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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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開は開除。会は会入の意で方便を除いて真実に入れること。
 
開は開除。会は会入の意で方便を除いて真実に入れること。
 
:① 仏教には声聞・縁覚・菩薩のそれぞれに個別の教え(三乗)があるというのは方便(てだて)の教えであるから、それが方便であることを開示して方便を除き、すべての教えは唯一の真実の教え(一乗)と別のものではなくて、ひとしく融けあい一乗にあつまり入ると説くことを、一般に開会という。
 
:① 仏教には声聞・縁覚・菩薩のそれぞれに個別の教え(三乗)があるというのは方便(てだて)の教えであるから、それが方便であることを開示して方便を除き、すべての教えは唯一の真実の教え(一乗)と別のものではなくて、ひとしく融けあい一乗にあつまり入ると説くことを、一般に開会という。
:② 開会には法開会と人開会があり、理論的にすべての教えは究極において一致すると示すのを法開会、実際的に声聞・縁覚・菩薩の区別はなくすべての人はみな一様に仏になれると説くのを人開会という。五時の説法のうち第四の般若時では法開会のみを示し、第五の法華涅槃時に至って人・法の二開会を明らかにするといわれる。また人開会には、例えば小善を開して大善に会するような同種類のものについていう種類開会と、悪を開して善に会するような異種類のものにつていう敵対開会(じゃくたい-かいえ)との二がある。(仏教学辞典)
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:② 開会には法開会と人開会があり、理論的にすべての教えは究極において一致すると示すのを法開会、実際的に声聞・縁覚・菩薩の区別はなくすべての人はみな一様に仏になれると説くのを人開会という。[[五時の教|五時の説法]]のうち第四の般若時では法開会のみを示し、第五の法華涅槃時に至って人・法の二開会を明らかにするといわれる。また人開会には、例えば小善を開して大善に会するような同種類のものについていう種類開会と、悪を開して善に会するような異種類のものにつていう敵対開会(じゃくたい-かいえ)との二がある。(仏教学辞典)
 
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2017年11月18日 (土) 10:44時点における最新版

かいえ

天台宗の用語。

開は開除。会は会入の意で方便を除いて真実に入れること。

① 仏教には声聞・縁覚・菩薩のそれぞれに個別の教え(三乗)があるというのは方便(てだて)の教えであるから、それが方便であることを開示して方便を除き、すべての教えは唯一の真実の教え(一乗)と別のものではなくて、ひとしく融けあい一乗にあつまり入ると説くことを、一般に開会という。
② 開会には法開会と人開会があり、理論的にすべての教えは究極において一致すると示すのを法開会、実際的に声聞・縁覚・菩薩の区別はなくすべての人はみな一様に仏になれると説くのを人開会という。五時の説法のうち第四の般若時では法開会のみを示し、第五の法華涅槃時に至って人・法の二開会を明らかにするといわれる。また人開会には、例えば小善を開して大善に会するような同種類のものについていう種類開会と、悪を開して善に会するような異種類のものにつていう敵対開会(じゃくたい-かいえ)との二がある。(仏教学辞典)

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