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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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と、されておられるように見とは仏教に反する、見解、思想、主義、主張などをいうことが多い。<br>
 
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「脚註」は、当面の言葉についての文脈上の注釈であり、辞書的に使うと誤解をまねく場合もある。
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「脚註」は、文脈上の当面の言葉についての注釈であり、辞書的に使うと誤解をまねく場合もある。
「本文」の「空見の人」の脚注では、「あらゆるものの体はもともと実体があるのではなく、空であると知った人。」と、なっている。「空見の人はすなはち有にあらずとす」の言葉で、阿闍世が無根の信を生じた因として「空見の人」という言葉を積極的に解釈しようとするのであろう。ただし通常は「空見」とは、空に執着して仏教の因果を否定する、六師外道の富蘭那のような思想を指す。
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「本文」の「空見の人」の脚注では、「あらゆるものの体はもともと実体があるのではなく、空であると知った人。」と、なっている。「空見の人はすなはち有にあらずとす」の言葉で、阿闍世が無根の信を生じた因として「空見の人」という言葉を積極的に解釈しようとするのであろう。論じられている、有と無の対立する言葉に対して空見という言葉によって空の思想を評価しようとしたのかもしれない。ただし通常は「[[空見]]」とは、空に執着して仏教の因果を否定する、六師外道の富蘭那のような思想を指す。また、空にとらわれて有の差別相をみることができない、小乗のさとりをいう場合もある。→[[実際]]
  
 
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#空見の人(罪悪の体は空なるものと見て、その空に執着する人。)
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#無有見( 第二の有見に反対する人。有見を否定した人のこと。)
 
#無有見( 第二の有見に反対する人。有見を否定した人のこと。)
  
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以上の四種の人について有/無の二見を、論理的に四種に分けて考察している。罪の存在を「有」において論じている。<br>
 
次いで常見の人、無常見の者、常常見の者をあげ、罪についての「常」(恒常性)について考察している。
 
次いで常見の人、無常見の者、常常見の者をあげ、罪についての「常」(恒常性)について考察している。
  

2014年8月10日 (日) 16:54時点における最新版

空見の人

御開山は「信巻末」p.265で、

偽といふは、すなはち六十二見・九十五種の邪道これなり。

と、されておられるように見とは仏教に反する、見解、思想、主義、主張などをいうことが多い。
「脚註」は、文脈上の当面の言葉についての注釈であり、辞書的に使うと誤解をまねく場合もある。 「本文」の「空見の人」の脚注では、「あらゆるものの体はもともと実体があるのではなく、空であると知った人。」と、なっている。「空見の人はすなはち有にあらずとす」の言葉で、阿闍世が無根の信を生じた因として「空見の人」という言葉を積極的に解釈しようとするのであろう。論じられている、有と無の対立する言葉に対して空見という言葉によって空の思想を評価しようとしたのかもしれない。ただし通常は「空見」とは、空に執着して仏教の因果を否定する、六師外道の富蘭那のような思想を指す。また、空にとらわれて有の差別相をみることができない、小乗のさとりをいう場合もある。→実際

  1. 空見の人(罪悪の体は空なるものと見て、その空に執着する人。)
  2. 有見の人(あらゆるものに固定した実体があると考える人。)
  3. 有有見の者(有において有を見る者。有見にさらに執着する人。)
  4. 無有見( 第二の有見に反対する人。有見を否定した人のこと。)

以上の四種の人について有/無の二見を、論理的に四種に分けて考察している。罪の存在を「有」において論じている。
次いで常見の人、無常見の者、常常見の者をあげ、罪についての「常」(恒常性)について考察している。


見を参照
けん 

Ⅰ.梵語ドリシュティ(dṛṣṭi)の訳。考えおしはかり、ものごとに対して見解を定めること。見解、思想、主義、主張、正見、邪見などと用いるが、多くの場合間違った見解を指す。煩悩に五見(五利便)を数え、また二見、七見、十見などに分類する。

① 二見。有見無見、または断見と常見を二見という。これは五見の中の辺見にあたる。
② 七見。

  1. 邪見 (因果の理の否定)、
  2. 我見 (我があるとする見)、
  3. 常見 (身心の常住に執着すること)、
  4. 断見 (身心の断滅に執着すること)、、
  5. 戒盗見 (戒禁取見のことで、よこしまな戒律を正しいとして、それに執着すること)、
  6. 果盗見 (よこしまな行為によって得た結果を正しいものとして執着すること)、
  7. 疑見 (真理を疑うこと)の七。

