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出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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   法のごとくあること。ここでは修行によって一段一段と菩薩の階位を経ねばならないことを指す。([[化巻本#P--415|化巻 P.415]])
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   法のごとくあること。ここでは修行によって一段一段と菩薩の階位を経ねばならないことを指す。([[化巻本#P--415|化巻 P.415]]]、[[安楽集 (七祖)#P--260|安楽集 P.260]])
  
 
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:Ⅰ 自ずからあるがままにあること。大乗仏教において究極的な真理をあらわす語として用いられる。[[法性]]と同義語。
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:Ⅱ 本願の法則として、そのようにあらしめるということ。『正像末和讃』には
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とある。→[[自然法爾]]。(浄土真宗辞典)
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2024年2月23日 (金) 16:17時点における最新版

ほうに

  法のごとくあること。ここでは修行によって一段一段と菩薩の階位を経ねばならないことを指す。(化巻 P.415]、安楽集 P.260)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

ほうに 法爾

Ⅰ 自ずからあるがままにあること。大乗仏教において究極的な真理をあらわす語として用いられる。法性と同義語。
Ⅱ 本願の法則として、そのようにあらしめるということ。『正像末和讃』には
「法爾といふは、 如来の御ちかひなるがゆゑに、 しからしむるを法爾といふ」

とある。→自然法爾。(浄土真宗辞典)