「念仏房」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2021年2月3日 (水) 13:57時点における版
ねんぶつぼう
生没年不詳。念阿弥陀仏のこと。比叡山の僧であったが法然上人に帰依し、晩年京都嵯峨の往生院(現在の祇王寺)に住したという。(歎異抄 P.851, 御伝鈔 P.1050)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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ねんぶつぼう/念仏房
保元二年(一一五七)—建長三年(一二五一)一一月三日。念阿弥陀仏、良鎮、藤次入道ともいう。もとは比叡山の学僧であったが、法然の勧化によって念仏聖となったという。大原問答に立ち会い、法然の滅後に夢告を得たという。嵯峨の往生院(現・祇王寺)に居住し、東隣の清凉寺が焼失した際には再建に助力した。
【資料】『四十八巻伝』四八
【参考】伊藤唯眞『浄土宗の成立と展開』(吉川弘文館、一九八一)
【執筆者:齋藤蒙光】