「補註14」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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女性を罪深く、不浄であるとする考えは、現代の一般社会にもみられるが、これは男性中心の考え方であり、女性差別の思想であるといえよう。 | 女性を罪深く、不浄であるとする考えは、現代の一般社会にもみられるが、これは男性中心の考え方であり、女性差別の思想であるといえよう。 | ||
− | また「女人・<ruby><rb>聾</rb><rp>(</rp><rt>ろう</rt><rp>)</rp></ruby>・盲」などの言葉が譬喩としてよく使われるが、その多くは悪い意味で使われている。たとえば、『論註』(上)に、浄土にはそしり、嫌われるような名さえもないということをあらわすのに、「人の<ruby><rb>諂曲</rb><rp>(</rp><rt>てんごく</rt><rp>)</rp></ruby>なると、あるいはまた<ruby><rb> | + | また「女人・<ruby><rb>聾</rb><rp>(</rp><rt>ろう</rt><rp>)</rp></ruby>・盲」などの言葉が譬喩としてよく使われるが、その多くは悪い意味で使われている。たとえば、『論註』(上)に、浄土にはそしり、嫌われるような名さえもないということをあらわすのに、「人の<ruby><rb>諂曲</rb><rp>(</rp><rt>てんごく</rt><rp>)</rp></ruby>なると、あるいはまた<ruby><rb>儜弱</rb><rp>(</rp><rt>にょうじゃく</rt><rp>)</rp></ruby>なるを、<ruby><rb>譏</rb><rp>(</rp><rt>そし</rt><rp>)</rp></ruby>りて女人といふがごとし。また<ruby><rb>眼</rb><rp>(</rp><rt>まなこ</rt><rp>)</rp></ruby>あきらかなりといへども事を<ruby><rb>識</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby>らざるを、譏りて盲人といふがごとし。また耳<ruby><rb>聴</rb><rp>(</rp><rt>き</rt><rp>)</rp></ruby>くなりといへども義を聴きて解らざるを、譏りて聾人といふがごとし。(中略)かくのごとき等ありて、根具足せりといへども譏嫌の名あり」といい、世間では、女性や、障害者のすがたをそしり嫌うことの譬喩として用いているといわれるものなどがそれである。 |
このように女性や心身に障害のある者をそしりの言葉として用いることは、今もなお行われているが、たとえ譬喩としてであれ、女性や心身に障害をもつ人を差別することは大きな誤りである。 | このように女性や心身に障害のある者をそしりの言葉として用いることは、今もなお行われているが、たとえ譬喩としてであれ、女性や心身に障害をもつ人を差別することは大きな誤りである。 |
2005年11月2日 (水) 10:55時点における版
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『
ここでいわれる譏嫌とは、成仏できないものとして嫌われることを意味していたが、『
その聖典が成立した当時の社会にあっては、女人や根欠を卑しいものとみる社会通念が支配的であった。そうした中にあって仏国の平等性をあらわすことによって、差別の社会通念を破り、女人や根欠に救いをもたらそうとした教説である。
二乗とは
釈尊は
ところが、後世の教団では五障三従説を唱えて、女性は仏になれないとしたのである。五障説とは、
三従説とは、『マヌ法典』に、「婦人は幼にしてはその父に、若き時はその夫に、夫死したる時はその子息に従うべし。婦人は決して独立を享受すべからず」とあるもので、仏教教団もこの思想に多分に影響されて五障説を唱え、五障三従の教説が成立したのである。そうした中、『
このように女性が一度男性になってから仏になるというのは、父権制社会のきびしい差別の中で、仏になれないとされた女性に成仏の道があることを示したものである。
女性を罪深く、不浄であるとする考えは、現代の一般社会にもみられるが、これは男性中心の考え方であり、女性差別の思想であるといえよう。
また「女人・
このように女性や心身に障害のある者をそしりの言葉として用いることは、今もなお行われているが、たとえ譬喩としてであれ、女性や心身に障害をもつ人を差別することは大きな誤りである。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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