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「後鳥羽院」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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 後鳥羽天皇(1180-1239。在位1183-1198)。承久三年(1221)、北条氏追討の院宣(いんぜん)を下して挙兵したが失敗し、隠岐に配流された(承久の乱)。 ([[歎異抄#P--855|歎異抄 P.855]]、 [[御伝鈔#P--1053|御伝鈔 P.1053]])
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 後鳥羽天皇(1180~1239。在位1183~1198)。承久三年(1221)、<kana>北条(ほうじょう)</kana>氏追討の<kana>院宣(いんぜん)</kana>を下して挙兵したが失敗し、<kana>隠岐(お き)</kana>に配流された(承久の乱)。 ([[化巻末#P--471|化巻 P.471]]、[[歎異抄#P--855|歎異抄 P.855]]、 [[御伝鈔#P--1053|御伝鈔 P.1053]])
  
 
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2019年12月6日 (金) 08:52時点における最新版

ごとばいん

 後鳥羽天皇(1180~1239。在位1183~1198)。承久三年(1221)、北条(ほうじょう)氏追討の院宣(いんぜん)を下して挙兵したが失敗し、隠岐(お き)に配流された(承久の乱)。 (化巻 P.471歎異抄 P.855御伝鈔 P.1053)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

後鳥羽天皇御作無常講式

ウィキペディア(wikipedia):承久の乱