五見に貪見・恚見・慢見・無明見・疑見を加えて十見または十種見という。

③ 非仏教的な間違った見解を四見、六十二見(梵網経の説)などに分類する。四見とは、いわゆる四句分別によってすべての外道の説を網羅したもので、例えば「世界は常住」·「無常」·「常住であって無常」·「常住でも無常でもない」とする四つの誤った見解などをいう。また邪因邪果・無因有果・有因無果・無因無果の四つの誤った主張をも四見という。

Ⅱ.梵語ダルジャナ(darśana)の訳。見ること。例えば、見諦は四諦の道理を明らかに見ること。見仏は仏に値見する(お目にかかる)こと。(仏教語辞典)

◆ 参照読み込み (transclusion) WDM:けん

darśana दर्शन,dṛṣṭi दृष्टि,paśyati पश्यति (S)

 狭義には眼根(器官)の作用すなわち視覚をいうが、広義には認識作用一般の意味に用い、とくに真理(法)を見るという実践において重要な意義がある。

 すでに原始仏教において八正道の徳目の第1に正見が掲げられている。また四諦等の真理を見る実践である見道が、大乗・小乗の修行体系において重要なポイントになっている。
 さらに真理(法)と仏とは一体であることから、信仰の立場において、仏を見るという実践が行われ、大乗仏教の一部においては、『観無量寿経』など見仏を主題とする経典も作成された。

五見

 (dṛṣṭi)が誤った見解、邪見など悪い意味に用いられることもある。すでに初期経典において外道の誤った見解を六十二見にまとめ、そのほか見の名のもとに種々の悪見が説かれている。それらが説一切有部阿毘達磨において整理されて、有身見辺執見邪見見取見戒禁取見五見にまとめられた。
 五見は唯識法相宗においては煩悩心所の中に含められている。

慧の心所

 このように見は正見・邪見の両方にまたがるが、そのものの作用を抽出すれば正邪善悪にかかわらないものといえる。したがって阿毘達磨(倶舎宗)および唯識(法相宗)では、見は識知・判断・推理等をなすの心所〔善悪にかかわらないもので阿毘達磨では十大地法、唯識では別境心所の中に収める〕の作用とみなされている。


anu-paś: abhi-jñā: upa-labh: darśana: darśin: dṛś: dṛṣṭa: dṛṣṭi: paś: sam-dṛś (S)

 人間の4つの認識作用()の一つ。眼で見るという認識作用一般をいう。あるいは、対象を追求・推理するこころの働きをいう。

 眼は能く色を見る。
 天眼が色境に於て能照・能観するを説いて名づけて見と為す。
 審慮為先、決度、名見。〔『倶舎』2、T29.10c〕

 あやまった見解。不正な見方。悪見・不正見とおなじ。6つの根本煩悩悪見)の一つで、薩迦耶見辺執見邪見見取見戒禁取見の5つをいう。『梵網経』などに説かれる六十二見もあやまった見解である。


 正しい見解。正見という。


 と対比される見。の一種。一つ一つの教え(別法)を対象として修する奢摩他毘鉢舎那のなかでの慧。〔『解深密経』3,T16-700c〕:〔『瑜伽師地論』86、T30-780c~781a〕

 若縁総法、修奢摩他毘鉢舎那、所有妙慧、是名為智。若縁別法修奢摩他毘鉢舎那、所有妙慧、是名為見。〔『瑜伽』77、T30-726b〕

abhisamaya: darśana: pari-jñā (S)

 真理を見る、さとる働き。

 諸の諦理を見る。
 勝義諦を見る。
 諸仏を見る。

参照WEB版浄土宗大辞典の「五見」の項目

  1. 身見(自己を実体視し、とらわれる誤った見解)、
  2. 辺見(あらゆる事物を実に有るとか無いとかみなし、極端にとらわれる誤った見解。有見・無見または常見・断見のこと)、
  3. 邪見(因果の道理を否定する誤った見解)、
  4. 見取見(誤った白己の見解を最上のものとみなす見解)、
  5. 戒禁取見(仏教以外の戒律などを解脱の因とみなす誤った見解)の五。