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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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ほうべん
 
ほうべん
  
 梵語ウパーヤ(upāya)の漢訳。近づく、到達するの意で、巧みな方法を用いて<ruby><rb>衆生</rb><rp>(</rp><rt>しゅじょう</rt><rp>)</rp></ruby>を導くこと。
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 梵語ウパーヤ(upāya)の漢訳。近づく、到達するの意で、巧みな方法を用いて<kana>衆生(しゅじょう)</kana>を導くこと。
各宗の教学で種々に分類解釈されるが、浄土真宗では、<ruby><rb>権仮</rb><rp>(</rp><rt>ごんけ</rt><rp>)</rp></ruby>方便と<ruby><rb>善巧</rb><rp>(</rp><rt>ぜんぎょう</rt><rp>)</rp></ruby>ほうべんとの二種類が用いられる。
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各宗の教学で種々に分類解釈されるが、浄土真宗では、<kana>権仮(ごんけ)</kana>方便と<kana>善巧(ぜんぎょう)</kana>ほうべんとの二種類が用いられる。
#権仮方便。真実の法に入らしめるために仮に設けた法門のこと。方便の<ruby><rb>願</rb><rp>(</rp><rt>がん</rt><rp>)</rp></ruby>、方便の<ruby><rb>行信</rb><rp>(</rp><rt>ぎょうしん</rt><rp>)</rp></ruby>、方便<ruby><rb>仮身土</rb><rp>(</rp><rt>けしんど</rt><rp>)</rp></ruby>というようなものがこれに相当する。この方便は、一度真実に入ったならば不要となり廃されるため<ruby><rb>暫用還廃</rb><rp>(</rp><rt>ざんゆうげんぱい</rt><rp>)</rp></ruby>(暫(しばら)<ruby><rb>用</rb><rp>(</rp><rt>もち</rt><rp>)</rp></ruby>いて<ruby><rb>還</rb><rp>(</rp><rt>かえ</rt><rp>)</rp></ruby>りて<ruby><rb>廃</rb><rp>(</rp><rt>はい</rt><rp>)</rp></ruby>す)の法といわれる。
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#権仮方便。真実の法に入らしめるために仮に設けた法門のこと。方便の<kana>願(がん)</kana>、方便の<kana>行信(ぎょうしん)</kana>、方便<kana>仮身土(けしんど)</kana>というようなものがこれに相当する。この方便は、一度真実に入ったならば不要となり廃されるため<kana>暫用還廃(ざんゆうげんぱい)</kana><kana>(しばら)</kana><kana>用(もち)</kana>いて<kana>還(かえ)</kana>りて<kana>廃(はい)</kana>す)の法といわれる。
#善巧方便。仏・菩薩が<ruby><rb>衆生</rb><rp>(</rp><rt>しゅじょう</rt><rp>)</rp></ruby>をさとりに導くために、衆生の素質や能力に応じて巧みに<ruby><rb>教化</rb><rp>(</rp><rt>きょうけ</rt><rp>)</rp></ruby>する大悲の具現としての手段、方法。→[[補註15]]。
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#善巧方便。仏・菩薩が<kana>衆生(しゅじょう)</kana>をさとりに導くために、衆生の素質や能力に応じて巧みに<kana>教化(きょうけ)</kana>する大悲の具現としての手段、方法。→[[補註15]]。
  
 
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2005年10月29日 (土) 09:14時点における版

ほうべん

 梵語ウパーヤ(upāya)の漢訳。近づく、到達するの意で、巧みな方法を用いて衆生(しゅじょう)を導くこと。 各宗の教学で種々に分類解釈されるが、浄土真宗では、権仮(ごんけ)方便と善巧(ぜんぎょう)ほうべんとの二種類が用いられる。

  1. 権仮方便。真実の法に入らしめるために仮に設けた法門のこと。方便の(がん)、方便の行信(ぎょうしん)、方便仮身土(けしんど)というようなものがこれに相当する。この方便は、一度真実に入ったならば不要となり廃されるため暫用還廃(ざんゆうげんぱい)(しばら)(もち)いて(かえ)りて(はい)す)の法といわれる。
  2. 善巧方便。仏・菩薩が衆生(しゅじょう)をさとりに導くために、衆生の素質や能力に応じて巧みに教化(きょうけ)する大悲の具現としての手段、方法。→補註15
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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