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「臨終」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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りんじゅう
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ここでは臨終のときに初めて浄土往生が<kana>決定(けつじょう)</kana>することを指す。([[消息上#P--735|御消息 P.735]])
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Ⅰ 臨命終時の略で、命の終わる時、間際のこと。
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  心の命終。 [[覚如]](かくにょ)上人は『最要鈔(さいようしょう)』において、身心の二に命終の道理があるとし、信一念の時を心(迷情の自力心)の命終とする。 ([[執持鈔#P--866|執持鈔 P.866]])
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Ⅱ ここでは臨終のときに初めて浄土往生が<kana>決定(けつじょう)</kana>することを指す。([[消息上#P--735|御消息 P.735]])
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Ⅲ 心の命終。 [[覚如]]上人は『<kana>[[最要鈔]](さいようしょう)</kana>』において、身心の二に命終の道理があるとし、信一念の時を心(迷情の自力心)の命終とする。 ([[執持鈔#P--866|執持鈔 P.866]]) →[[最要鈔]]
  
 
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2018年1月14日 (日) 19:27時点における最新版

りん-じゅう

Ⅰ 臨命終時の略で、命の終わる時、間際のこと。

Ⅱ ここでは臨終のときに初めて浄土往生が決定(けつじょう)することを指す。(御消息 P.735)

Ⅲ 心の命終。 覚如上人は『最要鈔(さいようしょう)』において、身心の二に命終の道理があるとし、信一念の時を心(迷情の自力心)の命終とする。 (執持鈔 P.866) →最要鈔

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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いのちをはらんときまで