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「安心門」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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善導大師の『往生礼讃』に、安心・起行・作業とある所から、何に心を安定させ安心させるかを論ずることを安心門という。この安心門の立場では、安心は廃立にありとして、徹底して仮のもの(権)を廃し捨てて、真実(実)を立てる。<br />
 
善導大師の『往生礼讃』に、安心・起行・作業とある所から、何に心を安定させ安心させるかを論ずることを安心門という。この安心門の立場では、安心は廃立にありとして、徹底して仮のもの(権)を廃し捨てて、真実(実)を立てる。<br />
 
親鸞聖人は、「真仏土」で、「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。」([[顕浄土真仏土文類#真仮対弁]])と示されている。
 
親鸞聖人は、「真仏土」で、「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。」([[顕浄土真仏土文類#真仮対弁]])と示されている。
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2017年3月27日 (月) 21:42時点における版

あんじん-もん

 安心とは、心に安らぎと満足があたえられること。また、安らぎが与えられたこころの状態。門とは事物を区別して分類する語。 善導大師の『往生礼讃』に、安心・起行・作業とある所から、何に心を安定させ安心させるかを論ずることを安心門という。この安心門の立場では、安心は廃立にありとして、徹底して仮のもの(権)を廃し捨てて、真実(実)を立てる。
親鸞聖人は、「真仏土」で、「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す。」(顕浄土真仏土文類#真仮対弁)と示されている。