「性信」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | (-1275)親鸞聖人の高弟。『< | + | (-1275)親鸞聖人の高弟。『<kana>交名牒(きょうみょうちょう)</kana>』によると、<kana>下総(しもうさ)</kana><kana>飯沼(いいぬま)</kana>(現在の茨城県水海道市)の住。<kana>横曽根(よこそね)</kana>門徒の中心人物で報恩寺の開基と伝えられる。建長の念仏訴訟ではその解決にあたった。 |
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+ | :(25) 六月一日の御文、くはしくみ候ひぬ。さては、鎌倉にての御訴へのやうは、おろおろうけたまはりて候ふ。この御文にたがはずうけたまはりて候ひしに、別のことはよも候はじとおもひ候ひしに、御くだりうれしく候ふ。{─後略─} ([[消息下#P--783|消息 P.783]]) | ||
+ | 等とあり、善鸞事件による性信坊の苦労をねぎらっておられる。 | ||
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2018年2月26日 (月) 22:53時点における版
しょうしん
(-1275)親鸞聖人の高弟。『
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『御消息』(25)に、
- (25) 六月一日の御文、くはしくみ候ひぬ。さては、鎌倉にての御訴へのやうは、おろおろうけたまはりて候ふ。この御文にたがはずうけたまはりて候ひしに、別のことはよも候はじとおもひ候ひしに、御くだりうれしく候ふ。{─後略─} (消息 P.783)
等とあり、善鸞事件による性信坊の苦労をねぎらっておられる。