信罪福心
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
文証として『無量寿経』では、以下のように罪福を信じて善本を修習するという胎生の因が説かれている経文を引文しておられる。 ただし、「化巻」であるから仏智疑惑を戒めることが主であり一部文言を乃至されて引文しておられる。以下の文字の薄いところが乃至された部分である。
【7】 またのたまはく(大経・下)、
「その胎生のものの処するところの宮殿は、あるいは百由旬、あるいは五百由旬なり。おのおのそのなかにしてもろもろの快楽を受くること忉利天上のごとくにして、またみな自然なり」と。
【43】 そのときに慈氏菩薩(弥勒)、仏にまうしてまうさく、「世尊、なんの因、なんの縁ありてか、かの国の人民、胎生・化生なる」と。 仏、慈氏に告げたまはく、「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修してかの国に生れんと願はん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。 しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。
弥勒、まさに知るべし。かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑなり。 その胎生のものはみな智慧なし。
【45】 仏、弥勒に告げたまはく、「たとへば、転輪聖王のごとき、別に七宝の宮室(牢獄)ありて種々に荘厳し、床帳を張設し、もろもろの繒旛を懸く、もしもろもろの小王子ありて、罪を王に得れば、すなはちかの宮中(獄)に内れて、繋ぐに金鎖をもつてす、
仏、弥勒に告げたまはく、
「このもろもろの衆生もまたまたかくのごとし。仏智を疑惑せしをもつてのゆゑに、かの〔胎生の〕宮殿に生じん。(て、)
もしこの衆生、その本の罪を識りて、深くみづから悔責して、かの処を離れんことを求めん。(ば、)
弥勒、まさに知るべし。 それ菩薩ありて疑惑を生ずるものは、大利を失すとす。