「永代経」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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浄土真宗では『歎異抄』第5条に「親鸞は父母の[[孝養]](追善供養)のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。」とあるように、死者の為の追善供養はしないことに留意。 | 浄土真宗では『歎異抄』第5条に「親鸞は父母の[[孝養]](追善供養)のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。」とあるように、死者の為の追善供養はしないことに留意。 | ||
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− | 一 親鸞は父母の[[孝養]]のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて[[世々生々の]]父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この[[順次生]]に仏に成りてたすけ候ふべきなり。 | + | 一 親鸞は父母の[[孝養]]のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて[[世々生々の]]父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この[[順次生]]に仏に成りてたすけ候ふべきなり。 |
わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの[[業苦]]にしづめりとも、[[神通方便]]をもつて、まづ[[有縁]]を[[度す]]べきなりと[云々]。([[歎異抄#no5|歎異抄 P.834]]) | わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの[[業苦]]にしづめりとも、[[神通方便]]をもつて、まづ[[有縁]]を[[度す]]べきなりと[云々]。([[歎異抄#no5|歎異抄 P.834]]) | ||
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2020年5月27日 (水) 15:23時点における最新版
えいたいきょう
祠堂経などともいう。 故人の命日ごとに永代に読経すること。 また、 故人を縁とした懇志をうけて特定の日に勤修(ごんしゅ)される法要のこと。 ある故人を縁とする初めての永代経法要は永代経開闢(かいびゃく) 法要といわれる。 浄土真宗では、 仏恩(ぶっとん) を報謝し聞法の機会を得る法要で、 故人への追善供養ではなく、 懇志は法座や寺院の維持存続を通して法義が永代に伝えられることを願って進納される。(浄土真宗辞典)
浄土真宗では『歎異抄』第5条に「親鸞は父母の孝養(追善供養)のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。」とあるように、死者の為の追善供養はしないことに留意。
一 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。そのゆゑは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏に成りてたすけ候ふべきなり。 わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候はめ。ただ自力をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもつて、まづ有縁を度すべきなりと[云々]。(歎異抄 P.834)
その意味では、浄土真宗での永代経の法座は、
- 夢の世に あだにはかなき 身を知れと 教えて帰る 子は知識なり(和泉式部)
とあるように、仏法を伝えてくれた先人への報恩の意味であり、「法座や寺院の維持存続を通して法義が永代に伝えられることを願って」行われる仏事である。
- →法要
- ➡永代経の由来とこころ PDF(浄土真宗本願寺派 総合研究所)