「乞眼の因縁」の版間の差分
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問曰。云何名不到彼岸。<br /> | 問曰。云何名不到彼岸。<br /> | ||
− | 問うて曰く、云何が、彼岸に到らずと名づくる。 | + | :問うて曰く、云何が、彼岸に到らずと名づくる。 |
答曰。譬如渡河未到而還。名為不到彼岸。<br /> | 答曰。譬如渡河未到而還。名為不到彼岸。<br /> | ||
− | 答えて曰く、譬えば、河を渡るに、未だ到らずして還るを、名づけて彼岸に到らずと為すが如し。 | + | :答えて曰く、譬えば、河を渡るに、未だ到らずして還るを、名づけて彼岸に到らずと為すが如し。 |
如舎利弗。於六十劫中行菩薩道。欲渡布施河。<br /> | 如舎利弗。於六十劫中行菩薩道。欲渡布施河。<br /> | ||
− | 舎利弗の如きは、六十劫中に於いて菩薩道を行じ、布施の河を渡らんと欲す。 | + | :舎利弗の如きは、六十劫中に於いて菩薩道を行じ、布施の河を渡らんと欲す。 |
時有乞人来乞其眼。<br /> | 時有乞人来乞其眼。<br /> | ||
− | 時に乞人有り、来たりてその眼を乞う。 | + | :時に乞人有り、来たりてその眼を乞う。 |
舎利弗言。眼無所任。何以索之。若須我身及財物者当以相与。<br /> | 舎利弗言。眼無所任。何以索之。若須我身及財物者当以相与。<br /> | ||
− | 舎利弗の言わく、「眼には任(た)うる所無し、何を以ってか、これを索(もと)むる。もし、わが身、及び財物を須いんとなれば、まさに以って相与うべし」、と。 | + | :舎利弗の言わく、「眼には任(た)うる所無し、何を以ってか、これを索(もと)むる。もし、わが身、及び財物を須いんとなれば、まさに以って相与うべし」、と。 |
答言。不須汝身及以財物。唯欲得眼。若汝実行檀者、以眼見与。<br /> | 答言。不須汝身及以財物。唯欲得眼。若汝実行檀者、以眼見与。<br /> | ||
− | 答えて言わく、「汝が身、及以(およ)び財物を須いず、ただ眼を得んと欲す。もし、汝実に檀(ダーナ)を行ぜば、眼を以って与えられよ」、と。 | + | :答えて言わく、「汝が身、及以(およ)び財物を須いず、ただ眼を得んと欲す。もし、汝実に檀(ダーナ)を行ぜば、眼を以って与えられよ」、と。 |
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爾時舎利弗。出一眼与之。<br /> | 爾時舎利弗。出一眼与之。<br /> | ||
− | その時、舎利弗は、一眼を出してこれに与う。 | + | :その時、舎利弗は、一眼を出してこれに与う。 |
乞者得眼。於舎利弗前嗅之。嫌臭唾而棄地。又以脚蹋。<br /> | 乞者得眼。於舎利弗前嗅之。嫌臭唾而棄地。又以脚蹋。<br /> | ||
− | 乞者は、眼を得るに、舎利弗の前に於いてこれを嗅ぎ、臭を嫌うて唾して地に棄て、また脚を以って蹋(ふ)めり。 | + | :乞者は、眼を得るに、舎利弗の前に於いてこれを嗅ぎ、臭を嫌うて唾して地に棄て、また脚を以って蹋(ふ)めり。 |
舎利弗思惟言。如此弊人等難可度也。<br /> | 舎利弗思惟言。如此弊人等難可度也。<br /> | ||
− | 舎利弗の思惟して言わく、「かくの如き弊人等は、度すべきこと難し。 | + | :舎利弗の思惟して言わく、「かくの如き弊人等は、度すべきこと難し。 |
眼実無用而強索之。既得而棄又以脚蹋。<br /> | 眼実無用而強索之。既得而棄又以脚蹋。<br /> | ||
