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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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慈信
 
慈信
  
 生没年代未詳。親鸞聖人の子息、<ruby><rb>善鸞</rb><rp>(</rp><rt>ぜんらん</rt><rp>)</rp></ruby>のこと。長男とも次男ともいわれる。ながく聖人のもとにあったが、建長の初期、東国門侶の<ruby><rb>[[EXC:諍論|諍論]]</rb><rp>(</rp><rt>じょうろん</rt><rp>)</rp></ruby>が生じたため、親鸞聖人に代って関東に下ったが、かえって[[異義]]をとなえたので同八年(1256)親鸞聖人は書状をもって[[EXC:義絶|義絶]]された。
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 生没年代未詳。親鸞聖人の子息、<ruby><rb>[[善鸞]]</rb><rp>(</rp><rt>ぜんらん</rt><rp>)</rp></ruby>のこと。長男とも次男ともいわれる。ながく聖人のもとにあったが、建長の初期、東国門侶の<ruby><rb>[[EXC:諍論|諍論]]</rb><rp>(</rp><rt>じょうろん</rt><rp>)</rp></ruby>が生じたため、親鸞聖人に代って関東に下ったが、かえって[[異義]]をとなえたので同八年(1256)親鸞聖人は書状をもって[[EXC:義絶|義絶]]された。
  
 
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2005年10月28日 (金) 15:01時点における最新版

慈信

 生没年代未詳。親鸞聖人の子息、善鸞(ぜんらん)のこと。長男とも次男ともいわれる。ながく聖人のもとにあったが、建長の初期、東国門侶の諍論(じょうろん)が生じたため、親鸞聖人に代って関東に下ったが、かえって異義をとなえたので同八年(1256)親鸞聖人は書状をもって義絶された。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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