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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 後漢の明帝の時代、インドの迦葉<ruby><rb>摩騰</rb><rp>(</rp><rt>まとう</rt><rp>)</rp></ruby>が釈迦像を伝えたので、明帝はこれを画工に造らせて洛陽の南宮の清涼台に安置したという。「満月の容」とは釈迦像のこと。 ([[化巻末#P--464|化巻 P.464]])
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 後漢の明帝の時代、インドの迦葉<ruby><rb>摩騰</rb><rp>(</rp><rt>まとう</rt><rp>)</rp></ruby>が釈迦像を伝えたので、明帝はこれを画工に造らせて洛陽の南宮の清涼台に安置したという。「満月の容(かたち)」とは釈迦像のこと。 ([[化巻末#P--464|化巻 P.464]])
  
 
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2005年10月21日 (金) 19:40時点における最新版

せいたい

 後漢の明帝の時代、インドの迦葉摩騰(まとう)が釈迦像を伝えたので、明帝はこれを画工に造らせて洛陽の南宮の清涼台に安置したという。「満月の容(かたち)」とは釈迦像のこと。 (化巻 P.464)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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