「回して」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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− | 御開山は、欲生釈で、「白道」を白は黒に対し道は路に対置され、自力道を、二乗・三乗、万善諸行とされておられる。また、『愚禿鈔』下の回向発願心釈で、「回向発願心というは、二種あり」と、自力と組み合った回向発願心と、本願の招喚に信順する如来から回向される回向発願心を区別されておられる。同じく『愚禿鈔』下での「白道四五寸」でも、自力少善の路と示されておられる。 | + | 御開山は、欲生釈で、「白道」を白は黒に対し道は路に対置され、自力道を、二乗・三乗、万善諸行とされておられる。また、『愚禿鈔』下の回向発願心釈で、「回向発願心というは、二種あり」と、自力と組み合った回向発願心と、本願の招喚に信順する如来から回向される回向発願心を区別されておられる。同じく『愚禿鈔』下での「白道四五寸」でも、自力少善の路と示されておられる。<br /> |
+ | このように回向発願心釈に二義を見られるのは、法然聖人の『[[三心料簡および御法語]]』に示された「白道事」の解釈を忠実に受け継がれているということであろう。 |
2012年1月25日 (水) 11:20時点における版
言人行道上直向西者 即喩廻諸行業 直向西方也。
(「人道の上を行きてただちに西に向かふ」といふは、すなはちもろもろの行業を回してただちに西方に向かふに喩ふ。)
この廻諸行業の<廻>が第二版では、回転、回捨の意で、自力をひるがえす、となっている。これはこれでよいのだが、釈尊の発遣と弥陀の召喚以前に捨自帰他があるように誤解されやすい。
御開山は、欲生釈で、「白道」を白は黒に対し道は路に対置され、自力道を、二乗・三乗、万善諸行とされておられる。また、『愚禿鈔』下の回向発願心釈で、「回向発願心というは、二種あり」と、自力と組み合った回向発願心と、本願の招喚に信順する如来から回向される回向発願心を区別されておられる。同じく『愚禿鈔』下での「白道四五寸」でも、自力少善の路と示されておられる。
このように回向発願心釈に二義を見られるのは、法然聖人の『三心料簡および御法語』に示された「白道事」の解釈を忠実に受け継がれているということであろう。