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(ページの作成:「きょうろくの-さくらん  享禄4年(1531)に加賀国(現在の石川県南部)でおこった一向一揆の内紛。<br /> 大小一揆ともいう。...」)
 
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大小一揆ともいう。加賀三箇寺(松岡寺・本泉寺・光教寺)を中心とする小一揆と越前で敗れて加賀に逃がれていた超勝寺・本覚寺ら大一揆とが衝突し、本願寺の支援を受けた大一揆が勝利した。
 
大小一揆ともいう。加賀三箇寺(松岡寺・本泉寺・光教寺)を中心とする小一揆と越前で敗れて加賀に逃がれていた超勝寺・本覚寺ら大一揆とが衝突し、本願寺の支援を受けた大一揆が勝利した。
 
これにより加賀支配の主導権が加賀三箇寺から本願寺へと移った。(浄土真宗辞典)
 
これにより加賀支配の主導権が加賀三箇寺から本願寺へと移った。(浄土真宗辞典)
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外部リンク
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[http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T2/T2-4-01-05-02-035.htm 『福井県史』通史編2 中世]

2017年11月5日 (日) 16:07時点における版

きょうろくの-さくらん

 享禄4年(1531)に加賀国(現在の石川県南部)でおこった一向一揆の内紛。
大小一揆ともいう。加賀三箇寺(松岡寺・本泉寺・光教寺)を中心とする小一揆と越前で敗れて加賀に逃がれていた超勝寺・本覚寺ら大一揆とが衝突し、本願寺の支援を受けた大一揆が勝利した。 これにより加賀支配の主導権が加賀三箇寺から本願寺へと移った。(浄土真宗辞典)

外部リンク

『福井県史』通史編2 中世