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げんそう
 
げんそう
  
 (557-610) 俗姓は李氏。 趙(ちょう)郡 (現在の河()北(ほく)省内(ない)丘(きゅう)) の人。 仏教・儒教・道教の三教に通じ、隋(ずい)の開皇十二年 (592) 勅命によって長安の大興善寺に住して、闍(じゃ)那(な)崛(くっ)多(た)らの訳経を助け多くの経典を訳出し、『衆(しゅ)(きょう)目録(もくろく)』を撰した。
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 (557-610) 俗姓は李氏。 <kana>趙(ちょう)</kana>郡 (現在の<kana>河北(かほく)</kana>省<kana>内(ない)</kana><kana>丘(きゅう)</kana>) の人。 仏教・儒教・道教の三教に通じ、<kana>隋(ずい)</kana>の開皇十二年 (592) 勅命によって長安の大興善寺に住して、<kana>[[闍那崛多]](じゃなくった)</kana>らの訳経を助け多くの経典を訳出し、『<kana>衆経(しゅうきょう)</kana><kana>目録(もくろく)</kana>』を撰した。
  
 
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2010年11月3日 (水) 14:18時点における最新版

げんそう

 (557-610) 俗姓は李氏。 (ちょう)郡 (現在の河北(かほく)(ない)(きゅう)) の人。 仏教・儒教・道教の三教に通じ、(ずい)の開皇十二年 (592) 勅命によって長安の大興善寺に住して、闍那崛多(じゃなくった)らの訳経を助け多くの経典を訳出し、『衆経(しゅうきょう)目録(もくろく)』を撰した。

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

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