「補註7」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
11行目: | 11行目: | ||
なお「信巻」(末)には、『大経』(下)の「聞其名号 (その名号を聞きて)」の「聞」を釈して、「聞といふは、衆生、仏願の<kana>生起(しょうき)</kana><kana>本末(ほんまつ)</kana>を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり」といい、名号のいわれを<kana>正(まさ)</kana>しく聞き開いたことが信心であるといわれている。これを「<kana>聞即信(もんそくしん)</kana>」といい、これによって他力<kana>回向(えこう)</kana>の信心は名号すなわち如来の<kana>招喚(しょうかん)</kana>の<kana>勅命(ちょくめい)</kana>を聞いて成就するものであることがあきらかになる。 | なお「信巻」(末)には、『大経』(下)の「聞其名号 (その名号を聞きて)」の「聞」を釈して、「聞といふは、衆生、仏願の<kana>生起(しょうき)</kana><kana>本末(ほんまつ)</kana>を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり」といい、名号のいわれを<kana>正(まさ)</kana>しく聞き開いたことが信心であるといわれている。これを「<kana>聞即信(もんそくしん)</kana>」といい、これによって他力<kana>回向(えこう)</kana>の信心は名号すなわち如来の<kana>招喚(しょうかん)</kana>の<kana>勅命(ちょくめい)</kana>を聞いて成就するものであることがあきらかになる。 | ||
− | ([[真要鈔#P--967|真要鈔 P.967]]) | + | ([[真要鈔#P--967|真要鈔 P.967]],[[真要鈔#P--981| P.981]]) |
2008年1月13日 (日) 22:30時点における版
7 信の一念・聞
親鸞聖人は『大経』(下)の第十八願成就文に、「あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんこと、
つまり、阿弥陀仏の本願を聞いて疑いなく信受する信心が開け
信の一念について、また「信巻」(末)には、「一念といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ」とある。これを前の時剋の一念に対して信相の一念という。信相とは、信心のすがたという意味であり、阿弥陀仏の救済をふたごころなく疑いなく信ずることをまた一念というのである。
なお「信巻」(末)には、『大経』(下)の「聞其名号 (その名号を聞きて)」の「聞」を釈して、「聞といふは、衆生、仏願の
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。