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− | 覚如の門弟。<kana>毫摂寺(ごうしょうじ)</kana>の開基。丹波国の出身。もと清範といい、法華行者であったが、覚如に帰依し、その号にちなんで自坊を毫摂寺と名づけた。数多くの聖教を書写するとともに、覚如が口述した『口伝鈔』『改邪鈔』を筆記した。観応2年 (正平6・1351) に覚如が示寂すると、文和元年 (正平7・1352) に覚如の生涯をまとめた『[[最須敬重絵詞]]』を著した。(浄土真宗辞典) | + | 覚如の門弟。<kana>[[毫摂寺]](ごうしょうじ)</kana>の開基。丹波国の出身。もと清範といい、法華行者であったが、[[覚如]]に[[帰依]]し、その号にちなんで自坊を[[毫摂寺]]と名づけた。数多くの聖教を書写するとともに、覚如が口述した『[[口伝鈔]]』『[[改邪鈔]]』を筆記した。観応2年 (正平6・1351) に覚如が示寂すると、文和元年 (正平7・1352) に覚如の生涯をまとめた『[[最須敬重絵詞]]』を著した。(浄土真宗辞典) |
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2023年12月7日 (木) 15:26時点における最新版
じょうせん 乗専 (1295-)
覚如の門弟。毫摂寺の開基。丹波国の出身。もと清範といい、法華行者であったが、覚如に帰依し、その号にちなんで自坊を毫摂寺と名づけた。数多くの聖教を書写するとともに、覚如が口述した『口伝鈔』『改邪鈔』を筆記した。観応2年 (正平6・1351) に覚如が示寂すると、文和元年 (正平7・1352) に覚如の生涯をまとめた『最須敬重絵詞』を著した。(浄土真宗辞典)