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「信罪福心」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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文証として『無量寿経』では、以下のように罪福を信じて善本を修習するという胎生の因が説かれている経文を引文しておられる。
 
文証として『無量寿経』では、以下のように罪福を信じて善本を修習するという胎生の因が説かれている経文を引文しておられる。
 
ただし、「化巻」であるから仏智疑惑を戒めることが主であり一部文言を乃至されて引文しておられる。以下の文字の薄いところが乃至された部分である。
 
ただし、「化巻」であるから仏智疑惑を戒めることが主であり一部文言を乃至されて引文しておられる。以下の文字の薄いところが乃至された部分である。
  
<blockquote>【7】 またのたまはく(大経・下)、
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【7】 またのたまはく(大経・下)、
 
「その胎生のものの処するところの宮殿は、あるいは百由旬、あるいは五百由旬なり。おのおのそのなかにしてもろもろの快楽を受くること忉利天上のごとくにして、またみな自然なり」と。<br />
 
「その胎生のものの処するところの宮殿は、あるいは百由旬、あるいは五百由旬なり。おのおのそのなかにしてもろもろの快楽を受くること忉利天上のごとくにして、またみな自然なり」と。<br />
  
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しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。
 
しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。
  
<span style="color: #c0c0c0;">もし衆生ありて、あきらかに仏智乃至勝智を信じ、もろもろの功徳をなして信心回向すれば、このもろもろの衆生、七宝の華中において自然に化生し、跏趺して坐し、須臾のあひだに身相・光明・智慧・功徳、もろもろの菩薩のごとく具足し成就せん。</span>
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{{Fontcolor|gray|もし衆生ありて、あきらかに仏智乃至勝智を信じ、もろもろの功徳をなして信心回向すれば、このもろもろの衆生、七宝の華中において自然に化生し、跏趺して坐し、須臾のあひだに身相・光明・智慧・功徳、もろもろの菩薩のごとく具足し成就せん。
<span style="color: #c0c0c0;"> 【44】  また次に慈氏(弥勒)、他方仏国の諸大菩薩、発心して、無量寿仏を見たてまつり、〔無量寿仏〕およびもろもろの菩薩・声聞の衆を恭敬し供養せんと欲はん。かの菩薩等、命終りて無量寿国に生ずることを得て、七宝の華の中において自然に化生せん。</span>
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{{Fontcolor|gray| 【44】  また次に慈氏(弥勒)、他方仏国の諸大菩薩、発心して、無量寿仏を見たてまつり、〔無量寿仏〕およびもろもろの菩薩・声聞の衆を恭敬し供養せんと欲はん。かの菩薩等、命終りて無量寿国に生ずることを得て、七宝の華の中において自然に化生せん。
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弥勒、まさに知るべし。かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑなり。 その胎生のものはみな智慧なし。
 
弥勒、まさに知るべし。かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑなり。 その胎生のものはみな智慧なし。
  
<span style="color: #c0c0c0;">五百歳のなかにおいてつねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・もろもろの声聞の衆を見ず、仏を供養するによしなし。菩薩の法式を知らず、功徳を修習することを得ず。まさに知るべし、この人は宿世のとき、智慧あることなくして疑惑せしが致すところなり」と。</span>
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{{Fontcolor|gray|五百歳のなかにおいてつねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・もろもろの声聞の衆を見ず、仏を供養するによしなし。菩薩の法式を知らず、功徳を修習することを得ず。まさに知るべし、この人は宿世のとき、智慧あることなくして疑惑せしが致すところなり」と。
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【45】  仏、弥勒に告げたまはく、「たとへば、転輪聖王のごとき、別に七宝の宮室(牢獄)ありて種々に荘厳し、床帳を張設し、もろもろの繒旛を懸く、もしもろもろの小王子ありて、罪を王に得れば、すなはちかの宮中(獄)に内れて、繋ぐに金鎖をもつてす、
 
【45】  仏、弥勒に告げたまはく、「たとへば、転輪聖王のごとき、別に七宝の宮室(牢獄)ありて種々に荘厳し、床帳を張設し、もろもろの繒旛を懸く、もしもろもろの小王子ありて、罪を王に得れば、すなはちかの宮中(獄)に内れて、繋ぐに金鎖をもつてす、
  
<span style="color: #c0c0c0;">飲食・衣服・床褥・華香・妓楽を供給せんこと、転輪王のごとくして乏少するところなけん。意においていかん。このもろもろの王子、むしろかの処を楽ふや、いなや」と。</span>
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{{Fontcolor|gray|飲食・衣服・床褥・華香・妓楽を供給せんこと、転輪王のごとくして乏少するところなけん。意においていかん。このもろもろの王子、むしろかの処を楽ふや、いなや」と。}}
<span style="color: #c0c0c0;"> 対へてまうさく、「いななり。ただ種々に方便して、もろもろの大力〔ある人〕を求めてみづから免れ出でんことを欲ふ」と。</span>
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{{Fontcolor|gray| 対へてまうさく、「いななり。ただ種々に方便して、もろもろの大力〔ある人〕を求めてみづから免れ出でんことを欲ふ」と。
<span style="color: #c0c0c0;"> 仏、弥勒に告げたまはく、</span>
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仏、弥勒に告げたまはく、
  
 
「このもろもろの衆生もまたまたかくのごとし。仏智を疑惑せしをもつてのゆゑに、かの〔胎生の〕宮殿に生じん。(て、)
 
