「奢摩他」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | 梵語シャマタ(śamatha)の音写。<ruby><rb>止</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby>・<ruby><rb>止息</rb><rp>(</rp><rt>しそく</rt><rp>)</rp></ruby>・<ruby><rb>寂静</rb><rp>(</rp><rt>じゃくじょう</rt><rp>)</rp></ruby>と漢訳する。観と並べて止観といわれる。散乱した心を離れ、思いを止めて心が寂静になった状態。→[[止観]](しかん) | + | 梵語シャマタ(śamatha)の音写。<ruby><rb>止</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby>・<ruby><rb>止息</rb><rp>(</rp><rt>しそく</rt><rp>)</rp></ruby>・<ruby><rb>寂静</rb><rp>(</rp><rt>じゃくじょう</rt><rp>)</rp></ruby>と漢訳する。観と並べて止観といわれる。散乱した心を離れ、思いを止めて心が寂静になった状態。→[[止観]](しかん)。 ([[信巻本#P--242|信巻 P.242]]) |
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近年体験を重んじる若者の間で、瞑想として流行っているがちゃんとした指導者がいないと危ないと思う。 | 近年体験を重んじる若者の間で、瞑想として流行っているがちゃんとした指導者がいないと危ないと思う。 |
2005年10月9日 (日) 19:08時点における最新版
しゃまた
梵語シャマタ(śamatha)の音写。
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
近年体験を重んじる若者の間で、瞑想として流行っているがちゃんとした指導者がいないと危ないと思う。