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「定散六種兼行」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
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:上よりこのかた定散六種兼行するがゆゑに雑修といふ、これを助業と 名づく、名づけて方便仮門となす、また浄土の要門と名づくるなりと、知るべし。
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:上よりこのかた'''定散六種兼行'''するがゆゑに雑修といふ、これを助業と 名づく、名づけて方便仮門となす、また浄土の[[要門]]と名づくるなりと、知るべし。([[愚禿下#no72|愚禿下 P.530]])
 
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の「定散六種兼行」とは、前述の正行について論じる、
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の「定散六種兼行」とは、前段の、
 
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【66】<br>
 
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 また弥陀念仏について、二種あり。  
 
 また弥陀念仏について、二種あり。  
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::一には正行定心念仏、  
 
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::二には正行散心念仏なり。  
 
::二には正行散心念仏なり。  
:: 弥陀定散の念仏、これを浄土の真門といふ、また一向専修と名づくるなりと、知るべし。
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:: 弥陀定散の念仏、これを浄土の[[真門]]といふ、また一向専修と名づくるなりと、知るべし。 ([[愚禿下#no66|愚禿下 P.529]])
 
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とある正行定心念仏(観察)と、正行散心念仏(称名)という定散念仏の念仏の二と文前の、
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で記述される正行定心念仏(観察)と、正行散心念仏(称名)という定散念仏の念仏の二とし、文前の、
 
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: また正の散行について、四種あり。
 
: また正の散行について、四種あり。
:        読誦   礼拝   讃嘆   供養
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:        読誦   礼拝   讃嘆   供養 ([[愚禿下#no71|愚禿下 P.530]])
 
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の、読誦、礼拝、讃嘆、供養の四とを合わせて、
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の、読誦、礼拝、讃嘆、供養の四と、正行定心念仏と正行散心念仏の二を合わせて、
 
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【72】
 
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:上よりこのかた定散六種兼行するがゆゑに雑修といふ、これを助業と 名づく、名づけて方便仮門となす、また浄土の要門と名づくるなりと、知るべし。
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:上よりこのかた'''定散六種兼行'''するがゆゑに雑修といふ、これを助業と 名づく、名づけて方便仮門となす、また浄土の[[要門]]と名づくるなりと、知るべし。 ([[愚禿下#no72|愚禿下 P.530]]) 
 
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と六種として「定散六種兼行」といい、それを雑修とも呼び、それを助業とも方便仮門ともいう、とする。(『顕浄土方便化身土文類講讃』梯實圓著p.359)。<br>
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と六種(定心念仏、散心念仏、読誦、礼拝、讃嘆、供養)として「定散六種兼行」といい、それを[[雑修]]と呼び、それを[[助業]]とも方便仮門ともいう、とする。(『顕浄土方便化身土文類講讃』梯實圓著p.359)。<br>
愚見だが註釈版の脚註では、讃嘆供養を開いて六種とするとするが、これでは定散六種兼行という文の定・散の意味が出ないと思ふ。ここは【66】で挙げた五正行中の「観察」を正行定心念仏とし「称名」を正行散心念仏の二とし読誦、礼拝、讃嘆、供養の四を合わせて定散六種兼行とされたのであろう。<br />
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これは、たとえ称名(なんまんだぶ)を行じていても、それが[[本願]]によって選択された'''[[正定業]]'''であることに気づかずに他の四種の[[読誦]]、[[礼拝]]、[[讃嘆]]、[[供養]]と同列の次元で[[専修]]していることを[[雑修]]とも[[助業]]とも方便仮門ともいわれたのであった。
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愚見だが註釈版の『愚禿鈔』の脚註では、讃嘆供養を開いて六種とするとするが、これでは[[定散六種兼行]]という文の《定・散》の意味が出ないと思ふ。<br />
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ここは【66】で挙げた五正行中の「観察」を正行定心念仏とし「称名」を正行散心念仏の二とし読誦、礼拝、讃嘆、供養の四を合わせて定散六種兼行とされたのであろう。<br />
 
法然聖人には、
 
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:本願の念仏には、ひとりたちをせさせて助(すけ)をささぬ也。助さす程の人は、極楽の辺地にむまる。すけと申すは、智恵をも助にさし、持戒をもすけにさし、道心をも助にさし、慈悲をもすけにさす也。([[hwiki:和語灯録#P--682|『和語灯録』諸人伝説の詞]])
 
:本願の念仏には、ひとりたちをせさせて助(すけ)をささぬ也。助さす程の人は、極楽の辺地にむまる。すけと申すは、智恵をも助にさし、持戒をもすけにさし、道心をも助にさし、慈悲をもすけにさす也。([[hwiki:和語灯録#P--682|『和語灯録』諸人伝説の詞]])
という語があるが、念仏(なんまんだぶ)も助業とともに修するなら「定散六種兼行する雑修」となるのであろう。
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という語があるが、念仏(なんまんだぶ)も助業と同列に修するなら「定散六種兼行する雑修」となるのであろう。
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2021年11月14日 (日) 01:19時点における最新版

『愚禿鈔』の、

【72】

上よりこのかた定散六種兼行するがゆゑに雑修といふ、これを助業と 名づく、名づけて方便仮門となす、また浄土の要門と名づくるなりと、知るべし。(愚禿下 P.530)

の「定散六種兼行」とは、前段の、

【66】
 また弥陀念仏について、二種あり。

一には正行定心念仏、
二には正行散心念仏なり。
 弥陀定散の念仏、これを浄土の真門といふ、また一向専修と名づくるなりと、知るべし。 (愚禿下 P.529)

で記述される正行定心念仏(観察)と、正行散心念仏(称名)という定散念仏の念仏の二とし、文前の、

【71】

 また正の散行について、四種あり。
読誦   礼拝   讃嘆   供養 (愚禿下 P.530)

の、読誦、礼拝、讃嘆、供養の四と、正行定心念仏と正行散心念仏の二を合わせて、

【72】

上よりこのかた定散六種兼行するがゆゑに雑修といふ、これを助業と 名づく、名づけて方便仮門となす、また浄土の要門と名づくるなりと、知るべし。 (愚禿下 P.530)

と六種(定心念仏、散心念仏、読誦、礼拝、讃嘆、供養)として「定散六種兼行」といい、それを雑修と呼び、それを助業とも方便仮門ともいう、とする。(『顕浄土方便化身土文類講讃』梯實圓著p.359)。

これは、たとえ称名(なんまんだぶ)を行じていても、それが本願によって選択された正定業であることに気づかずに他の四種の読誦礼拝讃嘆供養と同列の次元で専修していることを雑修とも助業とも方便仮門ともいわれたのであった。

愚見だが註釈版の『愚禿鈔』の脚註では、讃嘆供養を開いて六種とするとするが、これでは定散六種兼行という文の《定・散》の意味が出ないと思ふ。
ここは【66】で挙げた五正行中の「観察」を正行定心念仏とし「称名」を正行散心念仏の二とし読誦、礼拝、讃嘆、供養の四を合わせて定散六種兼行とされたのであろう。
法然聖人には、

本願の念仏には、ひとりたちをせさせて助(すけ)をささぬ也。助さす程の人は、極楽の辺地にむまる。すけと申すは、智恵をも助にさし、持戒をもすけにさし、道心をも助にさし、慈悲をもすけにさす也。(『和語灯録』諸人伝説の詞)

という語があるが、念仏(なんまんだぶ)も助業と同列に修するなら「定散六種兼行する雑修」となるのであろう。