、人我おのづから覆ひて同行善知識に親近せざるがゆゑに、楽ひて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆゑなり。
{云云}基親いはく、仏恩を報ずとも、念仏の数返おほく候はむ。

(一九)

基親上書・法然聖人御返事

兵部卿三位のもとより、聖人の御房へまいらせらるゝ御文の按。
基親はたゞひらに本願を信じ候て、念仏を申候なり。料簡も候はざるゆへなり。 そのゝち何事候乎。抑念仏の数遍ならびに本願を信ずるやう、基親が愚按かくのごとく候。しかるに難者候て、いわれなくおぼえ候。このおりがみに、御存知のむね、御自筆をもてかきたまはるべく候、難者にやぶらるべからざるゆへなり。別解・別行の人にて候はゞ、みみにもきゝいるべからず候に、御弟子等の説に候へば、不審をなし候也。又念仏者、女犯はゞかるべからずと申あひて候、在家は勿論なり。出家はこはく本願を信ずとて、出家の人の女にちかづき候条、いはれなく候。善導は「目をあげて女人をみるべからず」(龍舒浄土文巻五)とこそ候めれ。このことあらあらおほせをかぶるべく候。恐々謹言。 基親

 聖人御房之御返事の案
おほせのむね、つゝしむでうけたまはり候ぬ。御信心とらしめたまふやう、おりがみつぶさにみ候に、一分も愚意に存じ候ところにたがはず候。ふかく随喜したてまつり候ところなり。しかるに近来一念のほかの数返無益なりと申義いできたり候よし、ほぼつたへうけたまはり候。勿論不足言の事か、文義をはなれて申人すでに証をえ候か、いかむ。もとも不審に候。またふかく本願を信ずるもの、破戒もかへりみるべからざるよしの事、これまたとはせたまふにもおよぶべからざる事か。附仏法の外道、ほかにもとむべからず候。おほよそは、ちかごろ念仏の天魔きおいきたりて、かくのごときの狂言いできたり候か。なほなほさらにあたはず候、あたはず候。恐々謹言。
八月十七日

(二〇)

或人念仏之不審聖人奉問次第。

禅勝房との十一箇条問答

〔一〕問。八宗・九宗のほかに浄土宗の名をたつることは、自由にまかせてたつること、余宗の人の申候おばいかゞ申候べき。
答。宗の名をたつることは仏説にはあらず、みづからこゝろざすところの経教につきて存じたる義を学しきわめて、宗義を判ずる事也。諸宗のならひみなかくのごとし。いま浄土宗の名をたつる事は、浄土の依正経につきて、往生極楽の義をさとりきわめたまへる先達の、宗の名をたてたまへるなり。宗のおこりをしらざるものゝ、さやうのことおば申也。

〔二〕問。法華・真言おば雑行にいるべからずと、ある人申候おばいかむ。
答。恵心の先徳、一代の聖教の要文をあつめて『往生要集』をつくりたまへる中に十門をたてゝ、第九に往生の諸行の門に、法華・真言等の諸大乗をいれたまへり。諸行と雑行と、ことばはことに、こゝろはおなじ。いまの難者は恵心の先徳にまさるべからざるなり[云云]。

〔三〕問。余仏・余経につきて善根を修せむ人に、結縁助成し候ことは雑行にてや候べき。
答。我こゝろ、弥陀仏の本願に乗じ、決定往生の信をとるうえには、他の善根に結縁し助成せむ事、またく雑行となるべからず、わが往生の助業となるべき也。他の善根を随喜讚嘆せよと釈したまへるをもて、こゝろうべきなり。

〔四〕問。極楽に九品の差別の候事は、阿弥陀仏のかまへたまへることにて候やらむ。
答。極楽の九品は弥陀の本願にあらず、四十八願の中になし。これは釈尊の巧言なり。善人・悪人一処にむまるといはゞ、悪業のものども慢心をおこすべきがゆへに、品位差別をあらせて、善人は上品にすゝみ、悪人は下品にくだるなど、ときたまふなり。いそぎまかりてみるべし[云云]。[70]

〔五〕問。持戒の行者の念仏の数返のすくなく候はむと、破戒の行人の念仏の数返のおほく候はむと、往生ののちの浅深いづれかすゝみ候べき。
答。ゐておはしますたゝみをさゝえてのたまはく、このたゝみのあるにとりてこそ、やぶれたるかやぶれざるかといふことはあれ。つやつやとなからむたゝみおば、なにとかは論ずべき。「末法の中には持戒もなく、破戒もなし、無戒もなし。たゞ名字の比丘ばかりあり」と、伝教大師の『末法灯明記』にかきたまへるうへは、なにと持戒・破戒のさたはすべきぞ。かゝるひら凡夫のためにおこしたまへる本願なればとて、いそぎいそぎ名号を称すべしと[云云]。

〔六〕問。念仏の行者等、日別の所作において、こゑをたてゝ申人も候、こゝろに念じてかずをとる人も候、いづれおかよく候べき。
答。それは口にも名号をとなへ、こゝろにも名号を念ずることなれば、いづれも往生の業にはなるべし。たゞし仏の本願の称名の願なるがゆへに、こゑをあらわすべきなり。かるがゆへに『経』(観経意)には「こゑをたえず、十念せよ」ととき、釈には「称我名号下至十声」(礼讚)と釈したまへり。わがみみにきこゆるほどおば、高声念仏にとるなり。さればとて、譏嫌をしらず、高声なるべきにはあらず、地体はこゑをいださむとおもふべきなり。

〔七〕問。日別の念仏の数返は、相続にいるほどはいかゞはからひ候べき。
答。善導の釈によらば、一万已上は相続にてあるべし。たゞし一万返をいそぎ申て、さてその日をすごさむ事はあるべからず。一万返なりとも、一日一夜の所作とすべし。総じては一食のあひだに三度ばかりとなえむは、よき相続にてあるべし。それは衆生の根性不同なれば、一准なるべからず。こゝろざしだにもふかければ、自然に相続はせらるゝ事なり。

〔八〕問。『礼讚』の深心の中には「十声一声必得往生、乃至一念無有疑心」と釈し、また『疏』(散善義)の中の深心には「念念不捨者、是名正定之業」と釈したまへり。いづれかわが分にはおもひさだめ候べき。
答。十声・一声の釈は、念仏を信ずるやうなり。かるがゆへに、信おば一念に生るととり、行おば一形をはげむべしとすゝめたまへる釈也。また大意は、一発心已後の釈を本とすべし。

〔九〕問。本願の一念は、尋常の機、臨終の機に通ずべく候歟。
答。一念の願は、二念におよばざらむ機のためなり。尋常の機に通ずべくは、上尽一形の釈あるべからず。この釈をもてこゝろうべし。かならず一念を仏の本願といふべからず。「念念不捨者、是名正定之業、順彼仏願故」(散善義)の釈は、数返つもらむおも本願とはきこえたるは、たゞ本願にあふ機の遅速不同なれば、上尽一形下至一念とおこしたまへる本願なりとこゝろうべきなり。かるがゆへに念仏往生の願とこそ、善導は釈したまへと。

〔十〕問。自力・他力の事は、いかゞこゝろうべく候らむ。
答、源空は殿上へまいるべききりやうにてはなけれども、上よりめせば二度まいりたりき。これわがまいるべきしきにてはなけれども、上の御ちからなり。まして阿弥陀仏の仏力にて、称名の願にこたえて来迎せさせたまはむ事おば、なむの不審かあるべき。自身の罪のおもく无智なれば、仏もいかにしてすくひましまさむとおもはむものは、つやつや仏の願おもしらざるものなり。かゝる罪人どもを、やすやすとたすけすくはむれうに、おこしたまへる本願の名号をとなえながら、ちりばかりも疑心あるまじきなり。十方衆生の願のうちに、有智・無智、有罪・無罪、善人・悪人、持戒・破戒、男子・女人、三宝滅尽ののち百歳までの衆生、みなこもれるなり。かの三宝滅尽の時の念仏者、当時のわ御坊たちとくらぶれば、わ御房たちは仏のごとし。かの時は人寿十歳の時なり。戒定慧の三学、なをだにもきかず、いふばかりなきものどもの来迎にあづかるべき道理をしりながら、わがみのすてられまいらすべきやうおば、いかにしてかあむじいたすべき。たゞし極楽のねがはしくもなく、念仏のまうされざらむ事こそ、往生のさわりにてはあるべけれ。かるがゆへに他力の本願ともいひ、超世の悲願ともいふなり[云々]。

〔十一〕問。至誠等の三心を具し候べきやうおば、いかゞおもひさだめ候べき。
答。三心を具する事は、たゞ別のやうなし。阿弥陀仏の本願に、わが名号を称念よ、かならず来迎せむとおほせられたれば、決定して引接せられまいらせむずるとふかく信じて、心念口称にものうからず、すでに往生したるこゝちしてたゆまざるものは、自然に三心具足するなり。また在家のものどもはかほどにおもはざれども、念仏を申ものは極楽にうまるなればとて、念仏をだにも申せば、三心は具足するなり。さればこそ、いふにかひなきやからどもの中にも、神妙なる往生はする事にてあれと[云々]。

(二一)

浄土宗大意

浄土門と聖道門の綱格の違いを示し、浄土宗における各項目について定義をされている。親鸞聖人が85歳の時に著された『御消息』(10)によってその解説を知ることが出来る。また『御消息』(16)において「故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生すと候」とあるのも、本文の「聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまる」を継承されたものであろう。

また浄土宗の大意とて、おしえさせたまひしやうは、三宝滅尽の時なりといふとも、十念すればまた往生す。いかにいはむや、三宝流行のよにむまれて、五逆おもつくらざるわれら、弥陀の名号を称念せむに、往生うたがふべからず。またいはく、浄土宗のこゝろは、聖道・浄土の二門をたてゝ、一代の諸教をおさむ。聖道門といふは、娑婆の得道なり。自力断惑出離生死の教なるがゆへに、凡夫のために修しがたし、行じがたし。浄土門といふは、極楽の得道なり。他力断惑往生浄土門なるがゆへに、凡夫のためには修しやすく、行じやすし。その行といふは、ひとへに凡夫のためにおしえたまふところの願行なるがゆへなり。総じてこれをいへば、五説の中には仏説也、四土の中には報土也、三身の中には二身也、三宝の中には仏宝也、四乗の中には仏乗なり、二教の中には頓教也、二蔵の中には菩薩蔵也、二行の中には正行なり、二超の中には横超也、二縁の中には有縁の行なり、二住の中には止住也、思不思の中には不思議なり。またいはく、聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚痴にかへりて極楽にむまると[云々]。
康元元丙辰十月卅日書之
愚禿親鸞{八十四歳}


西方指南抄下[末]

(二二)

四種往生事

浄土への往生のありかたを四種に分類した四種往生説を説く。西山浄土宗の影響があるといわれる『安心決定鈔』に「四種往生の事」[71] として解説がある。これは明らかに臨終業成説を否定しているので鎮西浄土宗から非難を受けた。しかし『西方指南抄』で親鸞聖人が法然聖人の伝記として、この四種往生を記されておられることから、そのような伝承があったのであろう。 →四種往生


一 正念念仏往生 『阿弥陀経』説
二 狂乱念仏往生 『観无量寿経』説
三 無記心往生 『群疑論』説[懐感作]
四 意念往生『法鼓経』説

『法鼓経』言、「若人命終之時不能作念、但知彼方有仏作往生意、亦得往生。」「隠/顕」
もし人命終の時に念をなすにあたはざれども、ただかの方に仏ましますと知りて往生の意をなせば、また往生を得。
{云々}

(二三)

法語( 黒田聖への書)

『一紙小消息』(いっしこしょうそく)ともいう、法然聖人の法語。 法然が黒田の聖人に宛てた消息(手紙)である。黒田の聖人が誰であるかは未詳であり、源平の争乱で焼失した東大寺の復興の東大寺大勧進職を務めた俊乗房重源とする説や、その門弟の行賢とする説がある。「罪人なほむまる。いはむや善人おや」と『歎異抄』に示される説と逆の表現をなされて、特に一般的に受け容れやすい倫理的配慮をこめて法義をあらわしておられる。


