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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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ごびく

 釈迦が悟りを開いて鹿野苑において法を説いたとき、最初に弟子となった五人の修行者。

初転法輪

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◆ 参照読み込み (transclusion) Mbwiki:五比丘

五比丘

五比丘(ごびく、: pañca-bhikṣávaḥ)は、ゴータマ・シッダルタ(釈迦)が成道して(悟りを開いて)最初に弟子となった5人の修行者。最初期の僧伽

彼らは元々、ゴータマの父であるスッドダーナ(浄飯王)の要請によって苦行林に同行した(出家したゴータマの身辺警護のため父王の命令で派遣されたともいわれている)。彼らはともにウッダカ・ラーマプッタ仙人の下でバラモン修行を行うが、教えに満足して更なる修行を求めて出立する釈迦に同調し、ともに教団を離れた[1]。6年に渡る苦行の後、釈迦は「苦行は悟りを得る真実の道ではない」として苦行林を去り、スジャーターから乳がゆの供養を得た様子を見て、鹿野苑へ去った(苦行放棄)[1]

その後、釈迦はブッダガヤにて悟りを得、鹿野苑へ赴いて彼らへ最初に法を説いた[1]。当初、この5人の比丘は、修行を捨てた釈迦が遠くから来るのを見て、軽蔑の念を抱き歓迎を拒んだ[1]。しかし、彼が徐々に近づくと、その堂々とした姿を見て畏敬の念を抱き、自然に立ち上がって座に迎えたといわれる[1]。自らが阿羅漢であり正等覚者(仏陀)であることを宣言した釈迦は、なお教えを受けることを拒む5人を説得して最初の説法をなしたところ、阿若・憍陳如(コンダンニャ)はじめ次々とその教えを理解し預流果を得た。彼らが仏教に帰依して布教活動したことで、初期仏教教団の重要な役割を果たしたといわれる[1]。この出来事は初転法輪と呼ばれ(説法波羅奈〈せっぽうはらな〉とも)、釈尊の人生の4つの転機の1つに数えられている。

なお、5人の名前は以下の通り。

五比丘

  • 阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ、アジュニャータ・カウンディンニャ、アンニャーシ・コンダンニャ)
  • 阿説示(あせつじ、アッサジ)
  • 摩訶摩男(まかなまん、マハーナーマン)
  • 婆提梨迦(ばつだいりか、バドリカ、バッディヤ)
  • 婆敷(ばしふ、ヴァシュフ、ワッパ、ヴァッパ)

脚注

  1. ^ a b c d e f 丸山勇『ブッダの旅』岩波書店〈岩波新書〉、2007年4月20日。ISBN 978-4004310723 

関連項目