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「三覚」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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Ⅰ 善導が『玄義分』(七祖 301)において「[[仏]]」の概念を解釈した自覚・<kana>覚他・覚行(かくぎょう)</kana><kana>窮満(ぐうまん)</kana>の三義のこと。自覚は凡夫との相違を示すもので自利の徳があるという意。覚他は[[二乗]]との相違を示すもので利他の徳があるという意。覚行窮満とは菩薩との相違を示すもので自利利他円満しているという意。  
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Ⅰ 善導が『玄義分』(七祖 301)において「[[仏]]」の概念を解釈した自覚・覚他・<kana>覚行(かくぎょう)</kana> <kana>窮満(ぐうまん)</kana>の三義のこと。自覚は凡夫との相違を示すもので自利の徳があるという意。覚他は[[二乗]]との相違を示すもので利他の徳があるという意。覚行窮満とは菩薩との相違を示すもので自利利他円満しているという意。  
  
Ⅱ 欲覚 (むさぼり)・瞋覚 (いかり)・害覚 (害を加えようとする心) の三。三想によって生じる心のはたらき。『大経』には「欲覚・瞋覚・害覚を生ぜず。 欲想・瞋想・害想を起さず」(註 26)と説かれている。
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Ⅱ 欲覚 (むさぼり)・瞋覚 (いかり)・害覚 (害を加えようとする心) の三。三想によって生じる心のはたらき。『大経』には「欲覚・瞋覚・害覚を生ぜず。 欲想・瞋想・害想を起さず」([[大経上#P--26|註 26]])と説かれている。
 
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2023年2月12日 (日) 21:52時点における最新版

さんかく 三覚 

Ⅰ 善導が『玄義分』(七祖 301)において「」の概念を解釈した自覚・覚他・覚行(かくぎょう) 窮満(ぐうまん)の三義のこと。自覚は凡夫との相違を示すもので自利の徳があるという意。覚他は二乗との相違を示すもので利他の徳があるという意。覚行窮満とは菩薩との相違を示すもので自利利他円満しているという意。

Ⅱ 欲覚 (むさぼり)・瞋覚 (いかり)・害覚 (害を加えようとする心) の三。三想によって生じる心のはたらき。『大経』には「欲覚・瞋覚・害覚を生ぜず。 欲想・瞋想・害想を起さず」(註 26)と説かれている。

自覚・覚他・覚行窮満