末代の衆生を往生極楽の機にあてゝみるに、行すくなしとてうたがふべからず、一念・十念たりぬべし。罪人なりとてうたがふべからず、罪根ふかきおもきらわずといへり。時くだれりとてうたがふべからず、法滅已後の衆生なほ往生すべし、いはむや近来おや。わが身わるしとてうたがふべからず、自身はこれ煩悩を具足せる凡夫なりといへり。十方に浄土おほけれども、西方をねがふ十悪五逆の衆生むまるゝがゆへなり。諸仏の中に弥陀に帰したてまつるは、三念・五念にいたるまで、みづからきたりてむかへたまふがゆへに。諸仏の中に念仏をもちゐるは、かの仏の本願なるがゆへに。いま弥陀の本願に乗じて往生しなむには、願として成ぜずといふ事あるべからず。本願に乗ずる事は、たゞ信心のふかきによるべし。うけがたき人身をうけて、あひがたき本願にまうあひ、おこしがたき道心をおこして、はなれがたき輪廻の里をはなれ、むまれがたき浄土に往生せむことは、よろこびの中のよろこびなり。罪は十悪・五逆のものむまると信じて、少罪おもおかさじとおもふべし。罪人なほむまる、いはむや善人おや。行は一念・十念むなしからずと信じて、无間に修すべし。一念なほむまる、いかにいはむや多念おや。阿弥陀仏は、不取正覚の御ことば成就して現にかのくににましませば、さだめて命終には来迎したまはむずらむ。釈尊は、よきかなや、わがおしえにしたがひて、生死をはなれむと知見したまはむ。六方の諸仏は、よろこばしきかな、われらが証誠を信じて、不退の浄土に生ぜむとよろこびたまふらむ。天をあふぎ地にふしてよろこぶべし。このたび弥陀の本願にまうあえる事を、行住座臥にも報ずべし。かの仏の恩徳を、たのみてもなほたのむべきは乃至十念の御言(おことば)、信じてもなほ信ずべきは必得往生の文なり。 黒谷聖人源空

(二四)

法語(念仏大意)

 末法の時代の凡夫にとっては、聖道の修行を成就することは困難で、一向専修の念仏門に入るべきことを勧めている。 阿弥陀仏の本願を薬師仏や千手観音の誓願と比較して、これらには、不取正覚の誓いがなかったり、未成仏であったりするが、弥陀の誓いにはそれがあり、すでに成仏していると強調し、この弥陀の誓いを信じて、専修念仏を信じ、称念すべきであると説く。


末代悪世の衆生の往生のこゝろざしをいたさむにおきては、また他のつとめあるべからず、たゞ善導の釈につきて一向専修の念仏門にいるべきなり。しかるを一向の信をいたして、その門にいる人きわめてありがたし。そのゆへは、或は他の行にこゝろをそめ、或は念仏の功能をおもくせざるなるべし。つらつらこれをおもふに、まことしく往生浄土のねがひふかきこゝろをもはらにする人、ありがたきゆへか。まづこの道理をよくよくこゝろうべきなり。すべて天台・法相の経論・聖教も、そのつとめをいたさむに、ひとつとしてあだなるべきにはあらず。たゞし仏道修行は、よくよく身をはかり、時をはかるべきなり。仏の滅後第四の五百年にだに、智慧をみがきて煩悩を断ずる事かたく、こゝろをすまして禅定をえむ事かたきゆへに、人おほく念仏門にいりけり。すなわち道綽・善導等の浄土宗の聖人、この時の人なり。いはむや、このごろは第五の五百年、闘諍堅固の時なり、他の行法さらに成就せむ事かたし。しかのみならず、念仏におきては、末法ののちなほ利益あるべし。いはむや、いまのよは末法万年のはじめなり、一念弥陀を念ぜむに、なむぞ往生をとげざらむや。たとひわれら、そのうつわものにあらずといふとも、末法のすゑの衆生には、さらににるべからず。かつはまた釈尊在世の時すら、即身成仏におきては、龍女のほか、いとありがたし。たとひまた即身成仏までにあらずとも、この聖道門をおこなひあひたまひけむ菩薩・声聞達、そのほかの権者・ひじり達、そのゝちの比丘・比丘尼等いまにいたるまでの経論の学者、『法華経』の持者、いくそばくぞや。こゝにわれら、なまじゐに聖道をまなぶといふとも、かの人々にはさらにおよぶべからず。かくのごときの末代の衆生を、阿弥陀仏かねてさとりたまひて、五劫があひだ思惟して四十八願をおこしたまへり。その中の第十八の願にいはく、「十方の衆生、こゝろをいたして信楽して、わがくににむまれむとねがひて、乃至十念せむに、もしむまれずといはゞ、正覚をとらじ」(大経巻上)とちかひたまひて、すでに正覚なりたまへり。これをまた釈尊ときたまへる経、すなわち『観無量寿』等の「三部経」なり。かの経はたゞ念仏門なり。たとひ悪業の衆生等、弥陀のちかひばかりに、なほ信をいたすといふとも、釈迦これを一一にときたまへる「三部経」、あに一言もむなしからむや。そのうへまた、六方・十方の諸仏の証誠、この『経』等にみえたり。他の行におきては、かくのごときの証誠みえざるか。しかれば、ときもすぎ、身にもこたふまじからむ禅定・智慧を修せむよりは、利益現在にして、しかもそこそばくの仏たちの証誠したまへる弥陀の名号を称念すべき也。

そもそも後世者の中に、極楽はあさく弥陀はくだれり、期するところ密厳・華蔵等の世界也とこゝろをかくる人もはべるにや、それはなはだおほけなし。かの土は、断无明の菩薩のほかはいることなし。また一向専修の念仏門にいるなかにも、日別に三万返、もしは五万乃至十万返といふとも、これをつとめおはりなむのち、年来受持読誦こうつもりたる諸経おもよみたてまつらむ事、つみになるべきかと不審をなして、あざむくともがらもまじわれり。それ罪になるべきにては、いかでかは はべるべき。末代の衆生、その行成就しがたきによりて、まづ弥陀の願力にのりて、念仏の往生をとげてのち、浄土にて阿弥陀如来・観音・勢至にあひたてまつりて、もろもろの聖教おも学し、さとりおもひらくべきなり。また末代の衆生、念仏をもはらにすべき事、その釈おほかる中に、かつは十方恒沙の仏証誠したまふ。また『観経疏』の第三(定善義)に善導云、「自余衆行雖名是善、若比念仏者全非比校也。是故諸経中処処広讚念仏功能。如『无量寿経』四十八願中、唯明専念弥陀名号得生。又如『弥陀経』中、一日七日専念弥陀名号得生。又十方恒沙諸仏証誠不虚也。又此『経』中定散文中、唯標専念名号得生。此例非一也。広顕念仏三昧竟」「隠/顕」
自余の衆行はこれ善と名づくといへども、もし念仏に比ぶれば、まつたく比校にあらず。このゆゑに諸経のなかに処々に広く念仏の功能を讃めたり。 『無量寿経』の四十八願のなかのごときは、ただもつぱら弥陀の名号を念じて生ずることを得と明かす。 また『弥陀経』のなかのごときは、一日七日もつぱら弥陀の名号を念じて生ずることを得と。 また十方恒沙の諸仏の証誠虚しからずと。
またこの『経』中の定散の文中、ただもつぱら名号を念じて生ずることを得と標せり。この例一にあらず。 広く念仏三昧を顕しをはりぬ。
とあり。また善導の『往生礼讚』(意)ならびに専修浄業の文等にも、「雑修のものは往生をとぐる事、万が中に一二なほかたし。専修のものは、百に百ながらむまる」といへり。これらすなわち、なに事もその門にいりなむには、一向にもはら他のこゝろあるべからざるゆへなり。たとえば今生にも主君につかへ、人をあひたのむみち、他人にこゝろざしをわくると、一向にあひたのむと、ひとしからざる事也。たゞし家ゆたかにして、のりもの、僮僕もかなひ、面面にこゝろざしをいたすちからもたえたるともがらは、かたがたにこゝろざしをわくといゑども、その功むなしからず。かくのごときのちからにたえざるものは、所所をかぬるあひだ、身はつかるといゑども、そのしるしをえがたし。一向に人一人をたのめば、まづしきものも、かならずそのあわれみをうるなり。すなわち末代悪世の無智の衆生は、かのまづしきものゝごときなり。むかしの権者は、いゑゆたかなる衆生のごときなり。しかれば、無智のみをもちて智者の行をまなばむにおきては、貧者の徳人をまなばむがごときなり。またなほたとひをとらば、たかき山の、人かよふべくもなからむ がむせき(岩石)を、ちからたえざらむものゝ、石のかど木のねにとりすがりてのぼらむとはげまむは、雑行を修して往生をねがわむがごとき也。かの山のみねより、つよきつなをおろしたらむにすがりてのぼらむは、弥陀の願力をふかく信じて、一向に念仏をつとめて、往生せむがごときなるべし。
また一向専修には、ことに三心を具足すべき也。三心といふは、一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心也。至誠心といふは、余仏を礼せず弥陀を礼し、余行を修せず弥陀を念じて、もはらにして もはらならしむる也。深心といふは、弥陀の本願をふかく信じて、わがみは无始よりこのかた罪悪生死の凡夫、一度として生死をまぬかるべきみちなきを、弥陀の本願不可思議なるによりて、かの名号を一向に称念して、うたがひをなすこゝろなければ、一念のあひだに八十億劫の生死のつみを滅して、最後臨終の時、かならず弥陀の来迎にあづかる也。廻向発願心といふは、自他の行を真実心の中に廻向発願する也。この三心ひとつもかけぬれば、往生をとげがたし。しかれば、他の行をまじえむによりてつみにはなるべからずといふとも、なほ念仏往生を不定に存じていさゝかのうたがひをのこして、他事をくわふるにて侍べき也。たゞしこの三心の中に、至誠心をやうやうにこゝろえて、ことにまことをいたすことを、かたく申しなすともがらも侍にや[72]。しからば、弥陀の本願の本意にもたがひて、信心はかけぬるにてあるべきなり。いかに信力をいたすといふとも、かゝる造悪の凡夫のみの信力にて、ねがひを成就せむほどの信力は、いかでか侍べき。 たゞ一向に往生を決定せむずればこそ、本願の不思議にては侍べけれ。さやうに信力もふかく、よからむ人のためには、かゝるあながちに不思議の本願おこしたまふべきにあらず、この道理おば存じながら、まことしく専修念仏の一行にいる人いみじくありがたきなり。しかるを道綽禅師は決定往生の先達也、智慧ふかくして講説を修したまひき。曇鸞法師の三世已下の弟子也。「かの鸞師は智慧高遠なりといゑども、四論の講説をすてゝ、念仏門にいりたまはむや、わがしるところさわるところ、なむぞおほしとするにたらむや」(迦才浄土論巻下)とおもひとりて、涅槃の講説をすてゝ、ひとへに往生の業を修して、一向にもはら弥陀を念じて、相続无間にして、現に往生したまへり。かくのごとき道綽は、講説をやめて念仏を修し、善導は雑修をきらいて専修をつとめたまひき。また道綽禅師のすゝめによりて、幷州の三県の人、七歳以後一向に念仏を修すといへり。しかれば、わが朝の末法の衆生、なむぞあながちに雑修をこのまむや。たゞすみやかに弥陀如来の願、釈迦如来の説、道綽・善導の釈をまもるに、雑行を修して極楽の果を不定に存ぜむよりは、専修の業を行じて、往生ののぞみを決定すべき也。またかの道綽・善導等の釈は、念仏門の人々の事なれば、左右におよぶべからず。法相宗におきては、専修念仏門、ことに信向せざるかと存ずるところに、慈恩大師の『西方要決』に云く、「末法万年余経悉滅。弥陀一教利物偏増」「隠/顕」
末法万年に、余経はことごとく滅して、弥陀の一教は物を利することひとへに増せらん。
と釈したまへり。また同『書』(西方要決意)にいはく、「三空九断之文、十地・五修之訓、生期分役死終非運、不如暫息多聞之広学、専念仏之単修」「隠/顕」
三空九断の文、十地・五修のおしえ、生期分役して死してついに運(めぐる)にあらず。暫く多聞の広学をやめるにしかず、念仏を単(ひとえ)に修するをもっぱらにすべし。?
[73]といへり。しかのみならず、また『大聖竹林寺の記』にいはく、
「五台山竹林寺の大講堂の中にして、普賢・文殊東西に対座して、もろもろの衆生のために妙法をときたまふとき、法照禅師ひざまづきて、文殊にとひたてまつりき。未来悪世の凡夫、いづれの法をおこないてか、ながく三界をいでゝ浄土にむまるゝことをうべきと。文殊こたえてのたまはく、往生浄土のはかり事、弥陀の名号にすぎたるはなく、頓証菩提の道、たゞ称念の一門にあり。これによりて、釈迦一代の聖教にほむるところみな弥陀にあり。いかにいはむや、未来悪世の凡夫おやとこたへたまへり」。