− | 眼は実に用無きに、強いてこれを索め、既に得れば棄てて、また脚を以って蹋む。 | + | :眼は実に用無きに、強いてこれを索め、既に得れば棄てて、また脚を以って蹋む。 |
何弊之甚。如此人輩不可度也。不如自調早脱生死。<br /> | 何弊之甚。如此人輩不可度也。不如自調早脱生死。<br /> | ||
− | 何んが弊なることの甚だしき。かくの如き人輩は、度す可からずなり。自ら調えて、早く生死を脱(のが)れんには如かず」、と。 | + | :何んが弊なることの甚だしき。かくの如き人輩は、度す可からずなり。自ら調えて、早く生死を脱(のが)れんには如かず」、と。 |
思惟是已。於菩薩道退迴向小乗。<br /> | 思惟是已。於菩薩道退迴向小乗。<br /> | ||
− | これを思惟しおわりて、菩薩道に於いて退し、小乗に迴向す。 | + | :これを思惟しおわりて、菩薩道に於いて退し、小乗に迴向す。 |
是名不到彼岸。若能直進不退。成辦仏道。名到彼岸。<br /> | 是名不到彼岸。若能直進不退。成辦仏道。名到彼岸。<br /> | ||
− | これを彼岸に到らずと名づく。もしよく直ちに進んで退かざれば、仏道を成辦す、彼岸に到ると名づく。<br /> | + | :これを彼岸に到らずと名づく。もしよく直ちに進んで退かざれば、仏道を成辦す、彼岸に到ると名づく。<br /> |
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2024年10月10日 (木) 10:38時点における最新版
- 大智度論釈 巻第十二(大正蔵)
問曰。云何名不到彼岸。
- 問うて曰く、云何が、彼岸に到らずと名づくる。
答曰。譬如渡河未到而還。名為不到彼岸。
- 答えて曰く、譬えば、河を渡るに、未だ到らずして還るを、名づけて彼岸に到らずと為すが如し。
如舎利弗。於六十劫中行菩薩道。欲渡布施河。
- 舎利弗の如きは、六十劫中に於いて菩薩道を行じ、布施の河を渡らんと欲す。
時有乞人来乞其眼。
- 時に乞人有り、来たりてその眼を乞う。
舎利弗言。眼無所任。何以索之。若須我身及財物者当以相与。
- 舎利弗の言わく、「眼には任(た)うる所無し、何を以ってか、これを索(もと)むる。もし、わが身、及び財物を須いんとなれば、まさに以って相与うべし」、と。
答言。不須汝身及以財物。唯欲得眼。若汝実行檀者、以眼見与。
- 答えて言わく、「汝が身、及以(およ)び財物を須いず、ただ眼を得んと欲す。もし、汝実に檀(ダーナ)を行ぜば、眼を以って与えられよ」、と。
爾時舎利弗。出一眼与之。
- その時、舎利弗は、一眼を出してこれに与う。
乞者得眼。於舎利弗前嗅之。嫌臭唾而棄地。又以脚蹋。
- 乞者は、眼を得るに、舎利弗の前に於いてこれを嗅ぎ、臭を嫌うて唾して地に棄て、また脚を以って蹋(ふ)めり。
舎利弗思惟言。如此弊人等難可度也。
- 舎利弗の思惟して言わく、「かくの如き弊人等は、度すべきこと難し。
眼実無用而強索之。既得而棄又以脚蹋。
- 眼は実に用無きに、強いてこれを索め、既に得れば棄てて、また脚を以って蹋む。
何弊之甚。如此人輩不可度也。不如自調早脱生死。
- 何んが弊なることの甚だしき。かくの如き人輩は、度す可からずなり。自ら調えて、早く生死を脱(のが)れんには如かず」、と。
思惟是已。於菩薩道退迴向小乗。
- これを思惟しおわりて、菩薩道に於いて退し、小乗に迴向す。
是名不到彼岸。若能直進不退。成辦仏道。名到彼岸。
- これを彼岸に到らずと名づく。もしよく直ちに進んで退かざれば、仏道を成辦す、彼岸に到ると名づく。