「普授」の版間の差分
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+ | : 「教えの深いことは、『華厳経』の説く至極の法、『法華経』の説く至妙の法に及ぶものはない。しかしながら、すべての衆生が将来さとりを得ることを約束されているのではない。すべての衆生がこの世の命を終えて後に、みなこの上ないさとりを得ることを約束されるのは、まことに阿弥陀仏の不可思議な功徳による利益である。 | ||
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2024年4月5日 (金) 15:51時点における最新版
ふじゅ
授は授記のこと。未来において最高のさとりを得るであろうことを仏が予言することをいう。普授とは一切衆生に授記することをいう。(信巻 P.264)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
- →授記
成仏の授記
- 律宗の用欽師のいはく、「至れること、華厳の極唱[1]、法華の妙談にしかんや。かつはいまだ普授あることを見ず。衆生一生にみな阿耨多羅三藐三菩提の記を得ることは、まことにいふところの不可思議功徳の利なり」と。(信巻 P.264)
現代語:
- 律宗の用欽師がいっている。
- 「教えの深いことは、『華厳経』の説く至極の法、『法華経』の説く至妙の法に及ぶものはない。しかしながら、すべての衆生が将来さとりを得ることを約束されているのではない。すべての衆生がこの世の命を終えて後に、みなこの上ないさとりを得ることを約束されるのは、まことに阿弥陀仏の不可思議な功徳による利益である。