「蟪蛄」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | + | 『荘子』の文章は茫漠として捉えどころがないのだが、『論註』の「「蟪蛄は春秋を識らず」の出拠である『逍遙遊第一』を載せておく。 | |
+ | ;『逍遙遊第一』 | ||
+ | 北冥有魚,其名曰鯤。鯤之大,不知其幾千里也。化而為鳥,其名為鵬。鵬之背,不知其幾千里也;怒而飛,其翼若垂天之雲。是鳥也,海運則將徙於南冥。南冥者,天池也。 | ||
+ | :北冥に魚有り、其の名を鯤(コン)と為す。鯤の大いなる、其の幾千里なるを知らず。化して鳥と為る。其の名を鵬(ホウ)と為す。鵬の背、其の幾千里なるを知らず。怒して飛べば、其の翼は垂天の雲の若し。是の鳥や、海運れば則ち将に南冥に徒(うつ)らんとす。南冥とは天池なり。 | ||
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+ | 《齊諧》者,志怪者也。《諧》之言曰:「鵬之徙於南冥也,水擊三千里,摶扶搖而上者九萬里,去以六月息者也。」 | ||
+ | :斉諧(セイカイ)とは、怪を志す者なり。諧の言に曰く、鵬の南冥に徒るや、水の撃すること三千里、扶揺を搏ちて上る者九万里、去りて六月を以って息う者なり。 | ||
+ | 野馬也,塵埃也,生物之以息相吹也。天之蒼蒼,其正色邪?其遠而無所至極邪?其視下也,亦若是則已矣。 | ||
+ | :野馬や塵埃や、生物の息を以って相吹くなり。天の蒼蒼たる、其の正色か。其の遠くして至極する所無きか。其の下を視るや、亦是の若くならんのみ。 | ||
+ | 且夫水之積也不厚,則其負大舟也無力。覆杯水於坳堂之上,則芥為之舟;置杯焉則膠,水淺而舟大也。風之積也不厚,則其負大翼也無力。故九萬里,則風斯在下矣,而後乃今培風;背負青天而莫之夭閼者,而後乃今將圖南。 | ||
+ | :且つ夫れ水の積むこと厚かざれば、則ち大舟を負うに力無し。杯水を拗堂に上に覆せば、則ち芥之が舟と為るも、杯を置けば則ち膠す。水浅くして舟大きければなり。風の積むこと厚かざれば、則ち其の大翼を負うに力無し。故に九万里なれば、則ち風斯に下に在り。而る後乃今風に培れば、背に青天を追いて、之を夭閼(ヨウアツ)する者莫し。而る後乃今将に南冥を図らんとす。 | ||
+ | 蜩與鷽鳩笑之曰:「我決起而飛,槍榆枋而止,時則不至而控於地而已矣,奚以之九萬里而南為?」適莽蒼者,三餐而反,腹猶果然;適百里者,宿舂糧;適千里者,三月聚糧。之二蟲又何知! | ||
+ | :蜩(チョウ)と鷽鳩(カクキュウ)と之を笑いて曰く、我決起して飛び、楡枋に槍る。時に則ち至らずして地に控するのみ。奚ぞ之が九万里を以ってして南するを為さん、と。莽蒼に適くも者は、三飡にして反るも、腹猶お果然たり。百里に適く者は、宿に糧を舂き、千里に適く者は三月糧を聚(あつ)む、と。之の二虫又何をか知らん。 | ||
+ | 小知不及大知,小年不及大年。奚以知其然也?朝菌不知晦朔,蟪蛄不知春秋,此小年也。楚之南有冥靈者,以五百歲為春,五百歲為秋;上古有大椿者,以八千歲為春,八千歲為秋,此大年也。而彭祖乃今以久特聞,衆人匹之,不亦悲乎! | ||
+ | :小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず。奚(なに)を以って其の然るを知る。朝菌は晦朔を知らず、'''蟪蛄は春秋を知らず'''。此れ小年なり。楚の南に冥霊なる者有り。五百歳を以って春と為し、五百歳を秋と為す。上古、大椿なる者有り。八千歳を以って春と為し、八千歳を秋と為す。此れ大年也。而して彭祖は乃今久しきを以って特り聞こゆ。衆人之に匹せんとする、亦悲しからずや。 | ||
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+ | ;「現代語」 | ||
