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「七菩提分」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
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しちぼだいぶん
 
しちぼだいぶん
  
 七覚(しちかく)・七覚分(しちかくぶん)・七覚支(しちかくし)ともいう。さとりを得るために役立つ七種の行法(ぎょうほう)
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 <kana>七覚(しちかく)</kana>・<kana>七覚分(しちかくぶん)</kana>・<kana>七覚支(しちかくし)</kana>ともいう。さとりを得るために役立つ七種の<kana>行法(ぎょうほう)</kana>。『成実論』では次の七種をあげる。
:①念覚支(ねんかくし)。心に明らかに憶(おも)いとどめて忘れないこと。
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:①<kana>念覚支(ねんかくし)</kana>。心に明らかに<kana>憶(おも)</kana>いとどめて忘れないこと。
:②択法覚支(ちゃくほうかくし)。智慧によって、法の真か偽かを選択(せんじゃく)すること。
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:②<kana>択法覚支(ちゃくほうかくし)</kana>。智慧によって、法の真か偽かを<kana>選択(せんじゃく)</kana>すること。
:③精進覚支(しょうじんかくし)。一心に努力すること。
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:③<kana>精進覚支(しょうじんかくし)</kana>。一心に努力すること。
:④喜覚支(きかくし)。法をたのしみ喜ぶこと。
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:④<kana>喜覚支(きかくし)</kana>。法をたのしみ喜ぶこと。
:⑤軽安覚支(きょうあんかくし)。身心が軽やかで安らかなこと。
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:⑤<kana>軽安覚支(きょうあんかくし)</kana>。身心が軽やかで安らかなこと。
:⑥定覚支(じょうかくし)。心を集中して乱さないこと。
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:⑥<kana>定覚支(じょうかくし)</kana>。心を集中して乱さないこと。
:⑦捨覚支(しゃかくし)。心の興奮や沈滞がなく平静なこと。([[大経下#P--50|大経 P.50]])
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:⑦<kana>捨覚支(しゃかくし)</kana>。心の興奮や沈滞がなく平静なこと。([[大経下#P--50|大経 P.50]])
  
 
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2018年6月16日 (土) 13:06時点における最新版

しちぼだいぶん

 七覚(しちかく)七覚分(しちかくぶん)七覚支(しちかくし)ともいう。さとりを得るために役立つ七種の行法(ぎょうほう)。『成実論』では次の七種をあげる。

念覚支(ねんかくし)。心に明らかに(おも)いとどめて忘れないこと。
択法覚支(ちゃくほうかくし)。智慧によって、法の真か偽かを選択(せんじゃく)すること。
精進覚支(しょうじんかくし)。一心に努力すること。
喜覚支(きかくし)。法をたのしみ喜ぶこと。
軽安覚支(きょうあんかくし)。身心が軽やかで安らかなこと。
定覚支(じょうかくし)。心を集中して乱さないこと。
捨覚支(しゃかくし)。心の興奮や沈滞がなく平静なこと。(大経 P.50)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

参照WEB版浄土宗大辞典の「七覚支」の項目