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「帰去来」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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いざいなん
 
いざいなん
  
 さあ帰ろう。陶淵明(とうえんめい)の「帰去来辞」の中の言葉。故郷に帰る決意を述べたものであるが、ここでは浄土に生れたいという意をあらわしている。([[行巻#P--173|行巻 P.173]],[[証巻#P--312|証巻 P.312]], [[HONBUN:安心決定#P--1400|安心決定 P.1400]])
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 さあ帰ろう。<kana>陶淵明(とうえんめい)</kana>(365-427)の「<kana>帰去来辞(ききょらいのじ)</kana>」の中の言葉。故郷に帰る決意を述べたものであるが、ここでは浄土に生れたいという意をあらわす。([[行巻#P--173|行巻 P.173]],[[証巻#P--312|証巻 P.312]], [[化巻本#P--411|化巻 P.411]]、[[安心決定#P--1400|安心決定 P.1400]]、[[観経疏 定善義 (七祖)#P--406|定善義 P.406]]、[[観経疏 定善義 (七祖)#P--450|定善義 P.450]])
  
 
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「定善義」からの引文
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:又賛云
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::また讃じていはく、
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:'''帰去来'''   魔郷不可停。
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::帰去来、魔郷には停まるべからず。
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:曠劫来流転 六道尽皆逕。
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:→[[ノート:帰去来]]
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*→[[JWP:陶淵明]]
  
帰去来兮。田園将蕪胡不帰。既自以心為形役。奚惆悵而獨悲。悟已往之不諌。知來者之可追。実迷塗其未遠。覺今是而昨非。舟揺揺以軽颺。風飃飃而吹衣。問征夫以前路。恨晨光之熹微。
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<references />
  
帰去来兮(帰りなんいざ),田園将に蕪せんとす胡(なん)ぞ帰らざる,既に自ら心を以って形の役と為す,奚ぞ惆悵として獨り悲しむ,已往の諌むべかざるを悟り,來者の追う可きを知る。実に塗に迷う其れ未だ遠からず,今は是にして昨は非なるを覺える,舟揺揺として以って軽く颺り,風飃飃として衣を吹く,征夫に問う前路を以ってす,晨光の熹微なるを恨む。
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2024年6月27日 (木) 16:26時点における最新版

いざいなん

 さあ帰ろう。陶淵明(とうえんめい)(365-427)の「帰去来辞(ききょらいのじ)」の中の言葉。故郷に帰る決意を述べたものであるが、ここでは浄土に生れたいという意をあらわす。(行巻 P.173,証巻 P.312, 化巻 P.411安心決定 P.1400定善義 P.406定善義 P.450)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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「定善義」からの引文

又賛云
また讃じていはく、
帰去来   魔郷不可停。
帰去来、魔郷には停まるべからず。
曠劫来流転 六道尽皆逕。
曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとくみな経たり。
到処無余楽。唯聞生死声。
到るところに余の楽しみなし。ただ生死[1]の声を聞く。
畢此生平後 入彼涅槃城。
この生平を畢へてのち、かの涅槃の城に入らん」と。(証巻 P.312)
ノート:帰去来

  1. 原典版では生死となっているが、註釈版では『観経疏』により校訂して愁歎としている。