かくのごときの要文等、智者たちのおしへをみても、なほ信心なくして、ありがたき人界をうけて、ゆきやすき浄土にいらざらむ事、後悔なにごとかこれにしかむや。かつはまた、かくのごときの専修念仏のともがらを、当世にもはら難をくはへて、あざけりをなすともがらおほくきこゆ。これまたむかしの権者達、かねてみなさとりしりたまへること也。
善導『法事讚』(巻下)云、

「世尊説法時将了 慇懃付嘱弥陀名
五濁増時多疑謗 道俗相嫌不用聞
見有修行起瞋毒 方便破壊競生怨
如此生盲闡提輩 毀滅頓教永沈淪
超過大地微塵劫 未可得離三途身
大衆同心皆懺悔 所有破法罪因縁」「隠/顕」
世尊法を説きたまふこと、時まさに 了りなんとして、慇懃に弥陀の名を付属したまふ。五濁増の時は多く疑謗し、道俗あひ嫌ひて聞くことを用ゐず。修行することあるを見ては瞋毒を起し、方便破壊して競ひて怨を生ず。かくのごとき生盲闡提の輩は、頓教を毀滅して永く沈淪す。大地微塵劫を超過すとも、いまだ三塗の身を離るることを得べからず。大衆同心にみな、あらゆる破法罪の因縁を懺悔せよ。

また『平等覚経』(巻四意)にいはく、

「若善男子・善女人ありて、かくのごときらの浄土の法文をとくをきゝて、悲喜をなして身の毛よだつことをなしてぬきいだすがごとくするは、しるべし、この人過去にすでに仏道をなしてきたれる也。もしまたこれをきくといふとも、すべて信楽せざらむにおきては、しるべし、この人はじめて三悪道のなかよりきたれるなり」。

しかれば、かくのごときの謗難のともがらは、さうなき罪人のよしをしりて、論談にあたふべからざる事也。また十善かたくたもたずして、忉利・都率をねがはむ事、きわめてかなひがたし。極楽は五逆のもの念仏によりてむまる。いはむや、十悪におきてはさわりとなるべからず。また慈尊の出世を期せむにも、五十六億七千万歳、いとまちどおなり、いまだしらず。他方の浄土そのところどころにはかくのごときの本願なし、極楽はもはら弥陀の願力はなはだふかし、なむぞほかをもとむべき。またこのたび仏法に縁をむすびて、三生・四生に得脱せむとのぞみをかくるともがらあり、このねがひきわめて不定なり。大通結縁の人[74]、信楽慚愧のころものうらに、一乗无価の玉をかけて、隔生即亡して、三千の塵点があひだ六趣に輪廻せしにあらずや。たとひまた、三生・四生に縁をむすびて、必定得脱すべきにても、それをまちつけむ輪転のあひだのくるしみ、いとたえがたかるべし、いとまちどおなるべし。またかの聖道門においては、三乗・五乗の得道なり、この行は多百千劫なり。こゝにわれら、このたびはじめて人界の生をうけたるにてもあらず、世世生生をへて、如来の教化にも、菩薩の弘経にも、いくそばくかあひたてまつりたりけむ。たゞ不信にして教化にもれきたるなるべし。三世の諸仏、十方の菩薩、おもへばみなこれむかしのともなり。釈迦も五百塵点のさき、弥陀も十劫のさきは、かたじけなく父母・師弟ともたがひになりたまひけむ。仏は前仏の教をうけ、善知識のおしえを信じて、はやく発心修行したまひて、成仏してひさしくなりたまひにけり。われらは信心おろかなるがゆへに、いまに生死にとまれるなるべし。過去の輪転をおもへば、未来もまたかくのごとし。たとひ二乗の心おばおこすといふとも、菩提心おばおこしがたし。如来は勝方便にしておこないたまへり。濁世の衆生、自力をはげまむには、百千億劫難行苦行をいたすといふとも、そのつとめおよぶところにあらず。またかの聖道門は、よく清浄にして、そのうつわものにたれらむ人のつとむべき行なり。懈怠不信にしては、中々行ぜしめむよりも、罪業の因となるかたもありぬべし。念仏門におきては、行住座臥ねてもさめても持念するに、そのたよりとがなくして、そのうつわものをきらはず、ことごとく往生の因となる事うたがひなし。

「彼仏因中立弘誓  聞名念我総迎来
不簡貧窮将富貴  不簡下智与高才
不簡多聞持浄戒  不簡破戒罪根深
但使廻心多念仏  能令瓦礫変成金」「隠/顕」
かの仏の因中に弘誓を立てたまへり。名を聞きてわれを念ぜばすべて迎へ来らしめん。貧窮と富貴とを簡ばず、下智と高才とを簡(えら)ばず、多聞と浄戒を持てるとを簡ばず、破戒と罪根の深きとを簡ばず。ただ回心して多く念仏せしむれば、よく瓦礫をして変じて金(こがね)と成さんがごとくせしむ。
(五会法事讚巻本)

といへり。またいみじき経論・聖教の智者といゑども、最後臨終の時、その文を暗誦するにあたはず。念仏におきては、いのちをきわむるにいたるまで、称念するにそのわづらひなし。また仏の誓願のためしをひらかむにも、薬師の十二の誓願には不取正覚の願なく、千手の願、また不取正覚とちかひたまへるも、いまだ正覚なりたまはず。弥陀は不取正覚の願をおこして、しかも正覚なりて、すでに十劫をへたまへり。かくのごときの弥陀のちかひに信をいたさざらむ人は、また他の法文おも信仰するにおよばず。しかれば、返々も一向専修の念仏に信をいたして、他のこゝろなく、日夜朝暮、行住座臥に、おこたる事なく称念すべき也。専修念仏をいたすともがら、当世にも往生をとぐるきこえ、そのかずおほし。雑修の人におきて、そのきこえきわめてありがたき也。そもそもこれをみても、なほよこさまのひがゐむ[75]にいりて、もの難ぜむとおもはむともがらは、さだめていよいよいきどほりをなして、しからば、むかしより仏のときおきたまへる経論・聖教、みなもて無益のいたづらものにて、うせなむとするにこそなど、あざけり申さむずらむ。それは天台・法相の本寺・本山に修学をいとなみて、名利おも存じ、おほやけにもつかへ、官位おものぞまむとおもはむ人におきては、左右におよぶべからず。また上根利智の人は、そのかぎりにあらず。このこゝろをえてよく了見する人は、あやまりて聖道門をことにおもくするゆへと存ずべき也。しかるを、なほ念仏にあひかねてつとめをいたさむ事は、聖道門をすでに念仏の助行にもちゐるべきか。その条こそ、かへりて聖道門をうしなふにては侍けれ。たゞこの念仏門は、返々もまた他心なく後世をおもはむともがらの、よしなきひがゐむにおもむきて、時おも身おもはからず、雑行を修して、このたびたまたまありがたき人界にむまれて、さばかりまうあひがたかるべき弥陀のちかひをすてゝ、また三途の旧里にかへりて、生死に輪転して、多百千劫をへむかなしさをおもひしらむ人の身のためを申すなり。さらば、諸宗のいきどほりにはおよぶべからざる事也。

(二五)

九条殿北政所への御返事。

北政所とは摂政・関白の正妻に宣下する称号で、ここでは九条兼実の妻、藤原兼子(藤原季行の娘)のこと。

往生の行としての念仏がいかに余行に較べて優れているかを簡潔に説かれている。伝教大師(最澄)にも七難消滅の法として念仏が説かれているとする(依正安穩にして念佛を修す)。 ➡hwiki:七難消滅護国頌


かしこまりて申上候。さては御念仏申させおはしまし候なるこそ、よにうれしく候へ。まことに往生の行は、念仏がめでたきことにて候也。そのゆへは、念仏は弥陀の本願の行なればなり。余の行は、それ真言・止観のたかき行法なりといゑども、弥陀の本願にあらず。また念仏は、釈迦の付属の行なり。余行は、まことに定散両門のめでたき行なりといゑども、釈尊これを付嘱したまはず。また念仏は、六方の諸仏の証誠の行也。余の行は、たとひ顕密事理のやむごとなき行也と申せども、諸仏これを証誠したまはず。このゆへに、やうやうの行おほく候へども、往生のみちにはひとえに念仏すぐれたることにて候也。しかるに往生のみちにうとき人の申やうは、余の真言・止観の行にたえざる人の、やすきままのつとめにてこそ念仏はあれと申は、きわめたるひがごとに候。そのゆへは、弥陀の本願にあらざる余行をきらひすてゝ、また釈尊の付属にあらざる行おばえらびとどめ、また諸仏の証誠にあらざる行おばやめおさめて、いまはたゞ弥陀の本願にまかせ、釈尊の付嘱により、諸仏の証誠にしたがひて、おろかなるわたくしのはからひをやめて、これらのゆへ、つよき念仏の行をつとめて、往生おばいのるべしと申にて候也。これは恵心の僧都の『往生要集』(巻中)に、「往生の業、念仏を本とす」と申たる、このこゝろ也。いまはたゞ余行をとゞめて、一向に念仏にならせたまふべし。念仏にとりても、一向専修の念仏也。そのむね三昧発得の善導の『観経の疏』にみえたり。また『双巻経』(大経巻下)に、「一向専念无量寿仏」といへり。一向の言は、二向・三向に対して、ひとへに余の行をえらびて、きらひのぞくこゝろなり。御いのりのれうにも、念仏がめでたく候。『往生要集』にも、余行の中に念仏すぐれたるよしみえたり。また伝教大師の七難消滅の法にも、「念仏をつとむべし」(七難消滅護国頌)とみえて候。おほよそ十方の諸仏、三界の天衆、妄語したまはぬ行にて候へば、現世・後生の御つとめ、なに事かこれにすぎ候べきや。いまたゞ一向専修の但念仏者にならせおはしますべく候。

(二六)

熊谷入道への御返事

御ふみくはしくうけたまはり候ぬ。かやうにまめやかに、大事におぼしめし候。返々ありがたく候。まことにこのたび、かまへて往生しなむと、おぼしめしきるべく候。うけがたき人身すでにうけたり、あひがたき念仏往生の法門にあひたり。娑婆をいとふこゝろあり、極楽をねがふこゝろおこりたり。弥陀の本願ふかし、往生はたゞ御こゝろにあるたびなり。ゆめゆめ御念仏おこたらず、決定往生のよしを存ぜさせたまふべく候。なに事もとゞめ候ぬ。
九月十六日 源空

(二七)

