操作

「永観」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
1行目: 1行目:
(ようかん)
+
ようかん
  
  (1033-1111)。南都三論宗の浄土教の学僧。文章博士(もんじょうはかせ)源国経(みなもとのくにつね)の子で、十一歳の時禅林寺深観(じんかん)に師事し、翌年東大寺で具足戒を受け、三論、法相(ほっそう)の教義を学ぶ。その後東大寺別所の光明山寺(こうみょうせんじ)に入って念仏をこととしたが、四十歳の時に禅林寺に帰り、東南院を構え、念仏の教えを勧めた。六十八歳の時、東大寺別当職に補せられたが、一住持二年だけ勤めて禅林寺に帰り、八十歳で入寂した。著書に『往生十因』一巻『往生講式』一巻などがある。
+
 (1033-1111)。南都三論宗の浄土教の学僧。<kana>文章博士(もんじょうはかせ)</kana><kana>源国経(みなもとのくにつね)</kana>の子で、十一歳の時禅林寺<kana>深観(じんかん)</kana>に師事し、翌年東大寺で具足戒を受け、三論、<kana>法相(ほっそう)</kana>の教義を学ぶ。その後東大寺別所の<kana>光明山寺(こうみょうせんじ)</kana>に入って念仏をこととしたが、四十歳の時に禅林寺に帰り、東南院を構え、念仏の教えを勧めた。六十八歳の時、東大寺別当職に補せられたが、一住持二年だけ勤めて禅林寺に帰り、八十歳で入寂した。著書に『[[往生十因]]』一巻『往生講式』一巻などがある。
  
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 
----
 
----
 +
[[Category:巻末註]]

2012年7月3日 (火) 22:19時点における版

ようかん

 (1033-1111)。南都三論宗の浄土教の学僧。文章博士(もんじょうはかせ)源国経(みなもとのくにつね)の子で、十一歳の時禅林寺深観(じんかん)に師事し、翌年東大寺で具足戒を受け、三論、法相(ほっそう)の教義を学ぶ。その後東大寺別所の光明山寺(こうみょうせんじ)に入って念仏をこととしたが、四十歳の時に禅林寺に帰り、東南院を構え、念仏の教えを勧めた。六十八歳の時、東大寺別当職に補せられたが、一住持二年だけ勤めて禅林寺に帰り、八十歳で入寂した。著書に『往生十因』一巻『往生講式』一巻などがある。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。