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「号び三千を振はす」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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さけびさんぜんをふるはす。
 
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 『維摩経』中で、大迦葉が、維摩の「不可思議解脱法門」を聞き、大乗の菩提心を知らなかった為、「皆まさに号泣し声を三千大千世界に震(ふる)うべし」(皆應號泣聲震三千大千世界)の句から。([[浄土論註 (七祖)#P--124|論註 P.124]])
  
 『維摩経』中で、大迦葉が、維摩の「不可思議解脱法門」を聞き、菩提心を知らなかった為、「皆まさに号泣し声を三千大千世界に震(ふる)うべし」(皆應號泣聲震三千大千世界)の句から。
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『維摩経』「文殊師利問疾品第五」[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT2012/T0475_.14.0547a03.html (*)]
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是時大迦葉。聞説菩薩不可思議解脱法門。歎未曾有。謂舍利弗。譬如有人 於盲者前現衆色像 非彼所見。一切聲聞 聞是不可思議解脱法門。不能解了爲若此也。
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:この時、大迦葉、菩薩の不可思議解脱の法門を説くを聞き、未曽有と歎じて、舍利弗に謂わく、譬えば有る人の、盲者の前に於いて、衆(もろもろ)の色像を現せども、彼が見る所には非ざるが如く、一切の声聞も、この不可思議解脱の法門を聞きて、解了することの能わざること、かくの若しと為す。
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智者聞是。其誰不發阿耨多羅三藐三菩提心。我等何爲永絶其根。於此大乘已如敗種。
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:智者なれば、これを聞きて、それ誰か阿耨多羅三藐三菩提心を発さざらん。我等は、何すれぞ永くその根(菩薩の根本)を断ちて、この大乗に於いて、すでに'''敗種'''(はいしゅ)の如きなる。
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一切聲聞 聞是不可思議解脱法門。皆應號泣聲震三千大千世界。
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:一切の声聞、この不可思議解脱の法門を聞いて、皆まさに'''号泣し声を三千大千世界に震(ふる)うべし'''。
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一切菩薩 應大欣慶 頂受此法。若有菩薩 信解不可思議解脱法門者。一切魔衆無如之何。大迦葉説是語時。三萬二千天子皆發阿耨多羅三藐三菩提心。
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:一切の菩薩は、まさに大いに欣慶して、この法を頂受すべし。もし菩薩、不可思議解脱の法門を信解する者有らば、一切の魔衆もこれを如何ともする無けんと。大迦葉、この語を説く時、三万二千の天子は、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。
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つばめ堂さんを参照。

2018年5月11日 (金) 16:49時点における最新版

さけびさんぜんをふるはす。

 『維摩経』中で、大迦葉が、維摩の「不可思議解脱法門」を聞き、大乗の菩提心を知らなかった為、「皆まさに号泣し声を三千大千世界に震(ふる)うべし」(皆應號泣聲震三千大千世界)の句から。(論註 P.124)


『維摩経』「文殊師利問疾品第五」(*)

是時大迦葉。聞説菩薩不可思議解脱法門。歎未曾有。謂舍利弗。譬如有人 於盲者前現衆色像 非彼所見。一切聲聞 聞是不可思議解脱法門。不能解了爲若此也。

この時、大迦葉、菩薩の不可思議解脱の法門を説くを聞き、未曽有と歎じて、舍利弗に謂わく、譬えば有る人の、盲者の前に於いて、衆(もろもろ)の色像を現せども、彼が見る所には非ざるが如く、一切の声聞も、この不可思議解脱の法門を聞きて、解了することの能わざること、かくの若しと為す。

智者聞是。其誰不發阿耨多羅三藐三菩提心。我等何爲永絶其根。於此大乘已如敗種。

智者なれば、これを聞きて、それ誰か阿耨多羅三藐三菩提心を発さざらん。我等は、何すれぞ永くその根(菩薩の根本)を断ちて、この大乗に於いて、すでに敗種(はいしゅ)の如きなる。

一切聲聞 聞是不可思議解脱法門。皆應號泣聲震三千大千世界。

一切の声聞、この不可思議解脱の法門を聞いて、皆まさに号泣し声を三千大千世界に震(ふる)うべし

一切菩薩 應大欣慶 頂受此法。若有菩薩 信解不可思議解脱法門者。一切魔衆無如之何。大迦葉説是語時。三萬二千天子皆發阿耨多羅三藐三菩提心。

一切の菩薩は、まさに大いに欣慶して、この法を頂受すべし。もし菩薩、不可思議解脱の法門を信解する者有らば、一切の魔衆もこれを如何ともする無けんと。大迦葉、この語を説く時、三万二千の天子は、皆阿耨多羅三藐三菩提心を発しき。

つばめ堂さんを参照。