操作

「吉水」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
1行目: 1行目:
(よしみず)
+
よしみず
  
  現在の京都東山知恩院の東方にあたる地。法然上人は、比叡山黒谷(くろだに)からこの地に移り、草庵を設けて専修(せんじゅ)念仏の教えを説いたので、上人のことを吉水(きっすい)ともいう。親鸞聖人は、建仁元年(1201)比叡山を下りて六角堂に参籠し、吉水の草庵に法然上人を訪ねて門弟となられた。
+
 現在の京都東山知恩院の東方にあたる地。法然上人は、比叡山<kana>黒谷(くろだに)</kana>からこの地に移り、草庵を設けて<kana>専修(せんじゅ)</kana>念仏の教えを説いたので、上人のことを<kana>吉水(きっすい)</kana>ともいう。親鸞聖人は、建仁元年(1201)比叡山を下りて六角堂に参籠し、吉水の草庵に法然上人を訪ねて門弟となられた。
  
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 
----
 
----

2017年12月22日 (金) 20:59時点における最新版

よしみず

 現在の京都東山知恩院の東方にあたる地。法然上人は、比叡山黒谷(くろだに)からこの地に移り、草庵を設けて専修(せんじゅ)念仏の教えを説いたので、上人のことを吉水(きっすい)ともいう。親鸞聖人は、建仁元年(1201)比叡山を下りて六角堂に参籠し、吉水の草庵に法然上人を訪ねて門弟となられた。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。