「広讃・略讃」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2024年7月9日 (火) 01:36時点における版
広讃 こうさん、略讃 りゃくさん
広讃 。 諸仏が無量寿仏(阿弥陀如来)の威神功徳の不可思議なるを讃歎すること。諸仏が衆生に名号のいわれを広く讃嘆されること。ここでの称は、ほめたたえ讃嘆することの意。ゆえに広讃は諸仏の「教」(教え)である。→教
略讃 。 称名のこと。南無阿弥陀仏(なんんまんだぶ)と讃嘆させること。称には、となえるの他に、たたえる・ほめる・かなう・はかる・ほめる・あげる等の意味がある。
『唯信鈔文意』には 第十七願文
- 設我得仏 十方世界 無量諸仏 不悉咨嗟 称我名者 不取正覚。「隠/顕」たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく咨嗟して、わが名を称せずは、正覚を取らじ。を釈し、
- 「第十七の願に、十方無量の諸仏にわがなをほめられん、となへられんと誓ひたまへる」(註 703)
と「ほめられん」といふ咨嗟と「となへられん」といふ称我名を挙げておられた。この「ほめられん」は広讃であり。「となへられん」は略讃であろう。