操作

「西意善綽房」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

 
 
(同じ利用者による、間の1版が非表示)
1行目: 1行目:
 
さいいぜんしゃくぼう
 
さいいぜんしゃくぼう
  
 『口伝鈔』(一)では親鸞聖人とともに聖覚法院へのししゃとなった人物として出る。([[歎異抄#P--855|歎異抄 P.855]])
+
 『口伝鈔』(一)では親鸞聖人とともに聖覚法院への使者となった人物として出る。([[歎異抄#P--855|歎異抄 P.855]])
  
 
{{Copyright}}
 
{{Copyright}}
 +
{{Tinc|JDS:西意}}

2020年1月31日 (金) 14:25時点における最新版

さいいぜんしゃくぼう

 『口伝鈔』(一)では親鸞聖人とともに聖覚法院への使者となった人物として出る。(歎異抄 P.855)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

◆ 参照読み込み (transclusion) JDS:西意

さいい/西意

一二~三世紀頃、生没年不明。善綽房(『古徳伝』七)、善寂房ともいう。また親鸞同行し、聖覚のもとにいたこともある。『七箇条制誡』では一七番目に署名している。建永の法難(一二〇七)時の死罪人に性願住蓮安楽とともに連坐し、佐々木判官奉行のもとに摂津国でちゅうされた。『歎異抄』『法水分流記』にも同内容の記述がある。


【資料】『古徳伝』七、『漢語灯録』一、『口伝鈔』


【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)、中野正明『増補改訂法然遺文の基礎的研究』(法蔵館、二〇一〇)


【執筆者:南宏信】