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「一音を…悟る」の版間の差分

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::仏、一音を以って、法を演説したもうに、あるいは恐畏あり、あるいは歓喜し、
 
::仏、一音を以って、法を演説したもうに、あるいは恐畏あり、あるいは歓喜し、
 
:或生厭離或斷疑 斯則神力不共法
 
:或生厭離或斷疑 斯則神力不共法
::あるいは厭離し、あるいは疑いを断ず。これすなわち、神力不共法なり。
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::あるいは厭離し、あるいは疑いを断ず。これすなわち、[[神力不共の法]]なり。

2019年12月13日 (金) 14:02時点における最新版

いっとん…さとる

 仏の教えは本来ただ一つであるのに、衆生はそれぞれの素質能力に応じてさとるという意。『維摩経(ゆいま-ぎょう)』 「仏国品」 等に出る。 (法事讃 P.549)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

外部リンク

維摩詰所説經

佛以一音演説法 衆生隨類各得解
仏、一音を以って、法を演説したもうに、衆生、類に随いておのおの解することを得、
皆謂世尊同其語 斯則神力不共法
みな世尊は、その語を同じくしたもうと謂(おも)う。これすなわち神力不共法なり。
佛以一音演説法 衆生各各隨所解
仏、一音を以って、法を演説したもうに、衆生おのおの解する所に随いて、
普得受行獲其利 斯則神力不共法
あまねく受行を得て、その利を獲。これすなわち、神力不共法なり。
佛以一音演説法 或有恐畏或歡喜
仏、一音を以って、法を演説したもうに、あるいは恐畏あり、あるいは歓喜し、
或生厭離或斷疑 斯則神力不共法
あるいは厭離し、あるいは疑いを断ず。これすなわち、神力不共の法なり。