「兼縁」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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けんえん | けんえん | ||
− | (1468-1543)[[蓮如]]上人の第十六子(第七男) | + | (1468-1543)[[蓮如]]上人の第十六子(第七男)。法名<kana>蓮悟(れんご)</kana>。 |
− | + | 兄蓮乗を継いで[[加賀]](現在の石川県南部)<kana>二俣(ふたまた)</kana>の本<kana>泉寺(ほんせんじ)</kana>に入り、のち同国若松に本泉寺を開いて兼任した。さらに同国に崎田坊、中頭坊、清沢坊を開いた。 | |
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+ | 加賀門徒の中心的存在として活躍し、蓮如上人の信任も厚かったが、享録四年(1531)の[[大小一揆]]に敗れて能登(現在の石川県北部)に逃れ、隠居して<kana>慶光坊(きょうこうぼう)</kana>と称した。[[証如]]上人の勘気を受けたまま、天文十二年(1543)<kana>和泉堺津(いずみさかいのつ)</kana>(現在の大阪府堺市)で没した。 | ||
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著書に『蓮如上人御物語次第』がある。 | 著書に『蓮如上人御物語次第』がある。 | ||
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2005年11月5日 (土) 17:00時点における版
けんえん
(1468-1543)蓮如上人の第十六子(第七男)。法名
兄蓮乗を継いで加賀(現在の石川県南部)
加賀門徒の中心的存在として活躍し、蓮如上人の信任も厚かったが、享録四年(1531)の大小一揆に敗れて能登(現在の石川県北部)に逃れ、隠居して
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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著書に『蓮如上人御物語次第』がある。