要義十三問答

まことにこの身には、道心のなき事と、やまひとばかりや、なげきにて候らむ。世をいとなむ事なければ、四方に馳騁せず、衣食ともにかけたりといゑども、身命をおしむこゝろ切ならぬは、あながちにうれへとするにおよばぬ。こゝろをやすくせむためにも、すて候べきよにこそ候めれ。いはむや、无常のかなしみはめのまへにみてり、いづれの月日おかおはりのときと期せむ。さかへあるものもひさしからず、いのちあるものもまたうれえあり。すべていとふべきは六道生死のさかひ、ねがふべきは浄土菩提なり。天上にむまれてたのしみにほこるといゑども、五衰退没のくるしみあり。人間にむまれて国王の身をうけて、一四天下おばしたがふといゑども、生老病死・愛別離苦・怨憎会苦の一事もまぬかるゝ事なし。たとひこれらの苦なからむすら、三悪道にかへるおそれあり。こゝろあらむ人は、いかゞいとはざるべき。うけがたき人界の生をうけて、あひがたき仏教にあひ、このたび出離をもとめさせたまへ。
〔一〕問。おほかたは、さこそはおもふことにて候へども、かやうにおほせらるゝことばにつきて、さうなく出家をしたりとも、こゝろに名利をはなれたる事もなし。持戒清浄なる事なく、无道心にて人に謗をなされむ事、いかゞとおぼえ候。それも在家にありておほくの輪廻の業をまさむよりは、よき事にてや候べき。答。たわぶれに尼のころもをき、さけにゑいて出家をしたる人、みな仏道の因となりにきと、ふるきものにもかきつたえられて候。『往生の十因』(意)と申ふみには、「勝如聖人の父母ともに出家せし時、男はとし四十一、妻は卅(さんじゅう)三なり。修行の僧をもちて師としき。師ほめていはく、衰老にもいたらず、病患にものぞまず、いま出家をもとむ、これ最上の善根なり」とこそはいひけれ。釈迦如来、当来導師弥勒慈尊に付属したまふにも、「破戒・重悪のともがらなりといふとも、頭をそり、衣をそめ、袈裟をかけたらむものは、みな汝につく」とこそはおほせられて候へ。されば破戒なりといゑども、三会得脱なほたのみあり[76]。ある経の文には、「在家の持戒には、出家の破戒はすぐれたり」とこそは申候へ。まことに仏法流布の世にむまれて、出離の道をえて、解脱幢相のころもを肩にかけ、釈子につらなりて、仏法修行せざらむ。まことに宝の山にいりて、手をむなしくしてかへるためしなり。
〔二〕問。まことに出家などしては、さすがに生死をはなれ、菩提にいたらむ事をこそは、いとなみにて候べけれ。いかやうにかつとめ、いかやうにかねがひ候べき。『安楽集』(巻上意)に云く、「大乗の聖教によるに、二種の勝法あり。一には聖道、二には往生浄土也」。穢土の中にして、やがて仏果をもとむるは、みな聖道門なり。諸法の実相を観じて証をえむと、法華三昧を行じて六根清浄をもとめ、三密の行法をこらして即身に成仏せむとおもふ。あるいは四道の果をもとめ、また三明六通をねがふ、これみな難行道なり。往生浄土門といふは、まづ浄土にむまれて、かしこにてさとりおもひらき、仏にもならむとおもふなり、これは易行道といふ。生死をはなるゝみちみちおほし、いづれよりもいらせたまへ。
〔三〕問。さればわれらがごときのおろかなるものは、浄土をねがひ候べきか、いかに。答。『安楽集』(巻上意)に云く、「聖道の一種は、いまの時には証しがたし。一には大聖をされる事はるかにとおきによる。二には理はふかくして、さとりはすくなきによる。このゆへに『大集月蔵経』にいはく、わが末法のときの中の億億の衆生、行をおこし道を修するに、一人もうるものはあらず。まことにいま末法五濁悪世なり。たゞ浄土の一門のみありて通入すべきなり。こゝをもて諸仏の大悲、浄土に帰せよとすゝめたまふ。一形悪をつくれども、たゞよくこゝろをかけて、まことをもはらにして、つねによく念仏せよ。一切のもろもろのさはり、自然にのぞこりて、さだめて往生をう。なむぞおもひはからずして、さるこゝろなきや」といふ。永観ののたまはく、「真言・止観は、理ふかくしてさとりがたく、三論・法相は、みちかすかにしてまどひやすし」(往生拾因)なむど候。まことに観念もたえず、行法にもいたらざらむ人は、浄土の往生をとげて、一切の法門おもやすくさとらせたまはむは、よく候なむとおぼえ候。

〔四〕問。十方に浄土おほし、いづれおかねがひ候べき。兜率の上生をねがふ人もおほく候、いかゞおもひさだめ候べき。答。天台大師ののたまはく、「諸教所讚多在弥陀故、以西方而為一順」「隠/顕」
諸教の讃ずるところ多く弥陀にあり。ゆえに西方を以って一順となす。
(輔行巻二)と。また顕密の教法の中に、もはら極楽をすゝむる事は、称計すべからず。恵心の『往生要集』に、十方に対して西方をすゝめ、兜率に対しておほくの勝劣をたて、難易相違の証拠をひけり、たづね御覧ぜさせたまへ。極楽この土に縁ふかし、弥陀は有縁の教主なり、宿因のゆへ、本願のゆへ。たゞ西方をねがはせたまふべきとこそおぼえ候へ。

〔五〕問。まことにさては、ひとすぢに極楽をねがふべきにこそ候なれ、極楽をねがはむには、いづれの行かすぐれて候べき。答。善導釈してのたまはく、「行に二種あり。一には正行、二には雑行なり。正の中に五種の正行あり。一には礼拝の正行、二には讚嘆供養の正行、三には読誦正行、四には観察正行、五には称名の正行なり。一に礼拝の正行といふは、礼せむには、すなわちかの仏を礼して余礼をまじえざれ。二に讚嘆供養の正行といふは、讚嘆供養して余の讚嘆供養をまじえざれ。三に読誦の正行といふは、読誦せむには、『弥陀経』等の三部経を読誦して余の読誦をまじえざれ。四に観察の正行といふは、憶念観察せむには、かの土の二報荘厳等を観察して余の観察をまじえざれ。五に称名の正行といふは、称せむには、すなわちかの仏を称して余の称名をまじえざれ。この五種を往生の正行とす。この正行の中にまた二あり。一には正、二には助。称名をもては正とし、礼誦等をもちては助業となづく。この正助二行をのぞきて、自余の衆善はみな雑行となづく」(散善義意)。また釈していはく、「自余の衆善は、善となづくといゑども、念仏にくらぶれば、またく比校にあらず」(定善義)とのたまへり。浄土をねがはせたまはゞ、一向に念仏をこそはまふさせたまはめ。
〔六〕問。余行を修して往生せむことは、かなひ候まじや。されども『法華経』(巻六薬王品)には「即往安楽世界阿弥陀仏」といひ、密教の中にも、決定往生の真言、滅罪の真言あり。諸教の中に、浄土に往生すべき功力をとけり、また穢土の中にして仏果にいたるといふ。かたき徳をだに具せらむ教を修行して、やすき往生極楽に廻向せば、仏果にかなうまでこそかたくとも、往生はやすくや候べきとこそおぼえ候へ。またおのづから聴聞などにうけたまはるにも、法華と念仏ひとつものと釈せられ候。ならべて修せむに、なにかくるしく候べき。答。『双巻経』(大経巻下)に三輩往生の業をときて、ともに「一向専念无量寿仏」とのたまへり。『観无量寿経』に、もろもろの往生の行をあつめてときたまふおはりに、阿難に付嘱したまふところには、「なむぢこのことばをたもて。このことばをたもてといふは、无量寿仏のみなをたもてとなり」とときたまふ。善導『観経』を釈してのたまふに、「定散両門の益をとくといゑども、仏の本願をのぞむには、一向にもはら弥陀の名号を称せしむるにあり」(散善義)といふ。同き『経』(観経)の文に、「一一の光明、十方世界の念仏の衆生をてらして、摂取してすてたまはず」ととけり。善導釈してのたまふには、「論ぜず、余の雑業のものをてらし摂取す」(観念法門)といふことおばとかず候。余行のものふつとむまれずとはいふにはあらず、善導も「廻向してむまるべしといゑども、もろもろの疎雑の行となづく」(散善義)とこそはおほせられたれ。『往生要集』(巻上)の序にも、「顕密の教法、その文ひとつにあらず。事理の業因、その行これおほし。利智精進の人は、いまだかたしとせず。予がごときの頑嚕のもの、たやすからむや。このゆへに、念仏の一門によりて、経論の要文をあつむ。これをひらき、これを修するに、さとりやすく行じやすし」といふ。これらの証拠あきらめつべし。教をえらぶにはあらず、機をはからふなり。わがちからにて生死をはなれむ事、はげみがたくして、ひとへに他力の弥陀の本願をたのむ也。先徳たちおもひはからひてこそは、道綽は聖道をすてゝ浄土の門にいり、善導は雑行をとゞめて一向に念仏して三昧をえたまひき。浄土宗の祖師、次第にあひつげり、わづかに一両をあぐ。この朝にも恵心・永観などいふ、自宗・他宗、ひとへに念仏の一門をすゝめたまへり。専雑二修の義、はじめて申におよばず、浄土宗のふみおほく候、こまかに御覧候べし。また即身得道の行、往生極楽におよばざらむやと候は、まことにいわれたるやうに候へども、なかにも宗と申ことの候ぞかし。善導の『観経の疏』(玄義分意)にいはく、「般若経のごときは、空慧をもて宗とす、『維摩経』のごときは、不思議解脱をもちて宗とす。いまこの『観経』は、観仏三昧をもちて宗とし、念仏三昧をもちて宗とす」といふがごとき。『法華』は、真如実相平等の妙理を観じて証をとり、現身に五品・六根の位にもかなふ、これをもちて宗とす。また真言には、即身成仏をもちて宗とす。『法華』にもおほくの功力をあげて経をほむるついでに、「即往安楽」(法華経巻六薬王品)ともいひ、また「即往兜率天上」(法華経巻七勧発品)ともいふ。これは便宜の説なり、往生を宗とするにはあらず。真言もまたかくのごとし。法華・念仏ひとつなりといひて、ならべて修せよといはゞ、善導和尚は『法華』・『維摩』等を読誦しき。浄土の一門にいりにしよりこのかた、一向に念仏して、あえて余の行をまじふる事なかりき。しかのみならず、浄土宗の祖師あひつぎて、みな一向に名号を称して余業をまじへざれとすゝむ。これらを按じて専修の一行にいらせたまへとは申すなり。
〔七〕問。浄土の法門に、まづなになにをみてこゝろつき候なむ。答。経には『双巻』・『観无量寿』・『小阿弥陀経』等、これを浄土の三部経となづく。文には善導の『観経の疏』・『六時礼讚』・『観念法門』、道綽の『安楽集』、慈恩の『西方要決』、懐感の『群疑論』、天台の『十疑論』、わが朝の人師恵心の『往生要集』なむどこそは、つねに人のみるものにて候へ。たゞなにを御覧ずとも、よく御こゝろえて念仏申させたまはむに、往生なにかうたがひ候べき。
〔八〕問。こゝろおば、いかやうにかつかひ候べき。答。三心を具足せさせたまへ。その三心と申は、一には至誠心、二には深心、三には廻向発願心なり。一に至誠心といふは、真実の心なり。善導釈してのたまはく、「至といふは真の義、誠といふは実の義。真実のこゝろの中に、この自他の依正二報をいとひすてゝ、三業に修するところの行業に、かならず真実をもちゐよ。ほかに賢善精進の相を現じて、うちに虚仮をいだくものは、日夜十二時につとめおこなうこと、かうべの火をはらふがごとくにすれども、往生をえずといふ。たゞ内外明闇おばえらばず、真実をもちゐるゆへに、至誠心となづく。二に深心といふは、ふかき信なり。決定してふかく信ぜよ、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫なり。曠劫よりこのかた、つねにしづみつねに流転して、出離の縁あることなし。また決定してふかく信ぜよ、かの阿弥陀仏の四十八願をもて、衆生をうけおさめて、うたがひなくうらもひなく、かの願力にのりてさだめて往生すと。あふぎてねがはくは、仏のみことおば信ぜよ。もし一切の智者百千万人きたりて、経論の証をひきて、一切の凡夫念仏して往生する事をえずといはむに、一念の疑退のこゝろをおこすべからず。たゞこたえていふべし、なむぢがひくところの経論を信ぜざるにはあらず。なむぢが信ずるところの経論は、なむぢが有縁の教、わが信ずるところは、わが有縁の教、いまひくところの経論は、菩薩・人・天等に通じてとけり。この『観経』等の三部は、濁悪不善の凡夫のためにときたまふ。しかれば、かの『経』をときたまふ時には、対機も別に、所も別に、利益も別なりき。いまきみがうたがひをきくに、いよいよ信心を増長す。もしは羅漢・辟支仏、初地・十地の菩薩、十方にみちみち、化仏・報仏ひかりをかゞやかし、虚空にみしたをはきて、むまれずとのたまはゞ、またこたえていふべし、一仏の説は一切の仏説におなじ、釈迦如来のときたまふ教をあらためば、制止したまふところの殺生十悪等の罪をあらためて、またおかすべからむや。さきの仏そらごとしたまはゞ、のちの仏もまたそら事したまふべし。おなじことならば、たゞ信じそめたる法おば、あらためじといひて、ながく退する事なかれ。かるがゆへに深心なり。三に廻向発願心といふは、一切の善根をことごとくみな廻向して、往生極楽のためとす。決定真実のこゝろの中に廻向して、むまるゝおもひをなすなり。このこゝろ深信なる事、金剛のごとくにして、一切の異見・異学・別解・別行の人等に、動乱し破壊せられざれ。いまさらに行者のためにひとつのたとひをときて、外邪・異見の難をふせがむ。人ありて西にむかひて百里・千里をゆくに、忽然として中路にふたつの河あり。一にはこれ火の河、南にあり。二にはこれ水の河、北にあり。各ひろさ百歩、ふかくしてそこなし、南北にほとりなし。まさに水火の中間に一の白道あり、ひろさ四五寸ばかりなるべし。この道東の岸より西の岸にいたるに、ながさ百歩、その水の波浪まじわりすぎて道をうるおす、火炎またきたりて道をやく。水火あひまじわりてつねにやむ事なし。この人すでに空曠のはるかなるところにいたるに、人なくして群賊・悪獣あり。このひとひとりありくをみて、きおいきたりてころさむとす。この人死をおそれてたゞちにはしりて西にむかふ。忽然としてこの大河をみるに、すなわち念言すらく、南北にほとりなし、中間に一の白道をみる、きわめて狭少なり。ふたつの岸あいさる事ちかしといゑども、いかゞゆくべき。今日さだめて死せむ事うたがひなし。まさしくかへらむとおもへば、群賊・悪獣やうやくにきたりせむ。南北にさりはしらむとおもへば、悪獣・毒虫きおひきたりてわれにむかふ。まさに西にむかひてみちをたづねて、しかもさらむとおもへば、おそらくはこのふたつの河におちぬべし。この時おそるゝ事いふべからず、すなわち思念すらく、かへるとも死し、またさるとも死しなむ、一種としても死をまぬかれざるものなり。われむしろこのみちをたづねて、さきにむかひてしかもさらむ。すでにこのみちあり、かならずわたるべしと。このおもひをなす時に、東の岸にたちまちに人のすゝむるこゑをきく。きみ決定してこのみちをたづねてゆけ、かならず死の難なけむ。住せば、すなわち死しなむ。西の岸の上に人ありてよばひていはく、なむぢ一心にまさしく念じて、身心いたりて、みちをたづねて直にすゝみて、疑怯退心をなさず。あるいは一分二分ゆくに、群賊等よばいていはく、きみかへりきたれ、このみちはけあしくあしきみちなり、すぐる事をうべからず、死しなむことうたがひなし、われらが衆あしきこゝろなし。このひとあひむかふに、よばふこゑをきくといゑどもかへりみず。直にすゝみて道を念じてしかもゆくに、須臾にすなわち西の岸にいたりて、ながくもろもろの難をはなる。善友あひむかひてよろこびやむ事なし。これはこれたとひなり。次に喩を合すといふは、東の岸といふは、すなわちこの娑婆の火宅にたとふるなり。群賊・悪獣いつわりちかづくといふは、すなわち衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大なり。人なき空曠の沢といふは、すなわち悪友にしたがひて、まことの善知識にあはざるなり。水火の二河といふは、すなわち衆生の貪愛は水のごとく、瞋憎は火のごとくなるにたとふるなり。中間の白道四五寸といふは、衆生の貪瞋煩悩の中に、よく清浄の願往生の心をなすなり。貪瞋こはきによるがゆへに、すなわち水火のごとしとたとふるなり。水波つねにみちをうるおすといふは、愛心つねにおこりて善心を染汚するなり。また火炎つねにみちをやくといふは、すなわち瞋嫌のこゝろよく功徳の法財をやくなり。人みちをのぼるに直に西にむかふといふは、すなわちもろもろの行業をめぐらして、直に西にむかふにたとふるなり。東の岸に人のこゑのすゝめやるをきゝて、みちをたづねて直に西にすゝむといふは、すなわち釈迦はすでに滅したまひてのち、人みたてまつらざれども、なほ教法ありてすなわちたづぬべし。これをこゑのごとしとたとふるなり。あるいは一分二分するに群賊等よばひかへすといふは、別解・別行・悪見人等みだりに見解をときてあひ惑乱し、およびみづから罪をつくりて退失するなり。西の岸の上に人ありてよばふといふは、すなわち弥陀の願のこゝろにたとふるなり。須臾にすなわち西の岸にいたりて善友あひみてよろこぶといふは、すなわち衆生のひさしく生死にしづみて、曠劫より輪廻し、迷倒し、身づから迷て解脱するによしなし。あふぎて発遣して、西方にむかえしめたまふ。弥陀の悲心まねきよばひたまふに、二尊の心に信順して、水火の二河をかへりみず、念念にわするゝ事なく、かの願力に乗じて、このみちにいのちをすておはりてのち、かのくににむまるゝ事をえて、仏とあひみて、慶楽する事きわまりなからむ。行者、行住座臥の三業に修するところ、昼夜時節をとふことなく、つねにこのさとりをなし、このおもひをなすがゆへに廻向発願心といふ。また廻向といふは、かのくにゝむまれおはりて、大悲をおこして生死にかへりいりて、衆生を教化するを廻向となづく。三心すでに具すれば、行の成ぜざることなし。願行すでに成じて、もしむまれずといはゞ、このことわりある事なけむ」(散善義意)と。已上善導の釈の文なり。

