「施与…向かふなり」の版間の差分
出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』
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:おほよそ「回向」の名義を釈せば、いはく、おのが集むるところの一切の功徳をもつて一切衆生に施与して、ともに仏道に向かふなり。([[浄土論註 (七祖)#P--144|論註 P.144]]) | :おほよそ「回向」の名義を釈せば、いはく、おのが集むるところの一切の功徳をもつて一切衆生に施与して、ともに仏道に向かふなり。([[浄土論註 (七祖)#P--144|論註 P.144]]) | ||
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:おほよそ回向の名義を釈せば、いはく、おのれが所集の一切の功徳をもつて一切衆生に施与したまひて、ともに仏道に向かへしめたまふなり」 ([[信巻本#P--247|信巻 P.247]]) | :おほよそ回向の名義を釈せば、いはく、おのれが所集の一切の功徳をもつて一切衆生に施与したまひて、ともに仏道に向かへしめたまふなり」 ([[信巻本#P--247|信巻 P.247]]) |
2017年10月27日 (金) 22:16時点における版
親鸞聖人は 「施与したまひて、ともに仏道に向かへしめたまふなり」 (信文類訓) と読まれた。 (論註 P.144)
出典(教学伝道研究センター編『浄土真宗聖典(注釈版)第二版』本願寺出版社
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
区切り線以下の文章は各投稿者の意見であり本願寺派の見解ではありません。
『浄土真宗聖典(注釈版)七祖篇』本願寺出版社
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『論註』
- おほよそ「回向」の名義を釈せば、いはく、おのが集むるところの一切の功徳をもつて一切衆生に施与して、ともに仏道に向かふなり。(論註 P.144)
論註の当分は願生者の回向であるが、御開山は法蔵菩薩の回向であるとされた。
『教行証文類』信巻
- おほよそ回向の名義を釈せば、いはく、おのれが所集の一切の功徳をもつて一切衆生に施与したまひて、ともに仏道に向かへしめたまふなり」 (信巻 P.247)