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「涅槃経」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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ねはんぎょう
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ねはん-ぎょう
  
 『大般涅槃経だいはつねはんぎょう』のこと。阿含部の『涅槃経』と大乗仏教の『涅槃経』とがある。
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 『<kana>大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)</kana>』のこと。阿含部の『涅槃経』と大乗仏教の『涅槃経』とがある。
  
前者は釈尊の晩年、最後の地であるクシナガラで涅槃に入る前後の事蹟を中心に説くもので、漢訳には西晋の白法祖訳『仏般泥経ぶつはつないおんぎょう』二巻などがある。
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前者は釈尊の晩年、最後の地であるクシナガラで涅槃に入る前後の事蹟を中心に説くもので、漢訳には西晋の白法祖訳『<kana>仏般泥洹経(ぶつはつないおんぎょう)</kana>』二巻などがある。
  
また大乗のものは、とくに如来常住(にょらいじょうじゅう)(如来の法身は永遠不変であること)、悉有仏性(しつうぶっしょう)(すべての衆生(しゅじょう)は仏性を有していること)が説かれ、さらに一闡提(いっせんだい)成仏を明かしている。
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また大乗のものは、とくに<kana>如来常住(にょらいじょうじゅう)</kana>(如来の法身は永遠不変であること)、<kana>悉有仏性(しつうぶっしょう)</kana>(すべての衆生)は仏性を有していること)が説かれ、さらに<kana>一闡提(いっせんだい)</kana>成仏を明かしている。
  
漢訳には東晋の法顕・仏陀跋陀羅(ぶっだばつだら)訳『大般泥経』六巻、北涼の曇無讖(どんむしん)訳『大般涅槃経』四十巻(北本という)があり、またこの北本を劉宋(りゅうそう)の慧観(えかん)・慧厳(えごん)・謝霊雲(しゃれいうん)らが法顕等訳の六巻本を参照しつつ校合した南本(三十六巻)等がある。
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漢訳には東晋の法顕・<kana>仏陀跋陀羅(ぶっだばつだら)</kana>訳『大般泥洹経』六巻、北涼の<kana>曇無讖(どんむしん)</kana>訳『大般涅槃経』四十巻(北本という)があり、またこの北本を<kana>劉宋(りゅうそう)</kana>の<kana>慧観(えかん)</kana>・<kana>慧厳(えごん)</kana>・<kana>謝霊雲(しゃれいうん)</kana>らが法顕等訳の六巻本を参照しつつ校合した南本(三十六巻)等がある。
  
 
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2017年11月4日 (土) 12:37時点における最新版

ねはん-ぎょう

 『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』のこと。阿含部の『涅槃経』と大乗仏教の『涅槃経』とがある。

前者は釈尊の晩年、最後の地であるクシナガラで涅槃に入る前後の事蹟を中心に説くもので、漢訳には西晋の白法祖訳『仏般泥洹経(ぶつはつないおんぎょう)』二巻などがある。

また大乗のものは、とくに如来常住(にょらいじょうじゅう)(如来の法身は永遠不変であること)、悉有仏性(しつうぶっしょう)(すべての衆生)は仏性を有していること)が説かれ、さらに一闡提(いっせんだい)成仏を明かしている。

漢訳には東晋の法顕・仏陀跋陀羅(ぶっだばつだら)訳『大般泥洹経』六巻、北涼の曇無讖(どんむしん)訳『大般涅槃経』四十巻(北本という)があり、またこの北本を劉宋(りゅうそう)慧観(えかん)慧厳(えごん)謝霊雲(しゃれいうん)らが法顕等訳の六巻本を参照しつつ校合した南本(三十六巻)等がある。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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