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「内外明闇」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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 「[[散善義]]」の当分は内心と外相、智明と愚闇。
 
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 親鸞聖人は内・明は出世(<kana>聖者(しょうじゃ)</kana>)、外闇は世間(<kana>凡夫(ぼんぶ)</kana>)、また明は智明(智者)、闇は無明(愚者)の意とする。([[信巻本#P--217|信巻 P.217]], [[愚禿下#P--518|愚禿 P.518]])
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 親鸞聖人は内・明は出世(<kana>聖者(しょうじゃ)</kana>)、外闇は世間(<kana>凡夫(ぼんぶ)</kana>)、また明は智明(智者)、闇は無明(愚者)の意とする。([[信巻本#P--217|信巻 P.217]], [[愚禿下#P--518|愚禿下 P.518]])
  
 
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2007年12月27日 (木) 14:50時点における版

ないげみょうあん

 「散善義」の当分は内心と外相、智明と愚闇。

 親鸞聖人は内・明は出世(聖者(しょうじゃ))、外闇は世間(凡夫(ぼんぶ))、また明は智明(智者)、闇は無明(愚者)の意とする。(信巻 P.217, 愚禿下 P.518)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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