「立撮即行」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
1行目: | 1行目: | ||
りっさつ-そくぎょう | りっさつ-そくぎょう | ||
− | + | 『観経』華座観を釈した『観経疏』にある語。さとりを円満した阿弥陀仏は<kana>一座無移(いちざむい)</kana><kana>亦不動(やくふどう)</kana>(一たび坐して移ることなくまた不動なり)([[法事讃 (七祖)#no64|法事讃 P.560]]) | |
− | + | の仏陀である。しかし[[智慧]]のゆえに衆生の苦悩を見るに忍びないので、衆生の代表としての[[韋提希]]の苦悩を除く為にさとりの座から娑婆世界へ応現したのが『観経』華座観の教説であるとされた。<br /> | |
{{Inyou2| | {{Inyou2| | ||
8行目: | 8行目: | ||
::[[六賊]]つねに随ひて、三悪の火坑臨々として入りなんと欲す。 | ::[[六賊]]つねに随ひて、三悪の火坑臨々として入りなんと欲す。 | ||
:若不挙足 以救迷 業繋之牢 何由得勉。 | :若不挙足 以救迷 業繋之牢 何由得勉。 | ||
− | ::もし足を挙げてもつて迷ひを救はずは、[[業繋]] | + | ::もし足を挙げてもつて迷ひを救はずは、[[業繋]]の牢なにによりてか勉(まぬか)るることを得ん。 |
:為斯義故 '''立撮即行'''。 | :為斯義故 '''立撮即行'''。 | ||
− | :: | + | ::この義のためのゆゑに、立ちながら撮(と)りてすなはち行く。 |
:不及端坐以赴機也。 | :不及端坐以赴機也。 | ||
::端坐してもつて機に赴くに及ばざるなり。([[観経疏 定善義 (七祖)#P--424|定善義 P.424]]) | ::端坐してもつて機に赴くに及ばざるなり。([[観経疏 定善義 (七祖)#P--424|定善義 P.424]]) |
2019年1月16日 (水) 17:16時点における最新版
りっさつ-そくぎょう
『観経』華座観を釈した『観経疏』にある語。さとりを円満した阿弥陀仏は
これを立撮即行(立ちながら撮りてすなはち行く)とされた。和語の「撮」にはつまむといういう意があり、「立撮即行」を昔の布教使は「立ってつまんでとりていく」としていた。