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「一法句」の版間の差分

出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』

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法を説いた一つの句。<br>
 
法を説いた一つの句。<br>
特に世親の浄土論に「一法句といふはいはく、清浄句なり。清浄句といふはいはく、真実智慧無為法身なり」とあるので、浄土教では一法句といえばこの句を指す。これについて曇鸞の浄土論註には、浄土の国土・仏・菩薩(三厳)のすぐれてありさまを説いた浄土論の二九句を「広」とし、入一法句を「略」とし、<kana>広略相入(こうりゃく-そうにゅう)</kana>する(浄土のくわしいありさまと清浄即ち真実智慧無為法身とは別な意味を持ちながら離すことのできないものである)と説いている。「仏教学辞典より」<br>
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特に世親の浄土論に「一法句といふはいはく、清浄句なり。清浄句といふはいはく、真実智慧無為法身なり」とあるので、浄土教では一法句といえばこの句を指す。これについて曇鸞の浄土論註には、浄土の国土・仏・菩薩(三厳)のすぐれたありさまを説いた浄土論の二九句を「広」とし、入一法句を「略」とし、<kana>広略相入(こうりゃく-そうにゅう)</kana>する(浄土のくわしいありさまと清浄即ち真実智慧無為法身とは別な意味を持ちながら離すことのできないものである)と説いている。「仏教学辞典より」<br>
 
一法句の「句」を「依事、処」として、言葉や語句の意味ではない、とする見解もあるが、唯一なる法をあらわす<kana>言詮(げんせん)</kana>としての一法句の解釈が近しいと思ふ。
 
一法句の「句」を「依事、処」として、言葉や語句の意味ではない、とする見解もあるが、唯一なる法をあらわす<kana>言詮(げんせん)</kana>としての一法句の解釈が近しいと思ふ。
  
 
[[ノート:一法句]]
 
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[[Category:追記]]
 
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2015年11月9日 (月) 12:56時点における版

いちほっく

 真如法性のこと。 →真如(しんにょ)法性(ほっしょう) (浄土論 P.38安楽集 P.199)

出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社

区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。

法を説いた一つの句。
特に世親の浄土論に「一法句といふはいはく、清浄句なり。清浄句といふはいはく、真実智慧無為法身なり」とあるので、浄土教では一法句といえばこの句を指す。これについて曇鸞の浄土論註には、浄土の国土・仏・菩薩(三厳)のすぐれたありさまを説いた浄土論の二九句を「広」とし、入一法句を「略」とし、広略相入(こうりゃく-そうにゅう)する(浄土のくわしいありさまと清浄即ち真実智慧無為法身とは別な意味を持ちながら離すことのできないものである)と説いている。「仏教学辞典より」
一法句の「句」を「依事、処」として、言葉や語句の意味ではない、とする見解もあるが、唯一なる法をあらわす言詮(げんせん)としての一法句の解釈が近しいと思ふ。

ノート:一法句