「法」の版間の差分
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2019年2月24日 (日) 15:20時点における最新版
(梵)ダルマ dharma の訳。達磨、達摩、駄摩、曇摩、曇無、曇と音写する。任持(能持)自性・軌生物解の二義をもつとされる。即ちそれ自体の自性 (独自の本性) を保持して改変せず、よく軌範となって人に一定の事物を理解させる根拠となるものをいう。従って法は任持自性の意味からいえば、自性をもって存在している一切の「存在」をさし、軌生物解の意味からいえば、認識の標準となる規範、法(のり)、法則、道理、教説、真理、善行をさすことになる。
- ① 色法、心法、一切諸法、万法などという法は、すべての存在を意味する。また諸法を有為・無為、色・心、染・浄などの二法に分け、或いは三法、四法などに分けるなどの場合の法の語も存在を意味する。
- ② 仏の教えを仏法、教法、正法といい、外道の教えを邪法と称するなど、法の語はすべて行為の規範、教説を意味する。つまり真理といわれるものは不変にして普遍なる真実の道理であるから、法と呼ばれるににふさわしいが、この教説をこの真理を説いているのが仏の教説だからである。
{─中略─}
- ③ 性質、属性の意味。因明(論理学)において宗(論破しようとする主張)賓辞を法といい、主辞を有法という。賓辞によって、主辞の表わす物体が有する性質が把握されるからである。(仏教学辞典)