〔九〕問。『阿弥陀経』の中に、「一心不乱」と候ぞかしな。これ阿弥陀仏を申さむ時、余事をすこしもおもひまぜ候まじきにや。一声念仏申さむほど、ものをおもひまぜざらむ事はやすく候へば、一念往生にはもるゝ人候はじとおぼえ候。またいのちのおはるを期として、余念なからむ事は、凡夫の往生すべき事にても候はず。この義いかゞこころえ候べき。答。善導この事を釈してのたまはく、ひとたび三心を具足してのち、みだれやぶれざる事金剛のごときにて、いのちのおはるを期とするを、なづけて一心といふと候。阿弥陀仏の本願の文に、「設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国、乃至十念。若不生者、不取正覚」(大経巻上)「隠/顕」
たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。
といふ。この文に「至心」といふは、『観経』にあかすところの三心の中の至誠心にあたれり。「信楽」といふは、深心にあたれり。これをふさねて、いのちのおはるを期として、みだれぬものを一心とは申なり。このこゝろを具せらむもの、もしは一日もしは二日、乃至一声・十声に、かならず往生する事をうといふ。いかでか凡夫のこゝろに、散乱なき事候べき。さればこそ易行道とは申ことにて候へ。『双巻経』(大経巻下)の文には、「横截五悪趣、悪趣自然閉、昇道無窮極。易往而無人」「隠/顕」
横に五悪趣を截(き)り、悪趣自然に閉ぢ、道に昇るに窮極なからん。往き易くして人なし。
ととけり。まことにゆきやすき事、これにすぎたるや候べき。劫をつみてむまるといはゞ、いのちもみじかく、みもたえざらむ人、いかゞとおもふべきに、本願に「乃至十念」(大経巻上)といふ、願成就の文に「乃至一念もかの仏を念じて、こゝろをいたして廻向すれば、すなわちかのくににむまるゝ事をう」(大経巻下意)といふ。造悪のものむまれずといはゞ、『観経』の文に、五逆の罪人むまるととく。もしよもくだり、人のこゝろもおろかなる時は、信心うすくしてむまれがたしといはゞ、『双巻経』(大経巻下)の文に、「当来之世経道滅尽、我以慈悲哀愍、特留此経止住百歳。其有衆生値此経者、随意所願皆可得度。」「隠/顕」
当来の世に経道滅尽せんに、われ慈悲をもつて哀愍して、特にこの経を留めて止住すること百歳せん。それ衆生ありてこの経に値ふものは、意の所願に随ひてみな得度すべし
{云々}その時の衆生は三宝の名をきく事なし、もろもろの聖教は竜宮にかくれて一巻もとゞまることなし。たゞ悪邪无信のさかりなる衆生のみあり、みな悪道におちぬべし。弥陀の本願をもちて、釈迦の大悲ふかきゆへに、この教をとゞめたまひつる事百年なり。いはむや、このごろはこれ末法のはじめなり。万年のゝちの衆生におとらむや。かるがゆへに「易往」といふ。しかりといゑども、この教にあふものはかたく、またおのづからきくといゑども、信ずる事かたきがゆへに、しかれば、「無人」といふ、まことにことわりなるべし。『阿弥陀経』(意)に、「もしは一日もしは二日、乃至七日、名号を執持して一心不乱なれば、その人命終の時に、阿弥陀仏もろもろの聖衆と現にその人のまへにまします。おはる時、心不顚倒して、阿弥陀仏の極楽国土に往生する事をう」といふ。この事をときたまふ時に、釈迦一仏の所説を信ぜざらむ事をおそれて、「六方の如来、同心同時におのおの広長の舌相をいだして、あまねく三千大千世界におほいて、もしこの事そらごとならば、わがいだすところの広長の舌やぶれたゞれて、くちにかへりいる事あらじ」(観念法門)とちかひたまひき。経の文、釈の文あらはに候、たゞよく御こゝろえ候へ。また大事を成じたまひしときは、みな証明ありき。法華をときたまひしときは、多宝一仏証明し、般若をときたまひし時は、四方四仏証明したまふ。しかりといゑども、一日七日の念仏のごときに証誠のさかりなる事はなし。仏もこの事をことに大事におぼしめしたるにこそ候めれ。