「このもろもろの衆生もまたまたかくのごとし。仏智を疑惑せしをもつてのゆゑに、かの〔胎生の〕宮殿に生じん。(て、)
  
<span style="color: #c0c0c0;">刑罰乃至一念の悪事もあることなし。ただ五百歳のうちにおいて三宝を見たてまつらず、〔諸仏を〕供養してもろもろの善本を修することを得ず。これをもつて苦とす。余の楽ありといへども、なほかの処を楽はず。</span>
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{{Fontcolor|gray|刑罰乃至一念の悪事もあることなし。ただ五百歳のうちにおいて三宝を見たてまつらず、〔諸仏を〕供養してもろもろの善本を修することを得ず。これをもつて苦とす。余の楽ありといへども、なほかの処を楽はず。
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もしこの衆生、その本の罪を識りて、深くみづから悔責して、かの処を離れんことを求めん。(ば、)
 
もしこの衆生、その本の罪を識りて、深くみづから悔責して、かの処を離れんことを求めん。(ば、)
  
<span style="color: #c0c0c0;">すなはち意のごとく、無量寿仏の所に往詣して恭敬し供養することを得、またあまねく無量無数の諸余の仏の所に至りて、もろもろの功徳を修することを得ん。</span>
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{{Fontcolor|gray|すなはち意のごとく、無量寿仏の所に往詣して恭敬し供養することを得、またあまねく無量無数の諸余の仏の所に至りて、もろもろの功徳を修することを得ん。
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弥勒、まさに知るべし。
 
弥勒、まさに知るべし。
それ菩薩ありて疑惑を生ずるものは、大利を失すとす。</blockquote>
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2018年12月19日 (水) 15:59時点における最新版

文証として『無量寿経』では、以下のように罪福を信じて善本を修習するという胎生の因が説かれている経文を引文しておられる。 ただし、「化巻」であるから仏智疑惑を戒めることが主であり一部文言を乃至されて引文しておられる。以下の文字の薄いところが乃至された部分である。

【7】 またのたまはく(大経・下)、 「その胎生のものの処するところの宮殿は、あるいは百由旬、あるいは五百由旬なり。おのおのそのなかにしてもろもろの快楽を受くること忉利天上のごとくにして、またみな自然なり」と。

【43】  そのときに慈氏菩薩(弥勒)、仏にまうしてまうさく、「世尊、なんの因、なんの縁ありてか、かの国の人民、胎生・化生なる」と。 仏、慈氏に告げたまはく、「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修してかの国に生れんと願はん。仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了らずして、この諸智において疑惑して信ぜず。 しかるになほ罪福を信じ善本を修習して、その国に生れんと願ふ。このもろもろの衆生、かの宮殿に生れて寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の聖衆を見たてまつらず。このゆゑに、かの国土においてこれを胎生といふ。

もし衆生ありて、あきらかに仏智乃至勝智を信じ、もろもろの功徳をなして信心回向すれば、このもろもろの衆生、七宝の華中において自然に化生し、跏趺して坐し、須臾のあひだに身相・光明・智慧・功徳、もろもろの菩薩のごとく具足し成就せん。
【44】  また次に慈氏(弥勒)、他方仏国の諸大菩薩、発心して、無量寿仏を見たてまつり、〔無量寿仏〕およびもろもろの菩薩・声聞の衆を恭敬し供養せんと欲はん。かの菩薩等、命終りて無量寿国に生ずることを得て、七宝の華の中において自然に化生せん。

弥勒、まさに知るべし。かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑなり。 その胎生のものはみな智慧なし。

五百歳のなかにおいてつねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・もろもろの声聞の衆を見ず、仏を供養するによしなし。菩薩の法式を知らず、功徳を修習することを得ず。まさに知るべし、この人は宿世のとき、智慧あることなくして疑惑せしが致すところなり」と。

【45】  仏、弥勒に告げたまはく、「たとへば、転輪聖王のごとき、別に七宝の宮室(牢獄)ありて種々に荘厳し、床帳を張設し、もろもろの繒旛を懸く、もしもろもろの小王子ありて、罪を王に得れば、すなはちかの宮中(獄)に内れて、繋ぐに金鎖をもつてす、

飲食・衣服・床褥・華香・妓楽を供給せんこと、転輪王のごとくして乏少するところなけん。意においていかん。このもろもろの王子、むしろかの処を楽ふや、いなや」と。
対へてまうさく、「いななり。ただ種々に方便して、もろもろの大力〔ある人〕を求めてみづから免れ出でんことを欲ふ」と。

仏、弥勒に告げたまはく、

「このもろもろの衆生もまたまたかくのごとし。仏智を疑惑せしをもつてのゆゑに、かの〔胎生の〕宮殿に生じん。(て、)

刑罰乃至一念の悪事もあることなし。ただ五百歳のうちにおいて三宝を見たてまつらず、〔諸仏を〕供養してもろもろの善本を修することを得ず。これをもつて苦とす。余の楽ありといへども、なほかの処を楽はず。

もしこの衆生、その本の罪を識りて、深くみづから悔責して、かの処を離れんことを求めん。(ば、)

すなはち意のごとく、無量寿仏の所に往詣して恭敬し供養することを得、またあまねく無量無数の諸余の仏の所に至りて、もろもろの功徳を修することを得ん。

弥勒、まさに知るべし。 それ菩薩ありて疑惑を生ずるものは、大利を失すとす。