「如来と」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | + | 親鸞聖人は、如来回向の信心は、如来の智慧と慈悲の徳をもつ仏因であるから、信心の行者は「如来とひとし」といわれた。等覚のこと。→<kana>[[正定聚]](しょうじょうじゅ)</kana>、<kana>[[等正覚]](とうしょうがく)</kana>、[[補註6|補註6(正定聚)]]。 | |
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2017年12月4日 (月) 01:06時点における最新版
等(ひと)し
親鸞聖人は、如来回向の信心は、如来の智慧と慈悲の徳をもつ仏因であるから、信心の行者は「如来とひとし」といわれた。等覚のこと。→
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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