〔十〕問。信心のやうはうけたまはりぬ、行の次第いかゞ候べき。答。四修をこそは本とする事にて候へ。一には長時修、二には慇重修、また恭敬修となづく、三には无間修、四には无余修なり。一に長時修といふは、慈恩の『西方要決』(意)にいはく、「初発心よりこのかた、つねに退転なきなり」。善導は、「いのちのおはるを期として、誓て中にとゞまらざれ」(礼讚)といふ。二に恭敬修といふは、極楽の仏法僧宝において、つねに憶念して尊重をなすなり。『往生要集』にあり。また『要決』(意)にいはく、「恭敬修、これにつきて五あり。一には有縁の聖人をうやまふ、二には有縁の像と教とをうやまふ、三には有縁の善知識をうやまふ、四には同縁の伴をうやまふ、五には三宝をうやまふ。一に有縁の聖人をうやまふといふは、行住座臥西方をそむかず、涕唾便利西方にむかはざれといふ。二に有縁の像と教とをうやまふといふは、弥陀の像をあまねくつくりもかきもせよ。ひろくする事あたはずは、一仏二菩薩をつくれ。また教をうやまふといふは、『弥陀経』等を五色の袋にいれて、みづからもよみ他をおしえてもよませよ。像と経とを室のうちに安置して、六時に礼讚し、香華供養すべし。三に有縁の善知識をうやまふといふは、浄土の教をのべむものおば、もしは千由旬よりこのかた、ならびに敬重し親近し供養すべし。別学のものおも総じてうやまふこゝろをおこすべし。もし軽慢をなさば、つみをうる事きわまりなし。すゝめても衆生のために善知識となりて、かならず西方に帰する事をもちゐよ。この火宅に住せば、退没ありていでがたきがゆへなり。火界の修道はなはだかたきがゆへに、すゝめて西方に帰せしむ。ひとたび往生をえつれば、三学自然に勝進しぬ。万行ならびにそなわるがゆへに、弥陀の浄国は造悪の地なし。四に同縁の伴をうやまふといふは、おなじく業を修するものなり。みづからはさとりおもくして独業は成ぜりといゑども、かならずよきともによりて、まさに行をなす。あやうきをたすけ、あやうきをすくふ事、同伴の善縁なり、ふかくあひたのみておもくすべし。五に木のかたぶきたるが、たうるゝには、まがれるによるがごとし。ことのさわりありて、西にむかふにおよばずは、たゞ西にむかふおもひをなすにはしかず」。三に无間修といふは、『要決』(意)に云、「つねに念仏して往生のこゝろをなせ。一切の時において、こゝろにつねにおもひたくむべし。たとへばもし人他に抄掠せられて、身下賤となりて艱辛をうく。たちまちに父母をおもひて、本国にはしりかへらむとおもふて、ゆくべきはかりごと、いまだわきまへずして他郷にあり、日夜に思惟す。苦たえしのぶべからず、時としても本国をおもはずといふことなし。計をなすことえて、すでにかへりて達することをえて、父母に親近して、ほしきまゝに歓娯するがごとし。行者またしかなり。往因の煩悩に善心を壊乱せられて、福智の珍財ならびに散失して、ひさしく生死にしづみて、六道に駆馳して、苦身心をせむ。いま善縁にあひて、弥陀の慈父をきゝて、まさに仏恩を念じて、報尽を期として、こゝろにつねにおもふべし。こゝろにあひつぎて余業をまじえざれ」。四に无余修といふは、『要決』にいはく、「もはら極楽をもとめて礼念するなり。諸余の行業を雑起せざれ。所作の業は日別に念仏すべし」。善導ののたまはく、「専かの仏の名号を念じ、専礼し、もはらかの仏およびかの土の一切の聖衆等をほめて、余業をまじえざれ。専修のものは百はすなわち百ながらむまれ、雑修のものは百が中にわづかに一二なり。雑縁にねがひつきぬれば、みづからもさえ、他の往生の正行おもさうるなり。なにをもてのゆへに。われみづから諸方をみきくに、道俗解行不同にして、専雑ことなり。たゞこゝろをもはらになさば、十はすなわち十ながらむまる。雑修のものは、一もえず」(礼讚意)といふ。また善導釈してのたまはく、「西方浄土の業を修せむとおもはむものは、四修おつる事なく、三業まじわる事なくして、一切の諸願を廃して、たゞ西方の一行と一願とを修せよ」(群疑論巻四意)とこそ候へ。
〔十一〕問。一切の善根は魔王のためにさまたげらる。これはいかゞして対治し候べき。答。魔界といふものは、衆生をたぶろかすものなり。一切の行業は、自力をたのむがゆへ也。念仏の行者は、みおば罪悪生死の凡夫とおもへば、自力をたのむ事なくして、たゞ弥陀の願力にのりて往生せむとねがふに、魔縁たよりをうる事なし。観慧をこらす人にも、なほ空界の魔事ありといふ。弥陀の一事には、もとより魔事なし、観人清浄なるがゆへにといへり。仏をたぶろかす魔縁なければ、念仏のものおばさまたぐべからず、他力をたのむによるがゆへに、百丈の石をふねにおきつれば、万里の大海をすぐといふがごとし。または念仏の行者のまへには、弥陀・観音つねにきたりたまふ。廿五の菩薩、百重千重護念したまふに、たよりをうべからず。

〔十二〕問。阿弥陀仏を念ずるに、いかばかりの罪おか滅し候。答。「一念によく八十億劫の生死の罪を滅す」(観経意)といひ、また「但聞仏名二菩薩名、除无量億劫生死之罪」「隠/顕」
ただ仏名・二菩薩名を聞くだに、無量劫の生死の罪を除く。
(観経)など申候ぞかし。
〔十三〕問。念仏と申候は、仏の色相・光明を念ずるは、観仏三昧なり。報身を念じ同体の仏性を観ずるは、智あさくこゝろすくなきわれらが境界にあらず。答。善導ののたまはく、「相を観ぜずして、たゞ名字を称せよ。衆生障重して、観成ずる事かたし。このゆへに大聖あはれみて、称名をもはらにすゝめたまへり。こゝろはかすかにして、たましひ十方にとびちるがゆへなり」(礼讚意)といふ。本願の文を、善導釈してのたまはく、「若我成仏、十方衆生願生我国、称我名号、下至十声、乗我願力、若不生者、不取正覚。彼仏今現在成仏。当知、本誓重願不虚、衆生称念必得往生」「隠/顕」
もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。
(礼讚)とおほせられて候。とくとく安楽の浄土に往生せさせおはしまして、弥陀・観音を師として、法華の真如実相平等の妙理、般若の第一義空、真言の即身成仏、一切の聖教、こゝろのまゝにさとらせおはしますべし。

(二八)

武蔵津戸三郎への御返事

御ふみくはしくうけたまはり候ぬ。たづねおほせたびて候事ども、おほやうしるし申候。くまがやの入道・つのとの三郎は、無智のものなればこそ、念仏おばすゝめたれ、有智の人にはかならずしも念仏にかぎるべからずと申よしきこえて候覧、きわめたるひが事に候。そのゆへは、念仏の行は、もとより有智・無智にかぎらず、弥陀のむかしちかひたまひし本願も、あまねく一切衆生のため也。無智のためには念仏を願じ、有智のためには余のふかき行を願じたまへる事なし。十方衆生のために、ひろく有智・无智、有罪・无罪、善人・悪人、持戒・破戒、たふときもいやしきも、男も女も、もしは仏在世、もしは仏滅後の近来の衆生、もしは釈迦の末法万年ののち三宝みなうせての時の衆生まで、みなこもりたる也。また善導和尚の、弥陀の化身として専修念仏をすゝめたまへるも、ひろく一切衆生のためにすゝめて、无智のものにかぎる事は候はず。ひろき弥陀の願をたのみ、あまねき善導のすゝめをひろめむもの、いかでか無智の人にかぎりて、有智の人をへだてむや。もししからば、弥陀の本願にもそむき、善導の御こゝろにもかなふべからず。さればこの辺にまうできて、往生のみちをとひたづね候人には、有智・無智を論ぜず、みな念仏の行ばかりを申候也。しかるにそらごとをかまへて、さやうに念仏を申とゞめむとするものは、このさきのよに、念仏三昧、浄土の法門をきかず、後世にまた三悪道にかへるべきもの、しかるべくして、さやうの事おばたくみ申候事にて候なり。そのよし聖教にみなみえて候也。

「見有修行起瞋毒 方便破壊競生怨
如此生盲闡提輩 毀滅頓教永沈淪
超過大地微塵劫 未可得離三途身」「隠/顕」
修行することあるを見ては瞋毒を起し、方便破壊して競ひて怨を生ず。かくのごとき生盲闡提の輩は、頓教を毀滅して永 く沈淪す。大地微塵劫を超過すとも、いまだ三塗の身を離るることを得べからず。
(法事讚巻下)

と申たる也。この文のこゝろは、浄土をねがひ念仏を行ずるものをみては、瞋をおこし毒心をふうみて、はかり事をめぐらし、やうやうの方便をなして、念仏の行を破て、あらそひて怨をなし、これをとゞめむとするなり。かくのごときの人は、むまれてよりこのかた、仏法のまなこしひて、仏の種をうしなへる闡提の輩なり。この弥陀の名号をとなえて、ながき生死をたちまちにきりて、常住の極楽に往生すといふ頓教の法をそしりほろぼして、この罪によりて、ながく三悪にしづむといえるなり。かくのごときの人は、大地微塵劫をすぐとも、むなしく三悪道のみをはなるゝ事をうべからずといえるなり。さればさやうに妄語をたくみて申候覧人は、かへりてあはれむべきものなり。さほどのものゝ申さむによりて、念仏にうたがひをなし、不審をおこさむものは、いふにたらざるほどの事にてこそ候はめ。おほかた弥陀に縁あさく、往生に時いたらぬものは、きけども信ぜず、行ずるをみては腹をたて、いかりを含て、さまたげむとすることにて候也。そのこゝろをえて、いかに人申候とも、御こゝろばかりはゆるがせたまふべからず。あながちに信ぜざらむは、仏なほちからおよびたまふまじ。いかにいはむや、凡夫ちからおよぶまじき事也。かゝる不信の衆生のために、慈悲をおこして利益せむとおもふにつけても、とく極楽へまいりてさとりひらきて、生死にかへりて誹謗不信のものをわたして、一切衆生あまねく利益せむとおもふべき事にて候也。このよしを御こゝろえておはしますべし。
〔一〕一 一家の人々の善願に結縁助成せむこと、この条左右におよび候はず、(もっとも)しかるべく候。念仏の行をさまたぐる事をこそ、専修の行に制したる事にて候へ。人々のあるいは堂おもつくり、仏おもつくり、経おもかき、僧おも供養せむには、ちからをくわへ縁をむすばむが、念仏をさまたげ、専修をさふるほどの事は候まじ。
〔二〕一 この世のいのりに、仏にも神にも申さむ事は、そもくるしみ候まじ。後世の往生、念仏のほかにあらず、行をするこそ念仏をさまたぐれば、あしき事にて候へ。この世のためにする事は、往生のためにては候はねば、仏・神のいのり、さらにくるしかるまじく候也。
〔三〕一 念仏を申させたまはむには、こゝろをつねにかけて、口にわすれずとなふるが、めでたきことにては候なり。念仏の行は、もとより行住座臥・時処諸縁をきらわざる行にて候へば、たとひみもきたなく、口もきたなくとも、こゝろをきよくして、わすれず申させたまはむ事、返々神妙に候。ひまなくさやうに申させたまはむこそ、返々ありがたくめでたく候へ。いかならむところ、いかならむ時なりとも、わすれず申させたまはゞ、往生の業にはかならずなり候はむずる也。そのよしを御こゝろえて、おなじこゝろならむ人には、おしえさせたまふべし。いかなる時にも申さざらむをこそ、ねうじて[77]まふさばやとおもひ候べきに、申されむをねうじて申させたまはぬ事は、いかでか候べき、ゆめゆめ候まじ。たゞいかなるおりもきらはず申させたまふべし。あなかしこ、あなかしこ。
〔四〕一 御仏おほせにしたがひて、開眼してくだしまいらせ候。阿弥陀の三尊つくりまいらせさせたまひて候なる、返々神妙に候。いかさまにも、仏像をつくりまいらせたるは、めでたき功徳にて候也。
〔五〕一 いま一いふべき事のあるとおほせられて候は、なに事にか候覧、なむ条はゞかりか候べき、おほせ候べし。
〔六〕一 念仏の行あながちに信ぜざる人に論じあひ、またあらぬ行ことさとりの人にむかひて、いたくしゐておほせらるゝ事候まじ。異学・異解の人をえては、これを恭敬してかなしめ、あなづる事なかれと申たることにて候也。されば同心に極楽をねがひ、念仏を申さむ人に、たとひ塵刹のほかの人なりとも、同行のおもひをなして、一仏浄土にむまれむとおもふべきにて候なり。阿弥陀仏に縁なくて、浄土にちぎりなく候はむ人の、信もおこらず、ねがはしくもなく候はむには、ちからおよばず。たゞこゝろにまかせて、いかなる行おもして、後生たすかりて、三悪道をはなるゝ事を、人のこゝろにしたがひて、すゝめ候べきなり。またさわ候へども、ちりばかりもかなひ候ぬべからむ人には、弥陀仏をすゝめ、極楽をねがふべきにて候ぞ。いかに申候とも、このよの人の極楽にむまれぬ事は候まじき事にて候也。このあひだの事おば、人のこゝろにしたがひて、はからふべく候なり。いかさまにも人とあらそふことは、ゆめゆめ候まじ。もしはそしり、もしは信ぜざらむものをば、ひさしく地獄にありて、また地獄へかへるべきものなりとよくよくこゝろえて、こわがらで、こしらふべきにて候か。またよもとはおもひまいらせ候へども、いかなる人申候とも、念仏の御こゝろなむど、たぢろぎおぼしめす事あるまじく候。たとひ千の仏世にいでゝ、まのあたりおしえさせたまふとも、これは釈迦・弥陀よりはじめて、恒沙の仏の証誠せさせたまふ事なればとおぼしめして、こゝろざしを金剛よりもかたくして、このたびかならず阿弥陀仏の御まへにまいりなむとおぼしめすべく候也。かくのごときの事、かたはし申さむに、御こゝろえて、わがため人のためにおこなはせたまふべし。あなかしこ、あなかしこ。

