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「弘法大師」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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こうぼうだいし
 
こうぼうだいし
  
 空海(くうかい) (774-835) のこと。 真言(しんごん)宗の開祖。 讃岐(さぬき) (現在の香川県) の人。 延暦二十三年 (804)、三十一歳で入唐(にっとう)し、翌年には長安青竜寺の恵(けい)果(か)より真言(しんごん)密(みっ)教(きょう)の秘法を授けられた。 帰国後、高(こう)野(や)山(さん)金剛(こんごう)峰寺(ぶじ)や東(とう)寺(じ) (教(きょう)王(おう)護(ご)国(こく)寺()) を拠点として、真言密教の宣布につとめた。 著書に 『即身(そくしん)(じょう)(ぶつ)(ぎ)』『声(しょう)字(じ)実相(じっそう)義(ぎ)』『吽(うん)字(じ)義(ぎ)』『弁(べん)顕密(けんみつ)二(に)教(きょう)論(ろん)』『十住(じゅうじゅう)心論(しんろん)』などがある。
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 <kana>空海(くうかい) </kana>(774-835) のこと。 真言宗の開祖。 <kana>讃岐(さぬき)</kana> (現在の香川県) の人。 延暦二十三年 (804)、三十一歳で<kana>入唐(にっとう)</kana>し、翌年には長安青竜寺の恵果より真言密教の秘法を授けられた。 帰国後、高野山金剛峰寺や東寺 (<kana>教王護国寺(きょうおうごこくじ)</kana>) を拠点として、真言密教の宣布につとめた。 著書に 『即身成仏義』『<kana>声字(しょうじ)</kana><kana>実相義(じっそうぎ)</kana>』『<kana>吽字義(うんじぎ)</kana>』『弁顕密二教論』『<kana>十住(じゅうじゅう)</kana>心<kana>論(しんろん)</kana>』などがある。
  
 
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2018年4月17日 (火) 11:50時点における最新版

こうぼうだいし

 空海(くうかい)(774-835) のこと。 真言宗の開祖。 讃岐(さぬき) (現在の香川県) の人。 延暦二十三年 (804)、三十一歳で入唐(にっとう)し、翌年には長安青竜寺の恵果より真言密教の秘法を授けられた。 帰国後、高野山金剛峰寺や東寺 (教王護国寺(きょうおうごこくじ)) を拠点として、真言密教の宣布につとめた。 著書に 『即身成仏義』『声字(しょうじ)実相義(じっそうぎ)』『吽字義(うんじぎ)』『弁顕密二教論』『十住(じゅうじゅう)(しんろん)』などがある。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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