+ | この世界の北の果て、波も冥(くら)い海に魚がいて、その名は鯤という。その鯤の大きさは、いったい何千里あるのか見当もつかないほどの、とてつもない大きさだ。<br /> | ||
+ | この巨大な鯤が(時節が到来し)転身の時を迎えると、姿を変えて鳥となる。その名は鵬という。その背(せな)の広さは幾千里あるのか見当もつかない。 | ||
+ | この鵬という巨大な鳥が、一たび満身の力を奮って大空に飛びたてば、その翼の大きいこと、まるで青空を掩(おお)う雲のようだ。 | ||
+ | この鳥は、(季節風が吹き)海の荒れ狂うときになると、(その大風に乗って飛び上がり)、南の果ての海へと天翔(あまがけ)る。「南の果ての海」とは天の池である。 | ||
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+ | 齊諧(セイカイ)という人は世の中の不思議な話をしっている物識りだが、彼の話によると、「鵬が南の果ての海に移る時には、水に撃(う)つこと三千里、つむじかぜに羽ばたいて上ること九万里、六月の風に乗って天がけり去る(飛び去る)のだ」という。 かげろうか、塵埃(ジンアイ)か、生きとし生けるもののひしめきあって呼吸するこの地上の世界。その遙か上に広がる大空の深く青々とした色は、いったい大空そのものの色であろうか。それとも遠くへだたって限りがないから、そう見えるのであろうか。 鵬が九万里の高みから逆に地上の世界を見下ろすとき、やはりこのように青々と見えているに違いない。 | ||
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+ | そもそも水のたまりかたが十分深くなければ、そこに大きな舟を浮かべるのには堪えられない。杯の水をでこぼこのある床(ゆか)の上にくつがえすと、せいぜい塵芥(ちりあくた)ならそのたまり水の舟ともなろうが、そこに杯を置くと底が床についてしまう。たまり水は浅いのに舟は大きいからである。 | ||
+ | 風の集まりかたがじゅうぶん多くなければ、そこに鵬の大きな翼をのせるのには堪えられない。そこで九万里も上ってこそ翼の下にじゅうぶんな風が集まるのである。さて、そのうえではじめて、今こそ大鵬は風に乗り青々とした大空を背負って何物にもさえぎられず、そのうえではじめて、今こそ南の海を目ざそうとするのである。 | ||
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+ | 蜩(ひぐらし)と学鳩(こばと)とがそれをせせら笑っていう、「我々はふるいたって飛び上がり、楡(にれ)や枋(まゆみ)の木につきかかってそこに止まるが、それさえゆきつけない時もあって地面にたたきつけられてしまうのだ。どうして九万里もの上空に上ってそれから南方を目指したりするのだろう。(おおげさで無用なことだ)」と。 | ||
郊外の野原に出かける者(ひと)は、三食の弁当だけで帰ってきて、それでまだ満腹でいられるが、百里の旅に出る者(ひと)は、一晩かかって食糧の米をつき、千里の旅に出る者は、三か月もかかって食糧を集めて準備をする。 | 郊外の野原に出かける者(ひと)は、三食の弁当だけで帰ってきて、それでまだ満腹でいられるが、百里の旅に出る者(ひと)は、一晩かかって食糧の米をつき、千里の旅に出る者は、三か月もかかって食糧を集めて準備をする。 | ||
− | + | この小さな蜩や学鳩には(大鵬の飛翔のことなど)いったいどうして分ろうか。 | |
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+ | 狭小な知識では広大な知識は想像もつかず、短い寿命では長い寿命のは及びもつかない。 | ||
+ | どうしてそのことが分かるか。朝菌は(朝から暮れまでの命で)夜と明け方を知らず、'''蟪蛄(夏ぜみ)は(夏だけの命で)、春と秋を知らない'''。これが短い寿命である。 | ||