九月十八日 源空
つのとの三郎殿御返事

つのとの三郎といふは、武蔵国の住人也。おほご[78]・しのや[79]・つのと[80]、この三人は聖人根本の弟子なり。つのとは生年八十一にて自害して、めでたく往生をとげたりけり[81]。故聖人往生のとしとてしたりける。もし正月廿五日などにてやありけむ、こまかにたづね記すべし。

康元元丙辰十一月八日
愚禿親鸞{八十四歳}書之


脚 注

  1. 半三身(はん-さんしん)。三身とは法身・報身と応身(化身)の三身だが、応身を「応身」と「化身」に分けた場合に半三身というか。半には二つに分けるという意味もある。→三身
  2. 華厳経に、仏・菩薩(ぼさつ)の得る十種の仏身。衆生身・国土身・業報身・声聞身・縁覚身・菩薩身・如来身・智身・法身・虚空身を解境の十仏、正覚仏・願仏・業報仏・住持仏・化仏・法界仏・心仏・三昧仏・性仏・如意仏を行境の十仏という。
  3. 修因感果(しゅいんかんか) 因を修して果を感ず。善の因を修し、その各々の業力の作用により応ずべき果を感得すること。ここでは法蔵菩薩の修因感果を指す。
  4. 即ち生じ乃至三生に必ず往生を得。 『漢語灯録』には「造佛功德即決定往生業因次生及三生必得往生也(造仏の功徳は即ち決定往生の業因なり、次生及び三生には必ず往生を得る也)」とある。
  5. 智光の曼陀羅。奈良の元興寺に伝わる智光が感得したという曼荼羅の図像に基づいて作られた浄土曼荼羅の総称。
  6. 風(ふ)。おもむき、様子。
  7. おもはく。思うことには。思ふのク用法。
  8. 静照(じょうしょう)(~1003)の『四十八願釈』の第十九願の解釈に「雖聞称名 皆得往生。然命終時 心多顛倒。弘誓大悲 不得晏然 故与大衆 現其人前。(称名を聞きて皆な往生すといえども、しかるに命終の時、心おおく顛倒す。弘誓の大悲、晏然(あんぜん)(安らかで落ち着いた様子) たるを得ざるが故に、大衆とともに其の人の前に現ず。)」 ➡『四十八願釈』とある。
  9. 薬師(やくし)琉璃光(るりこう)如来本願功徳経』に「また次に曼殊室利よ、若し四衆の苾芻(びっしゅ)(比丘)・苾芻尼(びっしゅに)(比丘尼)・鄔波索迦(うばそか)(優婆塞)・鄔波斯迦(うばしか)(優婆夷)、及び余の浄信の善男子・善女人等有りて、能く八分斎戒を受持すること、或は一年を経、或は復三月、学処を受持すること有らん。
    此の善根を以て、西方極楽世界 無量寿仏の所に生れて、正法を聴聞せんことを願い、未だ定まらざる者、若し世尊、薬師瑠璃光如来の名号を聞かば、命終の時に臨んで八大菩薩有り、其の名を文殊師利菩薩・観世音菩薩・得大勢菩薩・無尽意菩薩・宝檀華菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・弥勒菩薩と曰う。 八大菩薩は空に乗じて来りて其の道路を示し、即ち彼の界、種種の雑色の衆の寳華の中に於て、自然に化生せん。 SAT とある。
  10. 御廟の僧正。源信僧都の師である慈恵大師良源のこと。良源は第十九願をもって浄土往生の本願とされた。参考:「良源僧正は、第十八願は五逆と誹謗を犯していない凡夫の往生を誓った願であるが、その往生業は深妙ではないから臨終の来迎が誓われていない。それに引き替え第十九願に臨終来迎が誓われているのは、菩提心を発し、諸の功徳を修した勝れた行者であるからであって、当然第十八顧より第十九願の方が深妙な往生業が誓われている。」という。(梯實圓和上『顕浄土方便化身土文類講讃』より) ➡三生果遂
  11. この文は下品上生にある文。
  12. 弓のはず。弓の弭(はず)。弓の両端の、弦の輪をかける部分。
  13. 非滅(ひめつ)現滅(げんめつ)。滅にして現に滅に非ず。
  14. なづさひ。なれ親しむ。慕いなつく。(Weblio)
  15. いやめづら(弥珍)。一段とすばらしい。きわめてめずらしい。
  16. 四弁無窮(しべん-むぐ)。仏・菩薩のもつ4種の自由自在な理解能力と表現能力を智慧の面から示した言葉。教えに精通している法無礙智、教えの表す意味内容に精通している義無礙智、いろいろの言語に精通している辞無礙智、以上の3種をもって自在に説く楽説無礙智。理解力の面から四無礙解、表現力の面から四無礙弁ともいう。ここではこのような四弁無窮なる名号を称えながら、その徳に慣れてしまっている事を指すか。
  17. 法然聖人は『選択集』の末で「三経ともに念仏を選びてもつて宗致となすのみ。」と三部経全体が選択本願念仏を明かすとみられているが、ここでは『無量寿経』を根本とみておられることがわかる。
  18. 『選択本願念仏集』で「選択とはすなはちこれ取捨の義なり」とある。『無量寿経の』摂取の語では、選び捨てるの意味が出ないため異訳の『大阿弥陀経』の選択の語に依られ「選択本願念仏」とされた。
  19. 無双(むそう)。二つ(双)とないこと。並ぶものがないほどすぐれていることの意。
  20. 『往生礼讃』の原文の「彼仏今現在成仏」から世の字を省くのが御開山の特長である。それは御開山が法然聖人から『選択本願念仏集』の伝授をうけた際に真筆をもつて書いて下さった文に「世」の字を脱していたからであろう。(化巻 P.472)
  21. 不回向といふ。本願の念仏は阿弥陀仏が往生行として選定されたもの(順彼仏願故)であるから、行者が回向する必要はない。また「亦是発願回向之義」として、南無阿弥陀仏には発願回向の義があるので不回向であるとされた。親鸞聖人はこの意をうけて、それは本願力回向の行信であるとされた。
  22. 阿弥陀仏の第二十願には「設我得仏 十方衆生 聞我名号 係念我国 植諸徳本 至心廻向 欲生我国 不果遂者 不取正覚(たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん。果遂せずは、正覚を取らじ)」と不果遂者(果遂せずは~)の語がある。源信僧都の師である慈恵大師は『極楽浄土九品往生義』で、第十八願で除かれる、五逆を造り正法を誹謗した罪業の深い者は、順次生で罪の償いをしたあと、その次の生(順後生)には浄土へ往生できるから経文に不果遂者とあるのだとされていた。この意を「三生の内にかならず果遂すべし」というのであろう。 →hwiki:三生果遂#三生果遂
    なお、御開山は、第二十願に「至心廻向」とある文に依って、阿弥陀仏から回向される正定業の〔なんまんだぶ〕を称える行為を、自力によって阿弥陀仏に回向して往生しようとする自力念仏であるとされ、真実報土ではなく仏智を疑う者の往生する方便化土往生の「植諸徳本(もろもろの徳本を植える)の願」であるとされておられる。また果遂の語は、第二十願から第十八願へ転入させる「果遂の誓」であるともみられていた。
  23. 仮令通計(けりょう-つげ)。仮に(仮令)大まかに計算(通計)してみると。
  24. 義、意釈。文の当面の意味ではなく文の義によって文の意味を解釈すること。ここでの「九品往生」とは「かくのごとく釈せり」とあるので、慈恵大師良源の『九品往生義』を指すか。→hwiki:三生果遂#三生果遂
  25. 現在と、次の生と、その次の三生を越えることはないということ。
  26. 『阿弥陀経』には、舎利弗、若有人、已発願、今発願、当発願欲生阿弥陀仏国者、是諸人等、皆得不退転於阿耨多羅三藐三菩提、於彼国土、若已生、若今生、若当生。是故舎利弗、諸善男子・善女人、若有信者、応当発願生彼国土。
    舎利弗、もし人ありて、すでに発願し、いま発願し、まさに発願して、阿弥陀仏国に生ぜんと欲はんものは、このもろもろの人等、みな阿耨多羅三藐三菩提を退転せざることを得て、かの国土において、もしはすでに生れ、もしはいま生れ、もしはまさに生れん。このゆゑに舎利弗、もろもろの善男子・善女人、もし信あらんものは、まさに発願してかの国土に生るべし。
    とある。
  27. 『阿弥陀経』などの往生浄土をを説く浄土門の経典と、この世でさとりを目指す聖道門の教えを説く『法華経』の教説は、法門の綱格そのものの論理の立て方が違うのであるから比較を論ずるまでもないということ。
  28. 浄土宗という宗名をつけられたとき参照された『hwiki:西方要決釈疑通規』にある、地蔵菩薩に対しての記述があるのを参照されておられるのであろうか。
  29. ここでの観法とは「宝樹等を観ぜば」とあるように『観経』に説かれる定善十三観のこと。もちろん当時流行の本覚法門の真如観をも指している。『和語灯録』の一百四十五箇条問答では「これは恵心のと申て候へとも、いらぬ物にて候也。 おほかた真如観は、われら衆生は、えせぬ事にて候程に、往生のためには、成へきともおもはれぬことにて候へは、無益に候」とされている。
  30. 一切やうなき事也。やう(様)。様式。様子。手本。模範など、それらしいさまをいう。◇時代は下るが『標註一言芳談抄』には、法然聖人の言葉として「稱名念佛は。樣なきを樣とす。身の振舞。心の善惡をも沙汰せず。念比に申せば往生する也」とある。晩年の親鸞聖人が御消息などでよく使用された「如来の誓願には義なきを義とす」とは、法然聖人にうけたまわったという「義なきを義とす」の文を思わせる法語である。
  31. 元来、第十八の至心信楽欲生我国は、至心に信楽して我が国に生まれんと欲(おもえ)えと、一連で読むべきを、至心と信楽と欲生の三心に分けて見られたのは法然聖人である。つまり、『大経』の至心を『観経』の至誠心と、同じく、信楽を深心と、欲生我国を迴向発願心に合わせられたのである。これは『選択本願念仏集』に先立つ、法然聖人の『観無量寿経釈』の「此經三心 即同本願三心 謂至心者即至誠心也 信樂者即深心也 欲生我國者即迴向發願心也(この経の三心は、すなわち本願の三心と同じ。いわく至心は至上心なり、信楽は深心なり、欲生我国はすなわち回向発願心なし)」の文から解かる。
  32. 法然聖人は、息慮凝心廃悪修善の要門と、第十八願の本願を(たの)みて念仏する弘願門は、別の法義であると見られていたことが判る。◇参照:ある人問ていはく、つねに廃悪修善のむねを存して念仏すると、つねに本願のむねをおもひて念仏するといづれかすぐれて候。答ての給はく、廃悪修善は、これ諸仏の通誡なりといへども、当世のわれらことごとく違背せり。若し別意の弘願に乗ぜすは、生死をはなれがたきものか。『和語灯録』「諸人伝説の詞」
  33. 法然聖人は、自身の回心の原点である善導大師を「善導和尚は偏に浄土をもつて宗となして、聖道をもつて宗となさず。ゆゑに偏に善導一師に依る」(選択集p.1289)と、偏依善導(へんね-ぜんどう)とされて『観経』を中心として浄土教を理解しておられた。しかし、善導大師の思想の根底は『無量寿経』の本願に立脚されていることは自明のことと思われていたのである。この底意を正確に継承し、法然聖人が『選択集』で「三経一論」と挙げられた『浄土論』と、その注釈書である曇鸞大師の『浄土論註』によって『無量寿経』主体のご法義を展開されたのが御開山であった。ともあれ、ここでは『無量寿経』の第十八願や本願成就文には臨終の業事成弁を説かれていないから、往生が決定するのは臨終と平生に通じていると見られていたことが判る。来迎を説く第十九願や『観経』の教説と違って『無量寿経』の本願には、往生決定について臨終と平生の区別を説かれていないからである。これはまた『観経』の「念仏衆生摂取不捨」の平生業成の平生の意から導出されることでもあった。なんまんだぶ なんまんだぶ 
