「いふにや及ぶ」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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+ | :秋の田の 穂の上を照らす稲妻の 光の間にも我や忘る | ||
+ | ::秋の田の稲穂に光る稲妻のほんのわずかな間でさえ、あなたのことは忘れるだろうか。(いや、けっして忘れることはない)。 『古今和歌集』548。 | ||
+ | と、あるように、恋を知らない無粋な輩には誤解されやすい表現でもある(笑<br /> | ||
+ | かって念仏と観仏を混同して「行巻」引文の『五会法事讃』の偈文、 | ||
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+ | の、「禅・律いかんぞこれ正法ならん」の、疑問・反語文を、座禅して念仏し自らを律することが正法であることを示す文と誤解した輩もいたものである。ちなみに御開山はこの五会法事讃の文に拠って、『無量寿経』は、 | ||
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+ | : 自然の浄土をえぞしらぬ ([[浄土和讃#P--569|浄土 P.569]]) | ||
+ | とされておられた。なんまんだぶ なんまんだぶ | ||
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2018年8月12日 (日) 00:38時点における版
いうにやおよぶ
いうまでもない。(執持鈔 P.861)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
言うに及ばず(言うまでもない)の現代の用例と混乱しないこと。いうにやの「や」は疑問・反語の意で文語では文末だけでなく文中でも付く。
いうにやおよぶだろうか、(いやそうではない)という反語法(反対の内容を述べることによって、逆に自分の考えを相手に強く認識させる表現法。修辞法の一)。
『古今和歌集』の恋の歌に、
- 秋の田の 穂の上を照らす稲妻の 光の間にも我や忘る
- 秋の田の稲穂に光る稲妻のほんのわずかな間でさえ、あなたのことは忘れるだろうか。(いや、けっして忘れることはない)。 『古今和歌集』548。
と、あるように、恋を知らない無粋な輩には誤解されやすい表現でもある(笑
かって念仏と観仏を混同して「行巻」引文の『五会法事讃』の偈文、
- 正法能超出世間。持戒座禅名正法。
- 正法よく世間を超出す。持戒・座禅を正法と名づく。
- 念仏成仏是真宗。不取仏言名外道。
- 念仏成仏はこれ真宗なり。仏言を取らざるをば外道と名づく。
- 撥無因果見為空。正法能超出世間。
- 因果を撥無する見を空とす。正法よく世間を超出す。
- 禅律如何是正法。念仏三昧是真宗。
- 禅・律いかんぞこれ正法ならん。念仏三昧これ真宗なり。
- 見性了心便是仏。如何道理不相応。
- 性を見、心を了るはすなはちこれ仏なり。いかんが道理相応せざらん。(行巻 P.172)
の、「禅・律いかんぞこれ正法ならん」の、疑問・反語文を、座禅して念仏し自らを律することが正法であることを示す文と誤解した輩もいたものである。ちなみに御開山はこの五会法事讃の文に拠って、『無量寿経』は、
- ここをもつて如来の本願を説きて経の宗致とす、すなはち仏の名号をもつて経の体とするなり。(教巻 P.135)
と「本願為経宗致。即以仏名号為経体」とされ、その意を和讃では、
- 念仏成仏これ真宗
- 万行諸善これ仮門
- 権実真仮をわかずして
- 自然の浄土をえぞしらぬ (浄土 P.569)
とされておられた。なんまんだぶ なんまんだぶ