「第三十三願」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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2019年5月17日 (金) 18:25時点における最新版
石川県本誓寺蔵親鸞聖人真筆(浄土真宗全書p.905)
コノグワンハ十ポウノシ⊂⊃ミダノヒカリニテラサレテミモコヽロモヨロズノヒトテンニンスグレテホトケニナラムトオモフコヽロアリトナリ
- 設我得佛 十方无量不可思議 諸佛世界衆生之類 蒙我光明 觸其身者 身心柔輭 超過人・天 若不爾者 不取正覺。
左訓の⊂⊃の部分は欠失、不明の部分を意味する。
⊂⊃の部分の左訓を〔じょう〕として、読めば、
- この願は十方の衆生、弥陀の光に照らされて身も心も、よろずの人・天人、勝れて仏にならむと思ふ心ありとなり。
と読める。ただ「思ふ心あり」ではなく「思ふ心ありとなり」とされていることに注意。