「自由の妄説」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
13行目: | 13行目: | ||
なお、釈尊は、 | なお、釈尊は、 | ||
「自灯明 法灯明(この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ。)」 | 「自灯明 法灯明(この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ。)」 | ||
− | + | と示された。→[[洲渚]] | |
+ | ➡[[JWP:自由]] | ||
[[Category:追記]] | [[Category:追記]] |
2020年7月21日 (火) 11:10時点における版
じゆ の もうせつ
勝手きままな誤った説。 (改邪鈔 P.918)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
自由といふ漢語は自らに由(よ)るという意味。由は「よる」とか「もとづく」といふ意で仏教では否定的語として用いられた。明治期の先人は、「Freedom」とか「Liberty」といふ西欧語の概念を自由と翻訳した。 そこから、
- ①他から干渉や束縛を受けない状態。「言論の―」
- ②思いのままであるさま。「―に遊ぶ」
といふ意味が派生した。
なお、釈尊は、 「自灯明 法灯明(この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず法を島とし、法をよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ。)」 と示された。→洲渚