楚の国の南方には冥霊という木があって、五百年のあいだが生長繁茂する春で、また五百年のあいだが落葉の秋である。大昔には大椿という木があって、八千年のあいだが生長繁茂の春で、また八千年のあいだが落葉の秋であった。(これが長い寿命である) | 楚の国の南方には冥霊という木があって、五百年のあいだが生長繁茂する春で、また五百年のあいだが落葉の秋である。大昔には大椿という木があって、八千年のあいだが生長繁茂の春で、また八千年のあいだが落葉の秋であった。(これが長い寿命である) | ||
ところが、彭祖は(わずかに八百年を生きたというだけで)長寿者として大いに有名であり、世間の人々は(長寿を語れば必ず)彭祖をひきあいに出す。何と悲しいことではないか。 | ところが、彭祖は(わずかに八百年を生きたというだけで)長寿者として大いに有名であり、世間の人々は(長寿を語れば必ず)彭祖をひきあいに出す。何と悲しいことではないか。 | ||
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2017年7月3日 (月) 15:29時点における最新版
『荘子』の文章は茫漠として捉えどころがないのだが、『論註』の「「蟪蛄は春秋を識らず」の出拠である『逍遙遊第一』を載せておく。
- 『逍遙遊第一』
北冥有魚,其名曰鯤。鯤之大,不知其幾千里也。化而為鳥,其名為鵬。鵬之背,不知其幾千里也;怒而飛,其翼若垂天之雲。是鳥也,海運則將徙於南冥。南冥者,天池也。
- 北冥に魚有り、其の名を鯤(コン)と為す。鯤の大いなる、其の幾千里なるを知らず。化して鳥と為る。其の名を鵬(ホウ)と為す。鵬の背、其の幾千里なるを知らず。怒して飛べば、其の翼は垂天の雲の若し。是の鳥や、海運れば則ち将に南冥に徒(うつ)らんとす。南冥とは天池なり。
《齊諧》者,志怪者也。《諧》之言曰:「鵬之徙於南冥也,水擊三千里,摶扶搖而上者九萬里,去以六月息者也。」
- 斉諧(セイカイ)とは、怪を志す者なり。諧の言に曰く、鵬の南冥に徒るや、水の撃すること三千里、扶揺を搏ちて上る者九万里、去りて六月を以って息う者なり。
野馬也,塵埃也,生物之以息相吹也。天之蒼蒼,其正色邪?其遠而無所至極邪?其視下也,亦若是則已矣。
- 野馬や塵埃や、生物の息を以って相吹くなり。天の蒼蒼たる、其の正色か。其の遠くして至極する所無きか。其の下を視るや、亦是の若くならんのみ。
且夫水之積也不厚,則其負大舟也無力。覆杯水於坳堂之上,則芥為之舟;置杯焉則膠,水淺而舟大也。風之積也不厚,則其負大翼也無力。故九萬里,則風斯在下矣,而後乃今培風;背負青天而莫之夭閼者,而後乃今將圖南。
- 且つ夫れ水の積むこと厚かざれば、則ち大舟を負うに力無し。杯水を拗堂に上に覆せば、則ち芥之が舟と為るも、杯を置けば則ち膠す。水浅くして舟大きければなり。風の積むこと厚かざれば、則ち其の大翼を負うに力無し。故に九万里なれば、則ち風斯に下に在り。而る後乃今風に培れば、背に青天を追いて、之を夭閼(ヨウアツ)する者莫し。而る後乃今将に南冥を図らんとす。
蜩與鷽鳩笑之曰:「我決起而飛,槍榆枋而止,時則不至而控於地而已矣,奚以之九萬里而南為?」適莽蒼者,三餐而反,腹猶果然;適百里者,宿舂糧;適千里者,三月聚糧。之二蟲又何知!
- 蜩(チョウ)と鷽鳩(カクキュウ)と之を笑いて曰く、我決起して飛び、楡枋に槍る。時に則ち至らずして地に控するのみ。奚ぞ之が九万里を以ってして南するを為さん、と。莽蒼に適くも者は、三飡にして反るも、腹猶お果然たり。百里に適く者は、宿に糧を舂き、千里に適く者は三月糧を聚(あつ)む、と。之の二虫又何をか知らん。
小知不及大知,小年不及大年。奚以知其然也?朝菌不知晦朔,蟪蛄不知春秋,此小年也。楚之南有冥靈者,以五百歲為春,五百歲為秋;上古有大椿者,以八千歲為春,八千歲為秋,此大年也。而彭祖乃今以久特聞,衆人匹之,不亦悲乎!