  34. この文では、往生が決定(業成)するのは、信心(心念)一発する時であるとされている。法然聖人も御開山も、名号を称する時、往生が定まるとは言われていなかった。本願に選択された願力回向の〔なんまんだぶ〕の名号を、私の往生の業因と領解し受け入れた時、浄土往生は定まるのであった。これを御開山は信心正因といわれ、その相続行を「真実の信心はかならず名号を具す」(信巻 P.245)といわれたのであった。この意を「正信念仏偈」で、本願名号正定業(本願の名号は、正しく往生の決定する行業である)。至心信楽願為因(その行法を受けいれた第十八願の信心を往生の正因とする)、とされたのである。
  35. 如意輪の法。罪障を消滅するために如意輪観音を本尊として行なう修法。(コトバンク)
  36. 永観の『往生拾因』の一、広大善根故に「不簡身浄不浄。不論心専不専。称名不絶必得往生(身の浄・不浄を簡ばず、心の専・不専を論ぜず、称名絶えざれば必ず往生を得)とある。
  37. 第十九願の意を、諸行(聖道門)の者を浄土門へ誘引して第十八願に帰せさせる為であるとする見方は、御開山の三願真仮論の淵源であろうと思われる。
  38. まさに雑毒を棄捨すべしとは、一声一念なおこれを具せば、実心の相無きなり。内を翻して外を矯(ため)るとは、たとい外相不法なれども内心真実にして、往生を願ずれば往生を遂ぐべきなりと。◇『智度論』には「当棄捨雑毒」の文しかなく、「一声一念猶具之以下」は、「当棄捨雑毒」の説明であろう。なお『智度論』では「当棄捨雑毒」になっているので「業」は「棄」の写誤であろう。*以下の深信釈の次に、また至誠心釈が来るので、『観無量寿経』以下の文は別の法語の文章が紛れ込んだのかも。
  39. 法然聖人は〔観経疏』玄義分の「今此観経 即以観仏三昧為宗 亦以念仏三昧為宗(いまこの『観経』はすなはち観仏三昧をもつて宗となし、また念仏三昧をもつて宗となす)」の文を、亦の語によって『観経』は、観仏の観仏三昧を説き、また別に、なんまんだぶの念仏三昧を説く、一経に二宗を説く経典であると見られていた。善導大師が『観経疏』の結論で「上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり」と、観経は〔なんまんだぶ〕を称する経典であるとされたからである。御開山が『観経』を念観両宗(*)とされた所以である。
  40. 高僧和讃に、
    源空みづからのたまはく
     霊山会上にありしとき
     声聞僧にまじはりて
     頭陀を行じて化度せしむ
    とある。
  41. 高僧和讃に、
    命終その期ちかづきて
     本師源空のたまはく
     往生みたびになりぬるに
     このたびことにとげやすし
    とある。
  42. れう、料。目的。理由。ためなどの意。
  43. 天人五衰として知られる。天界にいる天人が、長寿の末に迎える死の直前に現れる五つの兆しのこと。この天人の五衰の時の苦悩に比べると、地獄で受ける苦もその16分の1に満たないという。『正法念経』
  44. うらうら。心ののどかなさま。うららかに。のどかに。ほがらかに。はからいなく。
  45. 一声の行の一念を決定往生の一念とし、二声以降を報恩の称名とする一念業因、多念報恩説があったことが判る。この説を誤解すると最初の一念(一声)に固執して、多念の称名を否定する悪しき一念義に陥る。選択本願の称名は一声一声が無上の功徳であり、法然聖人は「信をば一念にむまるととりて、行をは一形にはげむべし。」(『和語灯録』禅勝房にしめす御詞 )と、されていた。いわゆる、信心正因、称名報恩説も、このような一念義の思想の傾向を受けた説であろう。
  46. とづかず。途着かずで、信心が至りとどいていないという意味か。
  47. 念仏は本願に誓われてある行であるから、それを受け容れて念仏している者は、信心の有る無しを論ずることなく往生するのである。
  48. 仏智深きが故に我が領解を浅しとする立場。蓮如上人に「細々に信心の溝をさらへて、弥陀の法水を流せ」(御文章2-1)とあるのもその意であろう。
  49. 法然聖人には、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」(徒然草所収)という法語があるが、念仏往生の願によって〔なんまんだぶ〕を称える者は、すでに本願を受け容れた行者である。自らの心が拵えた疑いという枠を越えた世界から、届けられ行じられる行業であるから、念仏〔なんまんだぶ〕すれば、自然に往生の業因は決定するのであった。
  50. すこしく判りにくいので三機の文章の構造を表記した。
    1.信心が確定した機、
      ①「精進の機」
        一には弥陀の本願を縁ずるに、━━┓
                        ┣━2.信心と行相を兼ねた機
        二には上にいふがごとく   ━━┛
      ②「懈怠の機」
        「精進の機」
          精進といふは、常本願の縁ぜらるべき也。
        「懈怠の機」
          懈怠のものといふは、衆務にさまたげられもせよ、
    3.行相のみの機
  51. この約束は仏と仏との約束(本願)であって、衆生との約束ではないからこちら側の思いは雑じえない。
  52. この最初の一念の解釈が一念義とされるか。親鸞聖人の信一念釈における初発の義に近い。
  53. ひま。物と物との間で、ここでは黒雲の間からという意。
  54. 総願(そうがん)。別願に対する語で大乗菩薩が発す総括的な願。四弘誓願がこれにあたる。
  55. 別願(べつがん)。仏・菩薩が独自に建てる特別な誓願。別意の願ともいう。善導大師は「玄義分」で「しかるに娑婆の化主(釈尊)、その請によるがゆゑに、すなはち広く浄土の要門を開く。安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰す。」と、『観経』は釈尊の教説と阿弥陀仏の別意の弘願をとく経であるとされた。なお、源信僧都は「第十八の願は別願のなかの別願」とされた。
  56. 阿弥陀仏の本願に、我が名である、なんまんだぶを称えた者を、我が浄土へ生まれさせしむとあるから余仏の名号に簡異して勝れている。
  57. 言総意別(言は総じて意は別なり)。願という言葉によってまとめて説かれているが、その意味はそれぞれ別だということ。別願という固有名詞で表現することを本願と普通名詞であらわすという意。
  58. 体用(たい-ゆう)。仏教で使われる概念で本体とその作用のこと。現象(事)とその内奥の本体(理)のこと。用ははたらきの意。たとえば、水と水面に起こる波を考察すれば、水は「体」であり波はその「用」であるというようなもの。
  59. 成仏したらむ時の名。なんまんだぶのこと。
  60. 覚如上人の『執持鈔』に「本願や名号、名号や本願、本願や行者、行者や本願」とあるのは、これを引用されたのであろうか。
  61. 心にしっかり本願を思い浮かべないで称える念仏の意。縁ずるとは、対象を認識するという意味。
  62. あると思って。(生(あ)らす、生ずるの意か)。
  63. 薫物(たきもの)。衣に薫ずるために焚く香のこと。
  64. 因中説果(いんちゅう-せっか)。因の中に果を説くこと。果として得べき事を因において表現すること。ここでは、観世音菩薩・大勢至菩薩を勝友とするのは因において果を説く因中説果ということ。
  65. 「一一光明 遍照十方世界」であるなら、諸行の者も照らすであろうに、どうして念仏者だけを照らすというのであろうかという自問。
  66. みとき。見解き。見て解すること。
  67. ほとおど。ほとんど。
  68. 『礼讃』の「上尽一形下至十声一声等」と「定得往生、乃至一念無有疑心」を合わせた文。
  69. 悪しき一念義。称名の一声または信の一念で往生は定まるのであるから、その後の称名相続は不要であるといふ理解。このような理解は一念で往生は定まっているのであるから、行または信の一念の後の悪はさわりにならないといふ造悪無碍に陥りやすい。ある意味で「悪は往生にさわりにならない」といふ思想は、「仏教の戒律」によって、存在そのものが悪であると規定されていた当時の民衆にとっては、称名の一声または信の一念で、この苦悩苦難の生の後に安養の極楽浄土への往生は定まるといふ法然聖人の立教された浄土教(浄土宗)は大衆の心を捉えたのであった。そこから往生浄土の一念の後には造悪無碍といふ発想が惹起するのであった。なお法然聖人は、「信おば一念に生るととり、行おば一形をはげむべしとすゝめたまへる」(或人念仏之不審聖人奉問次第) と、信心の相続としての「行」である(なんまんだぶ)の相続をお勧めであった。ドグマとしての信一念に固執する「信心正因」派は、これが判らんのであった。
  70. 法然聖人の、このような『観経』の九品に対する見方が、親鸞聖人の「大願清浄の報土には品位階次をいはず。」(信巻末)という見解につながっていく。◇それにしても、「いそぎまいりてみるべし」とは面白い発想であり、浄土は有・無を論ずるものではなく、往くか往かないかが問題なのだということであろう。
  71. 「浄土真宗聖典(註釈版第二版)」の『安心決定鈔』に四種往生の事として詳述あり。
  72. 至誠心を賢善精進であると取り違えることへの誡め。「不得外現賢善精進之相内懐虚仮」を、外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて、と訓ぜられた親鸞聖人に近い発想である。
  73. なお、現在の『西方要決』原文には、「三空九断之文。理幽言博。十地五修之教。義奥詞繁。功非一簣之能。業成数載之慮。豈刹那之分。念積塵沙。方宣九有之奇。心恒造境。境述二無之妙。識恋邪魔。将崇達妄之由。生期分促。待植会真之智。死路非運。未若屏慮持斎。息多聞広業。安神慧浦。興少学之軍修。運竭穢方。渉遥邦之上苑。霊居浄国。託妙質於金台。同至道於慈顔。折疑何停。」とあるので取意の文か。
  74. 『法華経』化城喩品に出てくる大通智勝仏に縁を結ぶこと。大通智勝仏が三千塵点劫の昔に出現して『法華経』を説いたときに、十六人の王子がいた。釈尊もその一人とされる。この王子たちがそれぞれの場所で『法華経』を説き、六百万億恒河沙等の衆生を導いたという。これを大通覆講と言う。この時に、法を聞いた衆生を大通結縁の衆という。
  75. ひがゐむ。僻縁(ひがえん)か。僻んだ考え方。
  76. 出家していれば、釈尊が入滅してから五十六億七千万年を経た時、弥勒菩薩が兜率天からこの世に下生して、竜華樹の下で成道し、大衆のために開くというで三回の説法の会座に会えるということ。
  77. ねうじて。心に念じて。念(ネウ)ず。
  78. おほご。上野国の武士、大胡太郎実秀。
  79. しのや。相模国の武士、渋谷道遍。
  80. つのと。源頼朝の武士(御家人)、津戸三郎為守。
  81. 自害(じがい)。キリスト教では、人は神によって造られた創造物であるから、自殺することは、神への反逆だとされていた。自殺は創造主である神への反逆であるから神への最大の冒涜の罪なのであった。しかして仏教の輪廻といふ思想は、あらゆる生きとし生ける者は、わたくしであったといふ自己認識の上に展開される生であって自殺や他殺や自然死といふドリブン(契機)をあまり重視しない。いわゆる時間論で云へばキリスト教は有始有終(初めが有り終りが有る)だが、仏教では無始無終(はじめ無く終わりも無い)の時間論であるからである。