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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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どむしょど
 
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 大菩薩は、衆生は本来空なりとさとるがゆえに済度しても、済度してやったというとらわれの思いが全くないこと。([[証巻#P--334|証巻 P.334]])
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 大菩薩は、衆生が本来空であることをさとるから、済度しても済度しているというとらわれの思いが全くないこと。([[証巻#P--334|証巻 P.334]])
  
 
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度して度するところ無し

2005年10月14日 (金) 21:59時点における最新版

どむしょど

 大菩薩は、衆生が本来空であることをさとるから、済度しても済度しているというとらわれの思いが全くないこと。(証巻 P.334)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

度して度するところ無し