- 小知は大知に及ばず、小年は大年に及ばず。奚(なに)を以って其の然るを知る。朝菌は晦朔を知らず、蟪蛄は春秋を知らず。此れ小年なり。楚の南に冥霊なる者有り。五百歳を以って春と為し、五百歳を秋と為す。上古、大椿なる者有り。八千歳を以って春と為し、八千歳を秋と為す。此れ大年也。而して彭祖は乃今久しきを以って特り聞こゆ。衆人之に匹せんとする、亦悲しからずや。
- 「現代語」
この世界の北の果て、波も冥(くら)い海に魚がいて、その名は鯤という。その鯤の大きさは、いったい何千里あるのか見当もつかないほどの、とてつもない大きさだ。
この巨大な鯤が(時節が到来し)転身の時を迎えると、姿を変えて鳥となる。その名は鵬という。その背(せな)の広さは幾千里あるのか見当もつかない。
この鵬という巨大な鳥が、一たび満身の力を奮って大空に飛びたてば、その翼の大きいこと、まるで青空を掩(おお)う雲のようだ。
この鳥は、(季節風が吹き)海の荒れ狂うときになると、(その大風に乗って飛び上がり)、南の果ての海へと天翔(あまがけ)る。「南の果ての海」とは天の池である。
齊諧(セイカイ)という人は世の中の不思議な話をしっている物識りだが、彼の話によると、「鵬が南の果ての海に移る時には、水に撃(う)つこと三千里、つむじかぜに羽ばたいて上ること九万里、六月の風に乗って天がけり去る(飛び去る)のだ」という。 かげろうか、塵埃(ジンアイ)か、生きとし生けるもののひしめきあって呼吸するこの地上の世界。その遙か上に広がる大空の深く青々とした色は、いったい大空そのものの色であろうか。それとも遠くへだたって限りがないから、そう見えるのであろうか。 鵬が九万里の高みから逆に地上の世界を見下ろすとき、やはりこのように青々と見えているに違いない。
そもそも水のたまりかたが十分深くなければ、そこに大きな舟を浮かべるのには堪えられない。杯の水をでこぼこのある床(ゆか)の上にくつがえすと、せいぜい塵芥(ちりあくた)ならそのたまり水の舟ともなろうが、そこに杯を置くと底が床についてしまう。たまり水は浅いのに舟は大きいからである。 風の集まりかたがじゅうぶん多くなければ、そこに鵬の大きな翼をのせるのには堪えられない。そこで九万里も上ってこそ翼の下にじゅうぶんな風が集まるのである。さて、そのうえではじめて、今こそ大鵬は風に乗り青々とした大空を背負って何物にもさえぎられず、そのうえではじめて、今こそ南の海を目ざそうとするのである。
蜩(ひぐらし)と学鳩(こばと)とがそれをせせら笑っていう、「我々はふるいたって飛び上がり、楡(にれ)や枋(まゆみ)の木につきかかってそこに止まるが、それさえゆきつけない時もあって地面にたたきつけられてしまうのだ。どうして九万里もの上空に上ってそれから南方を目指したりするのだろう。(おおげさで無用なことだ)」と。 郊外の野原に出かける者(ひと)は、三食の弁当だけで帰ってきて、それでまだ満腹でいられるが、百里の旅に出る者(ひと)は、一晩かかって食糧の米をつき、千里の旅に出る者は、三か月もかかって食糧を集めて準備をする。 この小さな蜩や学鳩には(大鵬の飛翔のことなど)いったいどうして分ろうか。
狭小な知識では広大な知識は想像もつかず、短い寿命では長い寿命のは及びもつかない。
どうしてそのことが分かるか。朝菌は(朝から暮れまでの命で)夜と明け方を知らず、蟪蛄(夏ぜみ)は(夏だけの命で)、春と秋を知らない。これが短い寿命である。
楚の国の南方には冥霊という木があって、五百年のあいだが生長繁茂する春で、また五百年のあいだが落葉の秋である。大昔には大椿という木があって、八千年のあいだが生長繁茂の春で、また八千年のあいだが落葉の秋であった。(これが長い寿命である)
ところが、彭祖は(わずかに八百年を生きたというだけで)長寿者として大いに有名であり、世間の人々は(長寿を語れば必ず)彭祖をひきあいに出す。何と悲しいことではないか。